園生貝塚は、市内稲毛区園生町に所在し、東京湾に注ぐ全長4kmほどの“草野放水路”の中間辺りの北向きに突き出した所で、小中台川流域にある唯一の環状貝塚。

 幅約250mの箱形を呈し、標高25mほどの洪積台地上に形成された、縄文後期から晩期の貝塚。

 本貝塚の台地北端には、以前小さな池があったが、現在でも湧水が噴出しており、台地の裾を流れて、放水路に注いでいる。

貝塚現場T 貝塚現場U 貝塚現場V

 上の写真は、千葉モノレール穴川駅前の園生貝塚入口で、記念碑が建てられている。
環状貝塚の中央部分は、千葉県の“緑のマスタープラン”で保存すべき緑地として高く評価され、写真の通り、“杉林”として残されている。
樹木がなければ、土手状に貝層が巡っていると想像される。

 当地は国道に挟まれた市街化区域にあり、土地計画関係者の間では“無法地帯”と呼ばれながら、関係行政の良識が「ストップ・ザ・開発」を成し遂げた。

 貝層のある部分は、皿状窪地地形に認められていたが、現在は宅地化されてしまった。
直径約120mの環状貝塚の開口部には、東西50mほどの貝層があり、園生貝塚と呼ばれる範囲内には、12ヵ所の小貝塚が周辺に広がっていたと云う。
貝層の厚さが4mほどに達するところもあり、廃棄された竪穴住居址の窪地を埋めることから始めたためと見られる。

 1987年に本貝塚が破壊の危機に瀕したことから改めて注目され、学界でも取上げられたことから、広く知られるようになった。

 明治天皇も千葉を訪れた際に、本貝塚に立ち寄られていると云う。 

密集住宅地 密集住宅地 開発中現場

 真は、本貝塚に隣接する密集住宅地で、土地所有者により、保存樹林を伐採する開発行為が進められ、貝層は破壊しないという開発条件を無視して、貝層の一部を削平する事態が発生した。

 写真の通り、平成19年9月現在、都市開発が及んでいるが、山林の大半と環状貝塚のほぼ全貌が残された、希有の貝塚として、関係者の良識を信ずる。

 出土遺構・遺物には、縄文晩期の住居址のほか、貝層中から焚火跡が多数検出され、墓地と共に最低でも11体の人骨が出土した。

貝塚地表 拡大地表 オキアサリ

 真は、宅地開発などが進められた以前の貝塚地表で、貝類はオキアサリ・イボキサゴが主体で、これにハマグリ・アカニシ・ウミニナなどが混じる。
右側の写真は、現在のオキアサリの表面文様で、それぞれの文様は個性豊かなで、複雑多岐にわたる。

   本貝塚周辺に、住居域・墓域が集中している。

 獣骨はイノシシ・シカ・サルの骨が多いが、魚骨はクロダイなど少なく、珍しいところではウミガメがまとまって採集されている。
他にも、骨鏃や骨角製刺突具などが数多く検出されている。

 叉土器類では、製塩土器が出土してことで注目された。

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