8. ポツダムPotsdam

ベルリンに近い旧東ドイツの町.1745年にフリードリヒ大王が建てたサンスーシ宮殿や1917年,オーエンツォレルン家の最後の皇太子妃の名前が
付けられたツェツィーリエンホーフ宮殿がある.ツェツィーリエンホーフ宮殿ではポツダム会議が開かれた.

ツェツィーリエンホーフ宮殿
ツェツィーリエンホーフ宮殿は,1945年米,英,ソ連(トルーマン,チャーチル,スターリン他)によるポツダム会議が開かれた場所である.ポーランドの国境,ドイツの賠償問題など,
第二次世界大戦の戦後処理が話し合われ,日本軍の無条件降伏を求めるポツダム宣言が話し合われた.日本語のオーディオガイドがあり,会議室も各国の控室も見学できる.

7月6日(土)晴れ
9時半出発,12時半ポツダム到着.ホテルのフロントでツェツィリエンホーフ宮殿へ行くバスの乗り場を聞く.ホテルのカードでバスも地下鉄も無料とのこと.プラッツで乗り換えるようにと,
バスの時間もプリントアウトしてくれたが,バス停がわからない.「左に曲がって,広場に出たら,ビルの後ろにバス停があるよ」ところが,その広場がとても広い.ブランデンブルグ門を
ビルと間違えたり,バスを追いかけて走ったり,さんざん歩き回ってやっと赤い大きなビルの後ろにバス停を見つけた時には,調べてもらった時間はとっくに過ぎていた.そばにいた乗客が
「バスはいくらでも来るよ」と行き方を教えてくれた.
ブランデンブルク門 ――― ブランデンブルク通り
ブランデンブルグ門の下では,女性がよく響く美しい声で歌っていた.もう一人の女性は電子ピアノで伴奏している.しばらくうっとり聞き惚れるくらいだった.
ブランデンブルグ門の向こうは歩行者天国になっている.

 オランダ人街.18世紀のフランスのプロテスタント,ユグノーのオランダ人が祖国を追われ,ここで住んでいた.

ブランデンブルグ門の近くで夕食にする.ブランデンブルグ門では今度はたいことトロンボーンと電子ピアノの演奏になっていた.レストランの客の間を回ってきたので,
正さんがコインをいれたら,演奏の後に私たちの席に来て,「最後の曲は日本の曲だったのだけれどわかった?」と聞いてきた.宏二さんが「聞いたことのある曲だと思った」と言う.
正さんが「音楽は好きだけど詳しくは知らない.でも,素敵だった」と言うとうれしそうに帰って行った.私たちが日本人だとわかっていたらしい.
<ベルリーナ・ヴァイセ>
ヴァイスビールを緑色のシロップで割ったカクテルで,ベルリン特産品だ.ストローで飲むと甘くて,あと口にビールの味がして,なかなか美味しい.


サンスーシ宮殿

7月7日(日)晴れ
1日,サンスーシ宮殿で過ごす.フリードリヒ大王が建てたロココ様式の華麗な宮殿.6段のぶどう棚.
10時前にチケットを買いに行ったのに,すでに人が並んでいて,チケットは10時20分入場となっていた.30人ほどの観光客を5分毎に区切って入れている様子.中国人観光客が多い.
宮殿には12の部屋があり,まん中のフリードリヒのプライベートルームは美しく飾られている.
窓枠や壁の額から天井まで,ぶどうや花など金色の飾りに彩られ,外の光と部屋の雰囲気に一体感がもたらされている.壁の大きな鏡には庭が映り,
ぶどうや花の飾りで内と外は繋がっている.椅子やソファーのクッションは絹で張られ,床には美しい絨毯が敷かれている.
王はフルートを演奏したという解説で,チェンバロも置かれていた.客人用の部屋は幾分質素だが,美しい絵画が飾られ,部屋の奥にはベッドが置かれている.

フリードリヒ大王の墓
フリードリヒ大王は,寒冷でやせた土地にも育つじゃがいもの栽培を奨励したということだ.


オランジェリー

 
 中国茶館

 
庭園には大きな木の静かな林の道が続き,木蔭は涼しくて気持ちよかった.
かおるちゃん夫婦は花や樹木の名前をよく知っていて,いろいろ教えてもらった.
落羽松は沼杉のことで,樹木のまわりから呼吸根を出す,等々.


 次は ベルリン