グラーツ
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7月10日(木)雨,グラーツ ウィーン・マイドリンク駅からグラーツへ.タクシーでホテルに着く.上の階まで緑一杯の中庭レストランでお昼を食べてから街に出る. ホテルはハウプト広場の近く.雨. 王宮に残る石の階段は二重らせんになっていて,左右両方に分かれて階段が連なっている珍しい構造だった. 雨なので,時計塔のあるシュロスベルクへは行かないでホテルに戻った. |
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![]() エッゲンベルク城 ![]() 3階の部屋数は24,窓の数は52(1年52週),建物全体では365 ![]() |
7月11日(金)晴れ時々雨,エッゲンベルク城 朝は晴れていた.路面電車でエッゲンベルク城へ行く.ハプスブルク帝国皇帝フェルディナント2世の重臣エッゲンベルクが17世紀に建てた城だ.広い敷地内には大きな樹が茂り,くじゃくが歩いている.「ニアー」とか「ミオー」とかいう大きな声で鳴き,人が近づいても知らんぷりでゆうゆうとしている. 10時,城の3階の豪華な部屋を,英語のガイドツアーで,もう1組の年配夫婦と4人で回った.窓や部屋の数は四季や暦や時間の数字にこだわり,壁や天井の絵は想像も駆使して世界を現わしている.マリア・テレジアの両親の肖像画がある.シャンデリアのガラスはオリジナル.技術の未熟なオリジナルの窓ガラスは波打って見える.日本語のオーディオガイドで聞いた説明は細かいところまで解説されていて全部聞こえるが,後には忘れてしまう.英語のガイドツアーで聞くと,細かいところは聞きとれないが,興味深いところだけ聞いているので,却って説明を覚えている気がする. そして,最後が日本の間.大阪城を描いた屏風絵が8枚に切り分けられ,中国の絵と並んで壁紙となっている.豊臣秀吉時代の大阪城や町の屏風絵は現在はここにしか残っていない貴重品らしい.丁度日本に帰った時,京都の祇園祭の鉾の内側にペルシャ絨毯が切り張りされており,それがまた,ここにしか残っていない貴重なものだとわかったという話が紹介されていて興味深かった.古い時代から芸術は国境を越えて行き来し,人々の心を魅了してきたのだ. ツアーを一緒に回った夫婦のご主人は英語があまり堪能ではなさそうだし,彼らが何語で話しているのか全くわからなかった.奥さんは絵に興味がある様子で,2階のギャラリーではブリューゲルの絵を部分部分に分けて熱心に撮影していた. 外に出ると雨だったが,昼食後,城の花壇に行った時には雨は上がっていた. |
![]() シュロスベルク |
路面電車でハウプト広場に帰ってきたら晴れ.ムーア川の横からエレベーターでシュロスベルクに登る.時計塔があり,グラーツの町が見渡せる.風に吹かれてベンチで少し休憩し,下りは歩いて降りた.アイスクリームを食べていたら,また,雨. ホテルの横のおしゃれな坂道を登って,ドームの壁に描かれたフレスコ画を見に行く.1480年にグラーツを襲った3大災難が描かれている.当時の3大災難とは,イナゴの大群の来襲,ペストの流行,トルコ軍の侵攻であった.ガラスで覆って保存されていて,光って,少々見にくかった.ペストの流行といえば,ウィーンにペストの終結を神に感謝して建てられたというペスト記念柱があったのを思い出した. ホテルで休憩.何でもめたのだろう.正さんと旅行に来るのも,今年で終わりか. |
![]() 時計塔 |
![]() ![]() シュロスベルクから見たグラーツの街 |
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