根木戸遺跡は海老川に注ぐ支流によって形成された、南北約200m・東西約180mの舌状台地上に立地している。

 台地の標高は約27mあり、中央部がわずかに凹んでいるがほぼ平坦部に位置する。

 発掘調査の結果、竪穴住居址75棟・土壙129ヶ所など数多くの遺構が弧を描いた分布状態で検出されたが、出土土器などから縄文中期の集落跡であることが判明した。

 調査対象面積約10,000uの台地全面に、20m間隔の試掘壙を設定し発掘調査を行うことにより、縄文中期集落址の全貌を明らかにすることが出来たと云う。

遺跡現場

 在は小学校が建てられているが、当遺跡は東京湾北岸に位置する、典型的な海浜集落として知られている。

 竪穴住居址の平面形は円形・楕円形・隅円方形など多様にのぼるが、楕円形が最も多かったと云う。
多くの住居址は直径4.5〜5.5m前後・短径4.0〜4.5m前後で深さは0.9〜1.0mほどあったと云われる。
又炉には地床炉・土器埋め込み炉・土器片囲い炉・石囲い炉など5種類が確認されている。

 口径1.0〜2.0mの土壙からは、完形土器・土器片・人骨・ハマグリなどの貝層堆積物が見つかっている。

屈葬人骨

 遺跡からは合計8体分の人骨が発見されているが、その内訳は男性6体・女性2体に分かれる。

 年令的には成人期5体・熟年期3体に大別され短命であったことが窺えるが、男女比率の不釣合いは何を意味しているのであろうか?

 過労働による人体負荷が大きいため男性の早死の数が多いのか、たまたまこのケースの特異性なのか謎は深い!

 当遺跡から出土したいろいろな土器を以下に紹介する。

 ろいろな土器が竪穴住居址・小竪穴内から検出されたが、器形・文様・焼成などの特徴から勝坂式・阿玉台式・加曾利E式に分かれる。

 土器の器形は深鉢・浅鉢・甕・台付土器などで、完形土器は80個を数えると云う。

石英岩質軽石 空孔の石皿

 しい石器類では石英安山岩質の軽石が数多く出土し、三角形・棒状・孔を空けたモノ・容器状のモノなど多様に使われていたと云う。
自然礫の真中が凹んだ石皿や、中には写真のように酷使のため磨耗し孔が空いた石皿も見られる。

 高根木戸ムラには石材が不足していたことを物語っている!

 以下高根木戸縄文人の装身具及び祭祀用具について紹介する。

ヒスイ製品

 スイ大珠のペンダント及びヒスイ勾玉の首飾りとして使われたと見られ、高根木戸ムラの村長が魔除けか呪術用に装身したと考えられる。

人面把手 鹿骨製呪術具

 面把手は土器口縁部分に飾りとして作られたモノで、魔除け・再生などを祈願する祭祀用に使われたと見られる。

 一方刺突列点を持つ鹿骨製品が大小2点発見されたが、刺突列点文様の一部に人物を表現している部分が見られ、呪術用具と考えれる。

 当遺跡からは土偶は見つからなかったが、土偶に替わる呪術品と考えることが出来る。

 又当遺跡の特色として犬の埋葬例が挙げられる。
3体が重なり合った状態で発見され、縄文人と家畜としてのイヌとの深い繋がりを考える手がかりの一つと云える。

 いずれにしても縄文中期集落址の全貌を明らかにした遺跡として、考古学研究史上大きな足跡を残したと云える。