紀元前20,000年頃の晩氷期は海水面が現在より85mほど低く、宗谷海峡が陸橋当時、サハリン経由で北部旧石器人が南下し、道内に住み始めたと考えられる。 その後紀元前10,000年頃までには宗谷海峡・津軽海峡ができて北海道は陸の孤島になると共に、それ以降独自の文化・生活習慣を築き上げて行ったと考えられる。 縄文時代の出土遺物に見られる個性豊かな独創性・本土とは異質の表現方法は激しい自然環境が育んだと見られる。 日本海を流れる対馬海流の変動・海水面の変化・気温の温暖化に伴い、特に紀元前約4,000年の縄文前期以降、貝塚が大型化し分布が拡がって行った。 |
津軽海峡沿岸・北海道南西の日本海沿岸・噴火湾を含む太平洋沿岸などの段丘・砂丘上に貝塚集落が増加・敷衍すると共に道内はもとより、東北北部との物的・人的交流が活発化したことは、当時の出土遺物が物語っている。所謂“円筒式土器文化圏”として知られている。 しかし東北北部との交易を通じて、物づくり文化や生活習慣に多少の影響を受けたものの、北海道縄文人の独自性高い固有文化を維持発展させた。 北海道には貝塚が約200ヶ所あると云われているが、縄文海進最盛期(紀元前約4,000)・縄文後期の温暖期(紀元前約2,000〜1,500年)に貝塚が多く形成され、貝塚のお陰で当時の北海道固有の異質な文化遺産に巡り合うことができ、その豊かな独創性には唯々驚嘆させられる。 |
以下北海道縄文人の生活文化遺産・カルチャーの一端を紹介する。
先ずは祭祀・儀式などに使われたと見られる、呪術品・セレモニー用具などを紹介する。
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順番に先ずは伊達市北黄金貝塚のツマミ付ナイフ形石器と北海道式石冠。
次に八雲町栄浜1遺跡の魚形石器と余市町大谷地貝塚の魚形石器。 |
以上のように北海道ならではの縄文時代の作品からは、親しみと愛着を禁じえない。 |