ノ木貝塚は、縄文中期から後期にかけての巨大環状貝塚で、支川都川に向かって突き出た舌状台地上に所在する。

 本貝塚は、この台地の先端部、東西150m・南北200mほどの範囲に形成されたが、後世に地形改変の痕跡が見られ、中世に“月ノ木砦”が築かれた際に、切り取られたかもしれない。
中世の城郭址には、腰曲輪が巡っている。

 1978年に“国史跡”に指定されたが、貝層部が破壊され、当時の集落跡は保存されていない。

以下の写真は、“月ノ木貝塚公園”として保存された場所で、公園外には草地・山林・畑などが広がり、叉本貝塚脇には支川都川が流れている光景をご覧下さい。

状台地の中央部を囲むように竪穴住居を建て、周辺に貝を廃棄していったため、環状貝塚が形成されたと見られる。

   写真に見える送電線鉄塔の東南約30mの地点が発掘調査されただけだが、縄文中期を中心とした大型環状貝塚であることが判明。 

斜面貝塚 散布貝殻類

 真のように、台地斜面に貝層が伸びており、斜面貝塚の様相を呈している。

 中央部分の地表では貝殻が見つかっておらず、ぐるっと環状に貝殻が散布されている。
地形的な制約から斜面を利用せざるを得なかったと見られ、貝層は約1.5mに達し、貝層の緻密度では、千葉県内でも群を抜いていると云う。

 貝類は、ハマグリとイボキサゴが主体で、他にはアサリ・シオフキ・ウミニナなど砂浜に棲息する仲間。
ハマグリは小型である点が特徴で、大型ハマグリが棲息する沖合が大潮でも潮が引かないため、採貝しにくい環境であったと見られる。
叉煮沸料理には小型ハマグリの方が美味で適していることから、選択的に採貝していたとも考えられる。

 一方少量ではあるが、大型ハマグリを焼いた跡も見つかっているから、大型は焼ハマグリにしているなど、当時からグルメ嗜好が窺える。

 当大型環状貝塚は、干貝加工の工房であり、中央部は作業場であったかもしれない。

復元住居 クジラの骨

 真は、復元された竪穴住居跡及び出土したクジラの脊椎骨。

 1951年の発掘調査では、竪穴住居跡のほか、タカラ貝製装身具・アワビ貝殻を使った耳飾りなどの装身具、クジラ・エイ・サメ・フグ・タイなどの魚骨、イノシシなどの獣骨が検出された。

 本貝塚東側の谷面には、現在でも栗林があるが、当時からクリを栽培していたかもしれない。

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