千 葉 県 千 葉 市 の 園 生 貝 塚
園生貝塚は、市内稲毛区園生町に所在し、東京湾に注ぐ全長4kmほどの“草野放水路”の中間辺りの北向きに突き出した所で、小中台川流域にある唯一の環状貝塚。 幅約250mの箱形を呈し、標高25mほどの洪積台地上に形成された、縄文後期から晩期の貝塚。 本貝塚の台地北端には、以前小さな池があったが、現在でも湧水が噴出しており、台地の裾を流れて、放水路に注いでいる。
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左上の写真は、千葉モノレール穴川駅前の園生貝塚入口で、記念碑が建てられている。 環状貝塚の中央部分は、千葉県の“緑のマスタープラン”で保存すべき緑地として高く評価され、写真の通り、“杉林”として残されている。 樹木がなければ、土手状に貝層が巡っていると想像される。 当地は国道に挟まれた市街化区域にあり、土地計画関係者の間では“無法地帯”と呼ばれながら、関係行政の良識が「ストップ・ザ・開発」を成し遂げた。
貝層のある部分は、皿状窪地地形に認められていたが、現在は宅地化されてしまった。 1987年に本貝塚が破壊の危機に瀕したことから改めて注目され、学界でも取上げられたことから、広く知られるようになった。 明治天皇も千葉を訪れた際に、本貝塚に立ち寄られていると云う。 |
写真は、本貝塚に隣接する密集住宅地で、土地所有者により、保存樹林を伐採する開発行為が進められ、貝層は破壊しないという開発条件を無視して、貝層の一部を削平する事態が発生した。 写真の通り、平成19年9月現在、都市開発が及んでいるが、山林の大半と環状貝塚のほぼ全貌が残された、希有の貝塚として、関係者の良識を信ずる。
出土遺構・遺物には、縄文晩期の住居址のほか、貝層中から焚火跡が多数検出され、墓地と共に最低でも11体の人骨が出土した。 |
写真は、宅地開発などが進められた以前の貝塚地表で、貝類はオキアサリ・イボキサゴが主体で、これにハマグリ・アカニシ・ウミニナなどが混じる。 右側の写真は、現在のオキアサリの表面文様で、それぞれの文様は個性豊かなで、複雑多岐にわたる。 本貝塚周辺に、住居域・墓域が集中している。
獣骨はイノシシ・シカ・サルの骨が多いが、魚骨はクロダイなど少なく、珍しいところではウミガメがまとまって採集されている。 叉土器類では、製塩土器が出土してことで注目された。 |