9. ベルリンBerlin |
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7月8日(月)晴れ 今日は1泊前倒しでフリーになった月曜日だ.ベルリンの博物館は月曜日も開いているので,ベルリンまで往復することにした.ポツダムからベルリンは40分ほど,4人用一日チケットを買う. さすがにベルリンは大きな駅で上階から地下まで数多くの路線が入り込んでいる.しかし,駅の外には広い芝生があって,散水機が水を撒いていた. |
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ドイツ連邦議会議事堂 ――――――――― 首相府 ――――――――― 連邦参議院 |
首相府,ドイツ連邦議会議事堂の横を通って,ブランデンブルク門まで来ると,大勢の観光客で賑わっていた.くまやミッキーのぬいぐるみがうろうろしている. ブランデンブルク門から延びる大通りがウンター・デン・リンデン,菩提樹の下だ.中央分離帯も左右の歩道も菩提樹の並木路になっている. |
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リンデンバウム,菩提樹は中国原産のシナノキ科セイヨウボダイジュだ.釈迦の菩提樹はクワ科のインドボダイジュとのこと. 葉柄の真中から苞が出て,実がついている.変わった植物だ.丁度花が咲き,多くの実がなっていて,風が吹くと甘い良い匂いが漂ってくる. |
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フンボルト大学 ―――――― アレキサンダー・フンボルト ―――――― 歴史博物館 |
フンボルト大学には3人の像が立っていた.大学創設者で言語学者のヴィルヘルム・フンボルト,弟で地理学者のアレキサンダー・フンボルト,物理学者で生理学者のヘルマン・ヘルムホルツ. 建物の中や外で書籍を売っていた.大学の向かいはベルリン国立歌劇場だ. 大学横の歴史博物館では数多くの写真や資料が展示されていた.正さんが全てを丁寧に見て回るので,結局4時間はここで過ごした. ポツダムに帰ろうと,ベルリン駅で時刻表を見ていて,うっかりポツダマープラッツに行きかける.「これは地下やから違う.来た時は2階で降りた.第一方向が違う」と主張した宏二さん の株がぐんと上がる. 7月9日(火)晴れ,暑い 1日4人チケットを買って,再びベルリンへ.ホテルに荷物を預けて出発.Sバーンで,ウンター・デン・リンデンの反対の端,アレキサンダープラッツ駅に行く. テレビ塔やベルリン市庁舎周辺も工事中だった.マリエン教会は森鴎外の舞姫の出会いの舞台となったところだ. |
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テレビ塔 ―――――― ベルリン市庁舎 ―――――― マリエン教会 |
ドイツには車道と歩道の間に自転車専用道路がある.街を見ながらうっかり歩いていると,知らない間に自転車道に入り込んでいて,自転車の人に注意されてあわてる. 中には,腹を立てて通りすぎて行く人もいる.石畳の歩道の横に,見晴らしが良く,平らで歩き易そうな道が続いているので,つい,そちらに踏み込んでしまうのだ. |
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ベルリン大聖堂 |
ベルリン大聖堂に入る.ドームの天井は高く,大きなパイプオルガンがある.地下は墓所となっており,見学コースに従って,上の階の礼拝所に座ると,ドーム全体と,正面に パイプオルガンが見えた.12時,突然,パイプオルガンの演奏が始まった.聞き覚えのあるバッハのトッカータとフーガだ.実際に教会の中で始めて聞いたパイプオルガンの 響きは荘厳だった.ああ,この響きだったのかと感じる.15分の演奏. 上の階に行き,いくつもの階段を登って,ドームの外へ出て,周囲を見渡すことができた. |
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テレビ塔 ―――――― ペルガモン博物館 ―――――― シュプレー川 |
ペルガモンはトルコのミュシア地方にあった紀元前2世紀,ヘレニズム時代の古代都市だ.ゼウスの大祭壇がそのままの大きさで再建されている.日本語ガイドを聞きながら廻る. エーゲ海の古代都市モレトスの市場門,濃い青色の印象的なバビロニアのイシュタール門など,その大きさに圧倒される.ドイツの学者が発見し,ドイツに持ち帰ったり, 買い取ったりしたものだ.ギリシャ,ローマ,中近東ヘレニズム,イスラムの数々の美術品が展示されている. |
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ゼウスの大祭壇 ――― エーゲ海の古代都市モレトスの市場門 |
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バビロニアの行列通り ――― バビロニアのイシュタール門 |
旧ナショナルギャラリーに閉館の6時までいた.ドイツ人画家の絵をあまり知らないのに気付く.フランス印象派のセザンヌ,ルノアール,モネ,マネの絵があった.これはお馴染み. 7月10日(水)曇りのち晴れ 1日チケットを買い,ザクセンハウゼン強制収容所に行く.ベルリンの北約30kmの町オラニエンブルクにある.駅を降りてバスの時刻を調べたが,待ち時間が長いので歩いていくことにする. 初めは表示に従って歩いていたのだが,どこかで道を間違えたらしい.かなりの距離を歩いたのに,それらしい建物は見当たらない.ガソリンスタンドで道を聞くと,「ずい分間違えて歩いた わね」という顔をされた.「英語でうまく説明できないわ」と言いながら大体の方向を示してくれた.外に出ると,自転車の男性が話しかけてくれた.自転車を降りて押しながら,曲がり角まで 一緒に歩いてくれる.「インターネット関連の日本の企業に勤めていた」と言う.「ラックン」みたいに聞こえた.え?ああ「楽天」とやっと聞きとれた.でも,「日本には行ったことが無い」とのこと だった.後ろから自転車の音がして,宏二さんが飛び退く.「ドイツには自転車専用道路があるからね.日本には無いのでしょう」とその男性は笑った.曲がり角でもう一度道を教えてくれて, 「その辺りで,また,誰かに聞いた方がいいよ」と言いながら彼は去って行った. 道路工事のおじさんにも道を聞きながら,やっと目的地に辿り着いた. |
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収容所は結構広い敷地で,若い人たちもたくさん見学に来ていた.入口に,アウシュビッツで見たのと同じ「働けば自由になれる」の文字が掲げられている. 大きな高い慰霊塔が建てられていた. 帰りはバスの時刻を見ていたが,道路工事のため,バス停が変更されていて,またしてもあわてて走る羽目になった. |
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ポツダマープラッツ駅周辺 |
オラニエンブルクからSバーンでポツダマープラッツ駅まで行き,壁博物館へ行く.見学者は多く,ベルリンの壁があった頃のいろいろな記録,壁を越えるための いろいろな手段など数多くの資料が展示されていた.車のほんのわずかな隙間に身体を押し込めたり,2つのスーツケースを繋いで隠れたり. さらにシュプレー川沿いの,今も壁の残されている場所へ行く.壁にはいろいろな絵が描かれている.富士山や五重の塔,ニューヨーク-ベルリン-トキョーの文字などもあった. ベルリンの壁が崩壊したのは1989年11月9日だ. |
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