ベルヴェデーレ宮殿
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7月7日(月)晴れ,暑い,ベルヴェデーレ宮殿 正さんの希望は第一次世界大戦の導火線となったサラエボ事件のオープンカーの銃弾の跡を見ること.軍事史博物館は,今日の予定のベルヴェデーレ宮殿に近いので,先に寄って行くことにした.地下鉄でウィーン中央駅まで行き,ついでにユーレイルオーストリアパスの使用開始手続きをする.オーストリア鉄道オフィスに行き,パスポートナンバーを書き込んで,開始の判を押してもらった. 路面電車で最寄りの駅カルチエ・ベルヴェデーレまで行く.軍事史博物館は広い緑地の中に建っていた.ここはかつては武器庫であり,第二次世界大戦中はナチスの詰所であった.2階には16世紀からの古い歴史が展示されていた.突然の希望で割り込んだ予定なのに,注意しないと正さんはいつまでもゆっくり,この展示を見ている.1階が目当ての,第1次・第2次大戦の展示で,ハプスブルク帝国の皇太子フランツ・フェルディナントが暗殺された車両と衣服が展示されていた. 路面電車でベルヴェデーレ宮殿へ行く.大きな池に映る宮殿と広い庭は美しい.宮殿内部は美術館になっていた.そして,クリムトの絵を見た時に「これだ!」と思った.ホテルのベッドの上に飾られていた絵だ.彼の代表作の「接吻」でも,ポートレートでもない,地味な「森の中の家」だが,素敵な絵だなと思っていた.旅行しながら,一人の画家の名前を覚えるのも楽しい.チェコに行った時にはエゴン・シーレを覚えた.チェスキークロムロフがエゴン・シーレのお母さんの出身地で,美術館に立ち寄った時やはり,ホテルに飾られていたエゴン・シーレの絵を見つけてうれしく感じた.クリムトはシーレを援助し,2人は同時代にウィーンで活躍した.2人の絵が多数紹介されている.接吻のポストカードを買ったが,家へ帰って見ると,大きさもさることながら,美術館の中のあの本物でないと,引き込まれるような感動は得られないことがわかった. |
![]() 高射砲台 ![]() カール・マルクス・ホーフ ![]() |
路面電車を乗り継いで,アウガルテンミュージアムに行く.庭園の一角に第2次世界大戦中に使われていた高射砲台が残っている.あまりに頑丈で取り壊せなかったものだ. アウガルテン磁器工房には日本人女性が働いていて,いろいろ説明してくれた.中国から伝わった磁器技術はドイツのマイセンからウィーンに伝わり,その後ヨーロッパに広がった.当時,磁器は「白い金」と呼ばれ非常に珍重されたという.磁器の試し焼きの材料として金も惜しみなく使われたそうだ.エッゲンベルク城にある豊臣秀吉の時代の大阪城の屏風絵も是非見て行くようにと勧められた. 次に地下鉄の終点駅ハイリゲンシュタットにあるカール・マルクス・ホーフを見に行った.全長1キロ以上,1382戸が入った集合住宅だ.終点といっても思ったほど遠くはなかった.第1次大戦後の1923年から10年間の社会民主党時代に建てられた労働者用の市営住宅だ.託児所や病院も完備していたというから驚く.建物の下がアーチ状にくり抜かれて通路になっている. 今日は正さんの希望の3か所を回ることができた. いつものレストランでオーストリア料理ターフェルシュピッツを食べる.ブイヨンで柔らかく煮込んだ大きな牛肉と野菜にりんごソース.とても美味しかった.ちょっとドジだけどいつも「美味しかったですか」と気を使ってくれるボーイさんが「大きな台風が日本に向かっている」と教えてくれた.そして,なんとケーキをご馳走してくれた.「ウィーンにあと何日いるのか」と聞かれる.昼,ミュージアムのカフェでわざとおつりを間違えてくれたボーイとは大違いだ.「おつりが違う」と言うと,はじめは1ユーロコインを1枚だけ渡された.「30ユーロ渡したでしょう」と言うと「ノーファイブ?」と驚いて見せて,やっと5ユーロ札を渡してくれた. |
![]() ![]() パラシュートの崖 ![]() |
7月8日(火)晴れのち雨,マウトハウゼン 正さんの訪問希望地の1つナチスの強制収容所マウトハウゼンへ行く.ヒトラーはオーストリアのブラウナウの出身で,ブラウナウはオーストリア第3の都市リンツに近い所にある.そして,マウトハウゼン強制収容所はそのリンツの東約20キロの所に位置する.強制収容所は戦後長い間閉鎖されていたが,その後,博物館として一般に公開されるようになった.しかし,最寄り駅のマウトハウゼンから3キロほど離れているにもかかわらず,バスの便はなく,タクシーを使わなければ行くことはできない. ネットでウィーン西駅からマウトハウゼンへの乗り継ぎを調べると,リンツでバスに乗り換えとなっていた.しかも乗り換え時間5分,駅からバス停まで200メートルで約5分となっている.リンツについてから思いきりダッシュし,駅の職員など,頼りになりそうな人に出会ったら迷わず聞きまくって,やっと目的のバスに乗り込んだ.マウトハウゼン駅までは45分だ.乗客はだんだん減って,私たちの他あと1人になった.そこで,バスの運転手さんが突然「マウトハウゼン」と大声でアナウンスしてくれた.明らかに私たちに向けてのアナウンスだ.腑に落ちないながらもバスを降りると,バスはそのまま進んで行った.近くの店で「タクシーに乗りたいのだけれど」と言うと,快く電話でタクシーを呼んでくれた.結局,ミュージアムまでは近かった.親切なバスの運転手さんは私たちをマウトハウゼン駅の手前の,ミュージアム近くのバス停で降ろしてくれたようだ. ミュージアムの入場料は1人たったの1ユーロだった.ミュージアムはとても広い. 天気予報では午後2時過ぎから雨のようだったので,花崗岩の石切り場や「死の階段」と呼ばれた186段の石の階段,囚人が突き落とされた「パラシュートの崖」を先に見学した.ここは主に刑事犯,政治犯を収容した「死の強制収容所」であり,ガス室,死体置き場,金歯を抜き取るための解剖台,焼却炉などが残されていた. 3時半ごろ,オフィスでタクシーを呼んでもらって,外で待っていると,快晴だった空がだんだん暗くなり,遠くで鳴っていた雷の音が近づいてくる.タクシーに乗った途端に大粒の雨が降り出して,思わず「ラッキー」と叫んでしまった.マウトハウゼン駅から列車でリンツに行き,ウィーンに着いた時には雨も上がっていた. |
次はシェーンブルン宮殿 |