は空気に晒されると酸化して黒色に変化し、化学変化に強く耐久性があるため古くから塗料や接着剤に利用されてきた。

 漆に顔料を加えて発色させる高等技術も知っていたことが明らかになり、しかも6,000年ほど前の縄文前期において早くも技術的に確立されていたと云う。

 何故に漆技術に磨きがかけられたのであろうか?

(高崎市高崎情報団地遺跡から出土した浅鉢形漆器)

 径33.5cm・高さ16.2cmで、外面上部に赤漆による文様と内面全面に赤漆による渦巻状文様等が施されている。
現代にも通用する工芸作品の逸品と云える。

(高知県土佐市の居徳遺跡から検出された木胎漆器)

 スノキ材の一辺が44cmほどの角を丸くした方形の蓋と見られる。
黒色の漆地に朱塗りの花弁文様が繊細なタッチで描かれている。

 居徳遺跡の漆器は、高崎情報団地遺跡の漆塗土器とは明らかに異なり、文様の形だけでなく漆の塗り方なども異なっていると云う。

 東西漆器のルーツも異なり、居徳漆器は黒潮ルートに乗り中国の影響を受けた可能性が高いと云われる。

 しかし製作工程数等加工技術は同時代の中国のモノより日本の方が優れていると云われ、日本独自の漆塗技術があったとも考えられている。

 魔除け等祭祀などの特殊な用途に用いられたと云われるが、何故これほどの技術的・経済的投資と精力を投入したのであろうか?

自然に対する脅威と子孫繁栄への祈りを込めた縄文人の世界観と宗教的・社会的価値観が、唯々驚嘆に値する漆工芸作品を生み出す原動力となったのであろう!

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