磯遺跡は1982年造成工事に伴い発見され、縄文時代の終わり頃から弥生前期にかけ約50層に及ぶ貝層が確認された。

 貝層の中からは縄文土器・弥生土器・釣針や銛などの骨角器・魚骨・獣骨などが多量に出土し、本貝塚の大きな特徴である外洋性漁労活動の盛況ぶりが窺えると云う。

薄磯貝塚現場

 地ふもとと周辺に7ヶ所の地点貝塚が確認されている。

 小名浜湾に面している環境は魚・貝・海草に恵まれ、特に魚の種類の多さが好環境を物語っている。
マイワシ・マグロ・カツオ・マカジキ・マアジ・ブリ・スズキ・マダイ・トラフグ・マイナメ・カサゴ・ヒラメ・メジロサメ・トビエイ等々多種類。

 大畑貝塚と同じようにアワビを敷き詰めた祭祀遺構が検出されたと云う。

当貝塚出土の縄文晩期深鉢土器

 器文様は彫刻的な沈線文様と磨消縄文が施されている。

 この時期器種の分化も進み、注口土器・壷・皿・香炉・環状土器など極めてバラエティーに富む器種構成となっている。
土器の中には縄文時代晩期の近畿地方の土器も含まれていると云う。

 大変珍しい発見としては、楕円形をした柔らかい質の石に線の刻み目や蟹・魚などを描いた線刻礫は全国一の数と云われる。

当貝塚出土の線刻礫

 ろいろな文様が描かれているが、その用途は不明。

 文様はある一定の規則に従って刻まれているようで、一つ一つの文様には特別な意味が込められていたと見られ、当時のこの地方独特の精神文化が感じ取れる。

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