上の山遺跡は、平成15年から始まった第二京阪道路の建設に伴い発見され、交野市と枚方市の市境に広がる、弥生中期前半(紀元前2世紀初め)の大型建物跡が見つかった。

 本遺跡は天野川の西側に当り、枚方丘陵から天野川に沿ってほぼ南北方向に伸びる中位段丘及び東西両側の谷間に立地しており、これまでの発掘調査で旧石器時代から中世までの遺構・遺物が見つかっている。

現地説明会 周辺環境T 周辺環境U

 遺跡の現地説明会光景、高野山を背景にした遺跡現場の眺望そして本遺跡東側を流れる天野川流域。

 平成17年3月初旬に行なわれた現地説明会の光景、本遺跡が立地する標高約29mの段丘最頂部から見晴らす眺望及び本遺跡東側を流れる天野川流域などの周辺環境。

建物跡 棟持柱跡

 立柱建物の規模は長さ約8.6m・幅約4.5mで、両側に大きく張り出した屋根を支えるための「独立棟持柱」跡も見つかった。
建物の柱穴は楕円形或いは隅丸長方形で、側柱穴の深さが約0.3mに対して、棟持柱穴の深さは約0.9mもある。

 このような独立棟持柱を持つ構造の大型掘立柱建物は、一般的な掘立柱建物と違う特殊な建物として、「祭殿」・「集会所」・「首長の居宅」などの可能性が高い。

以下文字列にポインタをおくと、当時の生活実態を物語る遺構・遺物に出会いますよ!

 土器・石器が埋められていた穴

 出土した弥生土器類

 木の葉跡が付いた壷底部

 サヌカイト製石鏃など

際にできた土器溜まり、溝や穴からは弥生中期前半の土器や二上山産のサヌカイト製石鏃などが見つかった。

 掘立柱建物周辺からは弥生時代の竪穴住居6棟・流路や土壙などの遺構も見つかっているが、古墳時代・平安時代の竪穴住居址・掘立柱建物跡なども多数検出され、遺跡面全体が錯綜していることもあり、弥生集落の全体像は見えていないと云う。

(池上曽根遺跡の掘立柱建物)
上曽根遺跡は大阪府和泉市と泉大津市に跨る、弥生中期(紀元前1世紀中頃)の総面積約60万uにも及ぶ巨大環濠集落で、中でも1999年に床面積133u・独立棟持柱高約9mの大型掘立柱建物が復元され、注目された。

山の上遺跡の掘立柱建物は約39uと池上曽根遺跡の1/3弱だが、形・構造は酷似している。

 本遺跡の方が1世紀余り古いことから、集落が統合されて「クニ」が生まれる過程で、集落中心のシンボル的建物も大型化していった変化を窺い知ることが出来る。

 又滋賀県守山市の下之郷遺跡からも弥生中期の紀元前1世紀初め頃の掘立柱建物が3棟出土しており、近江地域の中核集落として注目されたことからも、中国の史書にある「倭の百余国」の「クニ」に当る集落と見られている。

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