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曽谷貝塚は曽谷春日神社の右手奥の台地上、住宅開発が進んだ住宅密集街の真中に所在する。 昭和54年に国の史跡に指定されたが、関係者の努力・熱意が実り、東京に近いベッドタウン開発の中で、約42,000uに及ぶ土地が開発されずに保存されるという奇蹟が起こった。 |
曽谷貝塚現場
住宅密集地に残された田畑に今でも貝殻が散在し、当時の面影が浮かんでくる。 直径約240mの大貝塚で加曾利貝塚より大きく、特に昭和49年から53年にかけて6地点の発掘調査結果、数多くの新事実が判明したと云う。 縄文後期の住居址33棟・人骨20体や多くの祭り・祈りに関する遺物などが検出された。 又貝製の腕輪の材料が縄文中期から後期にかけて5種類が使われ、時代により使う材料も異なり、貝輪は特定の職人によって製作されていたことを物語っていると云える。 |
曽谷式深鉢土器
高さが44cmもある大形精製土器で、曽谷式として標式に認定されている。
豊満な土偶、スタンプ型土製品、朱で塗られた貝、異形台付土器、朱塗り土器など、祭祀・祈りに関する様々な儀礼用具が検出された。 |
貝の捨場として利用する前にその場所に土器などを埋め、地の霊を鎮める儀礼が行なわれたと見られる。
又成人・結婚・死などの節目に実施される通過儀礼は当事者のためだけでなく、集団の仲間意識・結束を高めるためにも恒常的に行なわれていたと考えられている。 曽谷縄文人も、超自然的存在に対する畏れ・崇拝の念から必要に応じ儀礼用施設・道具などを作り、願望が実現されるよう各種儀礼が日常化していたと考えられる。 |