北 海 道 常 呂 町 の 常 呂 川 河 口 遺 跡
常呂川河口遺跡は、河口にほど近い標高3〜5mほどの低地にあり、河川改修工事に伴う15年間に及ぶ発掘調査の結果、縄文前期から晩期までの各時期・続縄文・擦文・オホーツク文化期までの長きにわたる住居・墓などの遺構が多数検出された。 特に屋外の作業場と見られる縄文前期の円形石囲み炉群や、縄文晩期の墳墓から出土した副葬品に特徴が見られる。 |
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縄文文化最盛期を迎えた晩期には、道東部には独自の幣舞文化が現れた。 一方新潟産のヒスイ製勾玉と一緒に東北地方に見られる“大洞式土器”も見つかり、この時期東北地方との交流を窺い知ることができる。 |
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同じ直径1mほどの墓壙から11個もの縄文晩期の土器が検出されたが、いずれもほぼ完形な姿で出現し、甕・舟形・コップ形など各種の器形に分かれた。 中でも人間の顔を刻線で表現し、赤色顔料が塗られた土器に注目したい。 祭祀目的に使われたと見られるが、デフォルメされた頭髪・顔の線刻文様は前例がないほど独創的傑作と云える。 別の墓壙からはベンガラが撒布された人骨も検出され、この地方の精神世界が特徴付けられる。 |
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押型文土器を伴った、やや太目の軽石製石棒は異形に見える。
この他にも写真の通り、墓壙から出土した、オットセイ骨偶・クマ角製腰飾・ヒスイ製玉や勾玉及び朱塗り櫛などの副葬品は、村長クラスの有力者のものと見られ、 |