文時代前期後半から大集落が形成されるようになり、石を用いた遺構・文化が創られていった。

 宗教的儀式には欠かせない存在として、祈りの場に登場した。
石棒・石剣の他に石皿・磨製石斧などの加工石と共に、赤色チャート・黒曜石・緑色凝灰岩などの自然石が同じ地点で見つかっている。

 色の違う石を意図的に集めて、祭りの場を彩っていたと見られる。

  又配石遺構の縁に石を直線上に立ててあったり、立てた石の方向が地元の神が宿う神山へ向き、かつ特定の時期の日の出・日没の方向に合致させ、カレンダーの役割も果すなど、将に記念碑的存在としての意味を持たせたと見られる。

(熊本県菊池市の木柑子高塚古墳出土の石人)

 のモニュメントは元々記念すべき魂の権化、神々信仰の媒体として欠かせない存在であったと思われる。

 石文化は決して西欧的文化ではなく、大和文化を象徴していたと考えられる。

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