ハルシュタット


ハルシュタット

7月12日(土)晴れ時々雨,ハルシュタット

朝グラーツを出発,列車を乗り継いで,12時半,ハルシュタットに到着.それまで降っていた雨は上がった.駅の対岸の町に渡る渡し船のイスは濡れたまま.ハルシュタット湖の向こうに見える町は美しかった.ここは観光地で大勢の観光客が行き交っている.ネットでここのホテルの予約に失敗して,ホテルは湖岸から離れた町にあり,場所もはっきりわからない.インフォーメーションを探して,ホテルのある町,ゴーザウまでのバスの時間を確認する.インフォーメーションで荷物も預かってもらい,船着き場まで戻ってかわいい町の写真を撮り始める.

ハルシュタットには紀元前1000年から500年頃,岩塩を求めてケルト民族が移住してきた.ハルシュタットミュージアムには斧,石の鍬,岩塩を掘る道具,容器,壺,皮の靴,石のナイフなど,ハルシュタット時代の文化が展示されていた.ハルシュタットは塩の交易で古くから栄えたところなのである.

少し早い目にゴーザウへ向かうバスに乗る.ハルシュタットの町は山と湖の間の狭い場所に張り付いている.バスは町の後のトンネルを通り,山を越えて,1度バスを乗り継ぎながらゴーザウへ着いた.運転手さんはゴーザウの町のインフォーメーションの前で私たちを降ろしてくれたが,インフォーメーションは閉まっていた.近くに止まっていた車の人にホテルの場所を聞く.私たちの荷物を見ながら,「この坂道をぐるーっと登って行かなければならないよ」と教えてくれた.もう一度,子どもと一緒に庭にいた婦人に訊ねる.「英語は話せない」と言いながらも何とかホテルの方角を教えてくれ,やっとホテルに辿り着いた.庭にプールのある古い館のホテルだった.


ゴーザウ






アイスケーブ


ハルシュタット湖


ハルシュタットの町

7月13日(日)晴れたり降ったり,ダッハシュタイン連峰

朝,教会の鐘の音が聞こえる.ここゴーザウは静かな村だ.ハルシュタットのざわめきはない.ホテルのプールでもう2人の男女が泳いでいる.まだ少し,肌寒いのに.私はダッハシュタインの山に行く準備で冬物の長袖を着ているというのに.そして,セーターとコートをリュックの中に詰め込む.

9時半,昨日ホテルで調べてもらったバスでオーバートラウンへ行く.ここから2000メートル級の山々が連なるダッハシュタイン連峰までケーブルカーが出ている.迷った末,ケーブルカー3本,氷穴とマンモス洞窟見学のオールチケットを購入する.

ケーブルカーは急速に高度を上げていく.ケーブルを降りると「グループ3で,アイスケーブへ行きなさい」と指示される.ケーブルカーを降りた人たちと一緒に,木々の間の山道を登る.汗ばむほどの距離を登った所にアイスケーブの入口があった.入口は閉まっている.待っている人たちはみんな,子どもたちもちゃんと長袖のジャケットを着込んでいる.グループ2の人たちが出てきてドアが開くと,ひんやりした空気が流れてきた.急いでセーターとコートを着込む.要所要所でライトアップしながら,ドイツ語と英語の両方で解説された.電気が消されると中は真っ暗で,すぐそばは氷,頭上からは滴.冬は凍り,夏も地形のせいで冷たい風が吹き込んで,山の内部に1年中氷が残っているということだった.

アイスケーブを出ると外は雨だった.傘をさして,元の道を戻る.ヨーロッパの人たちは傘を使わないでそのままの格好で歩いている.ケーブルカーの駅で昼食をとる.
次はマンモスケーブだ.入口に次のツアーの時間が表示されているが,ケーブの入口までどれくらいの距離かわからないので行ってみる.まだ雨が降っている.ここも結構なハイキングコースだった.入口は閉まっていて誰もいない.次のツアーまで50分.まだ雨が降っている.お父さんと男の子がやって来た.今日は日曜日で子ども連れが多いようだ.15人程でツアーが始まった.英語は私たちだけのようで,ガイドは自分のすぐそばに付いてくるように言って,ドイツ語の解説の後,私たちだけに英語で説明してくれた.なめらかな岩は大水で流されたあとだという.岩の影が何かの宗教的な形に似ているという解説はガイドの判断で私たちには興味がないだろうと省略された様子.洞穴を登ったり降りたり,かなり歩いた.外に出ると晴れていた.

2つめのケーブルカーで連峰のほぼ頂上クリッペンシュタインに到達.ほとんどの人が山を歩き始めた.尾根伝いを行く3つめのケーブルカーに乗ったのは私たちだけだった.青空が見えてきた.カランカランと音がすると思ったら,牛がいた.首の鈴が鳴っている.ひっきりなしにしっぽや首を振ってあぶを追い払いながら草を食べている.第3ケーブルでクリッペンシュタインに戻り,下りの第2ケーブルの時間を確認してから,ファイブフィンガーズの標識に従って歩き始める.広大な景色だ.2000メートルの高地で息が切れて,足もだるい.かなりの距離を歩いて,ハルシュタット湖の見える所までやってきた.ファイブフィンガーズというのは崖っぷちからハルシュタット湖を見下ろせる展望橋のことだ.何だか足がすくむ.オーストリア人はこんな絶景を楽しむ仕掛けを作る人たちのようだ.

この展望橋を区切りに,もと来た道を引き返す.だんだん高さに慣れ,急ぎ足で,ケーブル出発10分前にクリッペンシュタインに着き,最終バス出発15分前にオーバートラウンに帰りついた.バスの運転手は来た時と同じ人.韓国からの若い観光客に「このバスが最終だから,どこそこまで行って乗り継いだ方がいいよ」とアドバイスしている.









7月14日(月)雨のち晴れ,ハルシュタット塩抗

朝起きたら雨だった.ホテルの女主人がバス停まで車で送ってあげると言ってくれた.出る頃には雨はあがった.バスでハルシュタットへ行き,インフォーメーションで荷物を預かってもらう.今日は1人2ユーロかかった.

ケーブルカーで塩抗へ向かう.ここは世界最古の塩抗で,しかも,今も操業中だという.ハルシュタットの町が見える.さらに登っていくと,道の途中の標識に耳のマークが付いているのに気付き,ガイドブックに日本語オーディオガイドがあるとあったのを思い出す.塩抗の入口で聞くと,ケーブルカー乗り場のコンビチケットを買った時に言うべきだったのだ.残念.高校生くらいの団体と一緒になった.彼らは英語だったので,ドイツ語観光客の方が少なかった.ドイツ語観光客は自分たちのことを「ヨーロピエン」と言って集まった.上下の作業服を着て,荷物を預けて出発.

岩壁や丸太造りの暗い坑道を行く.高校生のキャーキャー騒ぐ声が聞こえてきた.一人一人すべり台を滑って坑道を降りるのだ.降りた先は8度の世界だった.コンピューターの映像を岩壁に映して,岩塩の成り立ちが説明される.紀元前,海水は湖の様に取り残され,乾上がって岩塩となり,アルプスの造山活動で地中深くに埋もれる.この地帯一帯はザルツカンマーグート(塩の宝庫)と呼ばれ,古くから岩塩の産地であった.塩は「白い黄金」と呼ばれ,ハプスブルク家の財政を支えてきた.

高校生の笑い声と叫び声が響く中,もう1つすべり台を滑り降りる.ここでは,塩抗の歴史が語られる.塩坑で塩漬け状態の人間の遺体が発見されたというのだ.遺体と同時に発見された衣類や道具から,この遺体は先史時代の岩塩の鉱夫で,落盤などの事故により岩塩内に閉じ込められたのだろうという.発掘された遺体は,当時の人々によって雪の中を運び出され,ハルシュタットの教会で埋葬された.最後に長細い角材の昔風トロッコに乗って,見学コースを修了した.オーストリアでは社会見学もエンターテインメントに仕上げられている.

昼食後,荷物を受け取ってから渡し船で対岸へ.船の中で,2人だけの世界とばかり,日本語で話していたら,突然,日本語で話しかけられて驚いた.韓国の大学1年生だという.兵役を5カ月前に終えたばかりということで,正さんと政治談議に花が咲く.
「日本がうらやましいのは,万葉集の時代の文化が文字で,和歌として,直接残っていることです」
「昔,朝鮮は中国の文化を日本に伝えたのに,明治維新で日本は西洋の文化を取り入れて大きく発展した時に,その文化を朝鮮には教えてくれなかったのは残念です」
「ハングルは1文字で漢字1文字の読みを表わせるので,合理的.もう漢字を使う必要は全くありません.ハングル文字は多数あるが,今は使わない発音もあるので,数は減っている」等々.
列車でザルツブルクへ着くまで,話はつきなかった.

次はザルツブルク