石刃鏃文化は今から7,000年ほど前にシベリア大陸から北海道に伝わって来たと云われている。
小形石刃の先端を加工した特異なヤジリは“石刃鏃”と呼ばれ、シベリアのアムール流域に同種の石刃鏃が存在していたと云う。

石刃鏃を標識とする、縄文早期の石刃鏃文化は、浦幌町の共栄で最初に発見され、石刃鏃と共に絡条体圧痕文を口唇・口頭部に持つ平底土器(”浦幌式土器”)を伴っていた。
この浦幌式土器はアムール河口の遺跡からも発見されたことから、石刃鏃文化の源流はシベリアに遡るのではないかと見られている。

同時期の北海道常呂町のトコロ朝日貝塚からは石刃鏃と共に円形刺突文土器が見つかり、叉女満別町豊里遺跡(別紙参照)からは型押文土器(”女満別式土器”)が出土し、浦幌式以外の土器も石刃鏃と共に伴出していたことが判明した。

シベリア沿海州の遺跡からも女満別式土器に類似した土器が、石刃鏃と共に発見されていることからも、石刃鏃文化のシベリア渡来説が指摘されている。

石刃鏃文化は中国東北部からも発見されていると云われ、大陸と日本列島との関係は未だ謎に包まれたままでいる。

以下石刃鏃文化を代表する浦幌町の新吉野台遺跡及び共栄B遺跡を紹介する。

新吉野台遺跡

 吉野台遺跡は日本で最初の石刃鏃文化の発見例で、昭和9年に発見されて以降、小規模な発掘調査が続けられた。

(新吉野台遺跡現場)
幌十勝川の支流、浦幌川右岸の河岸段丘上に所在する縄文早期遺跡。

昭和26年に北海道史跡に指定され、現在は私有地として保存されている。

(シャープな石鏃)
曜石製石刃の剥離面に簡単な二次加工を施し、シャープなヤジリとして作られた特異な石器。

旧石器時代の終末頃から縄文初期に出現し、アジア大陸東北地域に源流し、日本では北海道北東部にのみしか発見されていない。

(深鉢土器)
方アジアから伝わったと見られる浦幌式土器。

土器の上部にだけ絡条体圧痕文が付けられている平底深鉢土器。

(けつ状耳飾り)
状に丹念に磨いた扁平な石に、耳朶に装着できるように切れ目が入れられている。
蛇紋岩・滑石など柔らかで加工し易く、見た目にも美しい原石が使われ、北上山地から原石を持ち込んで、専門職人が見事に加工したと見られる。
けつ状耳飾りにあやかれない身分の男女は、せめて土製耳飾りで装っていたのかも知れない。

 

共栄B遺跡

 栄B遺跡は新吉野台に隣接し、浦幌高校生により発見された縄文早期遺跡。

遺跡現場T 遺跡現場U

 遺跡現場からは、十勝平野で名高いジャガイモ畑が見渡せる。

 2ヶ所の住居址・19の土壙・2ヶ所の焼土などの遺構と共に大量の浦幌式土器・石器・装身具などが出土した。

石刃鏃 浦幌式土器

 刃鏃のほかに石斧・削器・掻器なども出土している。

 浦幌式土器の仲間に無文式も見られる。

石刃鏃文化の特徴

 遺跡から出土した土器・石器などを通し、印象付けられた特徴について以下ハイライトする。

実用重視の生活姿勢は、使い勝手に重点を置いた平底式の無文土器に窺える。
同時期の道南・東北地方では突底式土器が主流であった点とは好対照と云える。

利便性を求める知恵・創造力の働きが、具体的成果に結びついたと考えられ事例を以下紹介する。

把手付叩石

 地域で縄文早期遺跡から出土した丸石形叩石とは明らかに違い、使い易さが見て取れる。

柏葉痕付土器 ホタテ痕土器

 面に柏葉痕の付いた土器及びホタテ貝痕の付いた土器に注目したい。
土器づくりの際に工夫が凝らされ、滑り止めとしてホタテ貝や木の葉を底に敷いていたと考えられる。

この時期以下の遺物にも精神文化度の高さが窺い知れる

以下文字列にポインタをおくと、琥珀製けつ状耳飾り、石偶そして石製ランプなどをご覧いただけますよ!

 琥珀製けつ状耳飾りは日本最古のタイプと見られている。

 石偶は後に本土に伝播した土偶の先駆けかも知れない。

 石ランプはランプ置きとして、祭祀用に使われたと考えられる。

土事例が少ないことから普遍性には乏しいものの、叉独自の文化か或いは移入した生活様式かは不明ではあるが、石刃鏃文化を象徴する特異な遺物として存在価値は大きい。

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