アクセサリーを通じて垣間見る縄文社会とはどんな社会であったのか、ここではアクセサリーを祭祀用装身具という仮説にとらわれることなく、縄文社会がそうであったようにもっと自由な現代感覚で仮説を立てて見る。 アクセサリーはムラの権力者やシャーマンのような祭祀者に与えられた唯物特権であったという有力な見方もあるが。
土器・石器製作などの技能に秀でた職人や手際・段取り良く物づくりに精進したムラ人は、やがて競争社会に抜きん出て富を蓄積して行き、その腕前は土器・石器などの受注生産にまで拡大していった。
物々交換を通じ交易・文化的交流が促進され、特定地域にしか存在しない貴重な材質のアクセサリーが入手出来るようになった。
身嗜みは清潔で優美なセンスを競い合える一部の美男美女の間で、贅沢なお洒落競争からファッションを作り出していった。 アクセサリーを装着したムラ人は全体の1割程度と言われたいるが、装着しても恥ずかしくない有資格者の割合として1割程度は妥当なところと思われる。
今日の贅沢な家具調度品に相当するステータスシンボルであった。
以下全国各地から出土したお洒落感覚のアクセサリーを順番に紹介する。
|
![]() その後弥生・古墳時代に一部は残るが、古代以降はその影がすっかり潜んで約2,000年の間アクセサリーとは無縁の時期を過ごしたことになる。 そしてアクセサリーを付ける習慣が再び再現されるのは、西洋と劇的に出会う明治時代を待たなければならなかった。 |