横尾貝塚遺跡は県内最大河川の大野川左岸に広がる鶴崎丘陵の尾根上先端部に位置し、内容的に東九州を代表する貝塚と云われる。

昭和40年と55年に発掘調査が実施され、縄文前期から後期にかけて良好な貝層と多数の遺物・埋葬遺構が検出された。
一方平成12年からは土地区画整理事業に伴う発掘調査が実施され、縄文早期の建築部材を二次利用した水場遺構やカゴに収納された姫島産黒曜石などが出土し、一躍脚光を浴びている。
これまで発掘調査は82次にも及び現在も調査が進められていると共に、遺跡の広がり・重要性・遺跡に秘められた学術的価値等から発掘調査は更に5年間を要するものと期待されている。

以下横尾貝塚現場、現在発掘調査中の現場2点、及び調査予定の現場を順番に紹介する。

在調査中の水溜まり奥底には更に多くの木製品が眠っていると見られ、又今後調査予定の敷地からは住居址など集落跡の発見が期待される。

 当貝塚は大野川の分流・乙津川の左岸、現在の海岸線から約7km内陸部に位置し、標高6〜8mで三方を水田に囲まれている。
現在の調査地は約2,140uで、乙津川に向けて開口する一角に位置する。

貝塚断面 文中期の遺物が層位的にも豊富に出土していることから定住期間の長さを物語っている。
貝層からは土器・石器・骨角器など日常生活を象徴する遺物と共に保存状態の良好な埋葬人骨15体が出土したと云う。
埋葬人骨からは人類学的研究成果が期待される。

貝類 骨角器他

 土したヤマトシジミなど貝類及び骨角器・獣骨など。
ヤマトシジミを主体とする縄文前期の貝層、ハマグリ主体の中期貝層、後晩期の包含層が層序的に確認されている。

 縄文前期には海水・河川水が混じり合う干潟で半海水性のヤマトシジミ、中期は海進がピークに達し海水性のハマグリ、後晩期は海岸線が後退したため漁労活動が低下して貝層が形成されていない等、劇的な環境変化に適応した生活実態を如実に物語っている。

ドングリの実 建材出土状況

 文後期初頭のドングリ貯蔵穴の下層、アカホヤ火山灰層(約6,300年前)と砂層の下面から建築部材を再利用した水場遺構が発見された。
層位及び出土した条痕文土器の編年から縄文早期後半(約6,000〜7,000年前)の加工建材と断定され、日本最古の水場遺構であり、加工建材であると云える。

 建築部材は長さ約3.4m・一辺約18cmの角材で、他の部材を直接差し込むために彫られたほど穴と、縄などで他の部材を結びつけるために彫られた目途穴が6ヶ所で確認され、高度な加工技術を持つ建材であることが判明した。

 加工建材は水場の足場として再利用されたと見られている。

姫島産黒曜石出土状況 黒曜石・網状カゴの拡大写真

 場遺構の内部からは格子状に編まれた植物繊維(カゴ)に収納された状態で姫島産黒曜石が出土した

 黒曜石は石器の素材となる剥片・石核がカゴに収納されて姫島から運ばれたか、或いはカゴに収納・保管されたと見られる。

磨消文土器 真左上の灰色系土器片は瀬戸内系で、右側が当地産の磨消文土器片。

瀬戸内産のものは精緻に作られ、土器先進地域として技術的格差が見られ、文化移入交流を進めていたと考えられる。

 い谷底の低湿地を利用した水場遺構の存在・墓地やドングリ貯蔵穴群の確認・想像以上に高度な加工技術の発見・海上交通手段を使った文化交流など縄文早期における生活文化スタイルを復元しうる貴重な遺跡として今後の継続的発掘調査が待たれる。

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