沢遺跡は、伊吹山の南裾に広がる弥高川の扇状地・標高160mほどに立地する。

 明治時代に発見されて以降何回となく発掘調査が継続され、近江地方では最初に発見された縄文遺跡として名高いと云う。

杉沢遺跡現場

 在の勝居神社周辺に広がる縄文晩期遺跡。

 1987年圃場整備に伴う発掘調査では縄文晩期前半の土器が大量に出土し、そのうち過半数が中部地方の土器と判明し、伊吹山を挟んで東側文化との繋がりが強かったと見られている。

当遺跡出土の「合わせ口甕棺」

 真左側の土器棺は頸部が緩やかにくびれて外反する口縁部を持ち、口縁に凸帯文を一条巡らした近畿系土器と見られる。
出土時には完形のまま横位水平に置かれていたと云う。

 右側の土器棺は砲弾型で口縁部にやはり一条の凸帯文を巡らせ、土器表面には斜めの条痕文を施した東海地方の土器と云う。
埋設時には土器の一部を割って蓋として被せたと見られる。

 当遺跡から出土した9組の「合わせ口土器棺」のほとんどが東海地方系のモノで、このことからもこの地方の影響を強く受けていることが分かる。

以下文字列にポインタをおくと、杉沢遺跡から出土したいろいろな非日常的石器に出会えますよ!

 当遺跡から出土した大小さまざまな石棒のうち巨大な石棒

 滋賀県内で唯一発見されている御物石器

 当遺跡から出土した非日常的な小型石棒

 当遺跡から出土した典型的石刀

 当遺跡から出土した多頭石斧、はたして何目的に使われたのであろうか?

 記のようにさまざまな非日常的石器類が検出されている。

 石器類の形状なども美濃地方の影響を強く受けており、伊吹山をバックにしていた伊吹山麓縄文人の山岳信仰の姿が見え隠れする。

 冬場の厳しい気象条件にめげないほど、又それ以上に四季を通じて当時でも自然環境に恵まれていたと見られる。

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