男根を型どった石棒は、縄文時代前期後半北海道・東北地方にはお目見えし、以降縄文中期から晩樹にかけて関東・中部・関西地方など広範囲に広がって行った。 手に握れる程度の大きさでスタートした男根状石棒は中期以降大形化され、又後期以降は再び小形に戻った。 日本最大の石棒は長野県佐久市の田んぼのあぜ道に立っている2mを越すモノから、数十センチの細長い石棒まで千差万別出あるが、一般的には50cm前後の石棒が多い。 以下石棒の形態的変化に注目したい。 |
![]() 文字列にポインタをおくと、いろいろな石棒に出会えますよ!
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石棒の大小形の変化は単なる物理的変化ではなく、内容的・質的な違いを意味すると理解できる。 配石遺構などに立てられた大きな石棒は、衆目を集めるべく安置されたと見られ、そこには機能的違いが認められる。 即ち縄文中期以降後期初頭までの大きなペニス形石棒にはリアルなルックのモノが多いが、そこまでリアルに象徴した背景には妊娠を呪う道具として「子孫繁栄」を祈願したと見られる。
しかし一方縄文後期中頃以降は長い石棒へ変化し、機能的にも石棒祭祀は成人式にも通じ、一人前の大人になって行く過程での「通過儀礼」だったと考えられる。 |