2011年6月
東北,田沢湖から十和田湖-1
 
角館武家屋敷
東北旅行に行ってきました.
今年はベルギーに行こうと思っていたのです.3カ月前の3月,そろそろ飛行機を取ったり,ホテルの予約を始めようかなと思っていた矢先の大地震と津波と福島原発事故でした.毎日毎日,朝から晩までテレビの前ではらはら,どきどきしている内に気が付くと2カ月は過ぎ,5月のゴールデンウイークも過ぎていました.旅行は6月と決めていたので,今から海外旅行の準備にはちょっと時間が足りないし,テレビでは京都でさえ観光客が減っていると報道しているので,私たちが何も今,わざわざ海外に行かなくても東北に旅行しようと思い立ちました.
正さんの提案で車で行くことに.大丈夫?でも運転手本人が言うことなのだからいいのでしょう.新潟県松之山の友人を訪ねること,山形県にある土門拳記念館に行くこと,秋田県のわらび座公演を観ること.この3つが彼の希望です.東北旅行は初めてです.旅行ガイドブックを買ってきて,わらび座のある田沢湖と青森県の十和田湖を訪ねることにしました.十和田湖から流れる川が奥入瀬渓流だと初めて知りました.白神山地が世界自然遺産だということも.
ネットのドライブ情報を検索すると,新潟で一泊しても田沢湖まで丸二日かかることがわかりました.
旅館を予約して,さあ,出発です.

6月9日(木)
名神高速道路は工事渋滞.毎年ゴールデンウイーク明のこの時期に集中工事をする様子です.琵琶湖の西,湖西道路にでました.美浜,敦賀,柏崎,今回は原発の横ばかりを通るような気がします.北陸自動車道は空いていて遅れを十分に取り戻して新潟のホテルに着きました.

6月10日(金)
今日も丸一日走って,田沢湖の近くの角館に到着.座っているだけだけれど結構疲れました.「次回はもうちょっと寄り道をしながら走れる日程にしたいね」と正さん.
ホテルにはまだ空き室ありの表示.角館は武家屋敷や蔵が立ち並ぶ秋田藩の城下町で,懐石料理を出すレストランが2,3軒はあるのだけれど,行ってみるとどこも前日までに予約が必要という立て看板が出ていて,閉まっていました.やはり,観光客が減っているのですね.
 
6月11日(土)
朝,武家屋敷を歩いて回りました.観光客も少し増えてきたようです.庭や屋敷は開放され,資料館には食器などの日用品,槍,刀,鎧,兜などの武具,古文書や掛け軸,綿入れの夜着(掻巻(かいまき))などが展示されています.
冬は1メートル以上も雪が積もるので,屋敷の周りには雪囲いをして,12月から4月までは閉鎖するそうです.
黒い板塀の続く通りにはりっぱなしだれ桜が立ち並び,緑美しい枝が目の前まで垂れ下がっています.
近くの川の土手も桜並木で,桜の季節に来たらどんなにきれいだろうと想像するのですけれど,店の人の話では,その時期には大勢の人出で,車では町にも近付けない程だと言うことです.
ヤマザクラの皮で作った樺細工をおみやげに買いました.イタヤカエデのかごも作られていました.

解体新書の挿絵画家は小野田直武という角館の武士でした.直武は平賀源内に西洋画の技法を学び,東洋の遠近構図に西洋の陰影法を取り入れた新しい画流を作りだしました.解体新書は杉田玄白が翻訳し,原書ではレンブラントが描いた挿絵の解剖附図を直武が描いたのです.この解体新書の挿絵と直武の生い立ちも展示されていました 
 
田沢湖

浮木神社

午後,わらび座のある,たざわこ芸術村に行って,ミュージカル「おもひでぽろぽろ」を観ました.歌も踊りも場面構成もとてもよかったし,行く前に予約して行ったので,前から7列目の真ん中の一番良い席で鑑賞でき大満足でした.


今日は田沢湖湖畔で泊まります.田沢湖は日本で一番深い湖で冬も凍りません.かつては固有種クニマスが生息していましたが,1940年発電所の建設で水質が悪化して魚類は絶滅しました.その卵が放流されていた山梨県の西湖でクニマスの生存が確認されて話題になったのは,ついこの間のことです.

田沢湖にはまた,美しい娘,辰子がその若さと美貌が衰えないようにと観音様に願をかけて湖の水を飲み,ますますのどが渇いて飲み続け,竜になったという伝説が残されています.
 
   
田沢湖の伝説
 
八幡平


 6月12日(日)
朝食に降りてきた人たちを見て,ここも観光客が少ないと感じました.
北に道を取り,十和田湖を目指しました.道路わきの玉川の川幅が広くなってきたところに鎧(よろい)畑(ばた)ダムがあります.ダムによる水力発電がまた見直される昨今のようです.さらに上流に玉川ダムがあります.このダムによってできた宝仙湖のそばにダムの資料館が建っていました.このダムは玉川酸性水中和処理施設として働いているそうです.上流の玉川温泉から流れる水は強酸性で,魚は死滅し,水田にも使えないということです.1940年に田沢湖を使って中和しようとして失敗し,反対に田沢湖の魚が全滅することとなりました.玉川ダムは1973年から17年かけて建設され,1990年に完成しました.ここで中和された玉川は発電の他,かんがいにも上水道にも利用されています.

八幡平アスピーテラインに入りました.山を登るにつれ黄緑色のブナの原生林の中に黒っぽい濃い緑のトドマツが増え,さらに登るとトドマツばかりになり,木の丈も低くなりました.山頂には思いがけないことに,雪が残っていました.車を降りて遊歩道を散策しました.赤い旗が見えたので,通行止めかと思ったら,雪で道がわからないので目印に立っているのでした.滑りながら雪道を行き,小さな湖や沼の横を通りました.標高は1613メートル.なだらかな山なので山頂ですと書いていなければここが山頂だとは気付かないでしょう. 
   

大沼

 アスピーテラインを元の方に降りる途中,大沼でちょっと休憩しました.駐車場の横に松川地熱発電所が建っています.そう言えば岩の間から湯気の立ち上っている所がありました.この辺りは地熱が高いのか,地下水がマグマで熱せられてできた蒸気でタービンを回して発電する仕組みだそうです.

大沼に降りて行くと沼の周囲にミズバショウが咲いていて,遊歩道がついていました.艶やかな葉が生い茂っていて道は沼を一周しています.れんげつつじが咲き,水辺にはコバイケイソウやミツガシワの白い花が咲いていました.名前は家に帰ってからネットで確認しました.ナナカマドも白い花を付けています.

コバイケイソウ

 ミツガシワ
 
レンゲツツジ

ナナカマド
   
 

十和田湖
 十和田湖湖畔荘に着いて,湖畔を散歩しました.高村光太郎の乙女の像,そして近くには十和田湖神社があります.とても静かで落ち着きます.いつもだと修学旅行の季節なのだけれども,全部キャンセルされて,宿泊客は私たちともうひと組の夫婦だけということでした.青森県のこんなにも遠くまで原発事故の影響があって,旅館の方はとても悲しそうでした.節電のせいでロビーも薄暗く物悲しい感じです.
   つづく