1997年夏
草原の国モンゴル
隣のゲルを訪ねるつもりのようであった.同じツアーの新婚夫妻の守君とこずえちゃん,もちろんわたしたち夫婦も,初めての乗馬で,カメラはもちろん,飛ばされて馬を驚かせてはいけないと帽子もかぶってはいなかった.草原を渡り,車の轍で作られた道を越えた向こうにそのゲルはあり,馬を繋ぐために渡した綱がポツンと立っていた.カメラを持ってこなかった事を正さんはとても悔しがった.ゲルの人々はとても親しく私たちを迎え入れてくれ,大きなどんぶりになみなみと馬乳酒をついで,すすめてくれる.大家族で住んでいる様子で,その中の若い一人が明日結婚するという.2つ並んで建てられたゲルの隣にもう1つ建てかけで赤い枠組みだけのゲルが並んでいた.それが若い2人のスイートホームなのだ.モンゴルでは結婚するということは新しいゲルを建てるということであり,祝宴には近所の人が集まって3日間も飲み続けるという.
昼食後カメラを持って出直した時には,彼らはもうとても忙しそうであった.沸騰した大鍋の横にぶつ切りの羊肉が並んでいるのが戸口からチラッとみえた.
バスはウンドルシレットのキャンプ場についた.モンゴルの大地に降り立つと真っ先に強い草の香りがして,ここが大草原の国モンゴルだという強い印象をあたえた.草丈は高くはなく,草はまたびっしりと大地をおおっているというのでもなかった.小さなねぎのような葉にピンク色の小さな花がさいていた.その横に,低くまばらに生えている小さなよもぎのような草,それがその強い香のもとであった.
翌朝,いつもの旅行のように早く起き,カメラを持って正さんと二人で近くを散歩した.ツール川は蛇行し,幾筋もの三日月湖を残しながらゆるやかに流れていた.丘の上には牛たちが群れている.じっとこちらを見ているが,近づこうとすると知らない間に離れていく.一定の距離以上には近づかせてくれない.私たちが牛に見られているのだ.突然,川の端の葦の中で鳥の鳴き声がし始めた.つるの仲間のようだ.クァークァーと騒がしく鳴いていたが,もっと近づくと飛び立ってしまった.私たちが近づいて行ったので警戒して鳴いていたのだ.彼らに近づかないように離れて歩くと,騒がしい鳴き声は止んで静かになった.
「正さん,あの山に登りたいですか?」とアリョーナは聞いてきた.アリョーナは夏休みのアルバイトにこのキャンプで働いている若い女性スタッフだ.9月からはウランバートルの大学で日本語を勉強するという.将来は法律の勉強をして,政府機関で働きたいのだそうだ.「日本語は自分で自然に覚えました.でも日本語は難しいからあまりよくわかりません.英語で話してもいいですか」とアリョーナは私たちに聞いた.眼下に広がる草原の手前に,つまんでできたような岩山があった.「男の人だけです.多分,traditionalの理由です」フルレに聞きながらアリョーナが答える.
「馬で登ります」ヒエー!馬で?びっくりして声をあげた私を見てフルレは笑った.丘をくだると,もうそこは岩山の登り口だった.モンゴルの馬は丈夫だからなあと,一足一足踏みしめて歩く馬の姿を想像していると,フルレは私とアリョーナの馬だけでなく,自分と正さんの馬も2頭づつ向かい合わせに繋ぎ始めた.え?え!冗談なの?てまねで写真に撮っておいてと言いながらフルレと正さんは岩山を登っていき,すぐにその山頂に小さく姿を現して両手を振った.
私たちが泊まったのは,椎名誠が映画「白い馬」を撮影するために作った「ゲル」を観光客の宿泊テントとして利用したもので,ベッドに横になったらゲルの入口からすぐ横を流れるツール川と遠くの山がずーっと見えて,とても心地よかった.入口は東を向いているので,朝日はとても眩しい.
丘に上がって私たちのゲルの方へ歩き出すと,馬に乗った人が一人20数頭の馬と一緒にやってきた.彼は現地の言葉で私たちに何か言った.私はどこから来たのか聞かれたような気がしたのでゲルの方を指差すと,そのおじさんはうなずいて去って行った.気が付いてカメラを手にした時には馬に乗ったおじさんと馬の群れはあっという間に遠ざかっていった後だった.
キャンプ場へ戻って朝食の後,私たちの世話をしてくれる通訳の女性のツールが,私たちを勝手に行動させたからといって叱られたと打ち明けてくれた.「お客さんを危険な目に合わせてはいけない.どこへ行くのも付いて行かなければならない」と言われたそうだ.「朝の光が美しいから,どこへ行っても夜明けごろに散歩するのが慣わしなの」私たちは勝手に出かけたことを彼女に詫びた.

つづく

川のすぐ傍まで降りて行って静かな川とその遥か向こうに連なる山々を眺めていると,馬の群れがやってきた.白い馬や茶色い馬など十数頭はいる.馬たちは次第に近づいてくると4,5メートル先で紳士的に立ち止まって私たちを見た.その先頭の馬の目をじっと見つめていて私ははっと気が付いた.
私は突然彼の言いたいことを理解したのだ.私たちは後ろへ下がって,川へ降りる道を譲ると,彼らは一斉に川に入って水を飲み始めた.その後ざぶざぶと腹まで川に入っていき,やがて駆け出し,走り去って行った.実に美しい光景だった.
あとであの小山に登ろうと言っていた,その丘にもう来ていた.羊や山羊たちがメエメエ草を食べていた所である.小山の頂上には石が積み上げてあって,てっぺんに棒がさしてあった.オボーといって,左から3回まわって願い事をすると叶うのだという.砂と草の草原でどこからこの石を持って来たのだろう.オボーは山の上だけでなく,道路沿いにゲルが並んでいたそのそばにも造られていた.モンゴルの人々がみんな信心深いのか,ツールがこういう説明をガイドの役目と心得て熱心に説明してくれるのか,わからなかった.
小山の上から見渡すとぐるーっと草原は山に囲まれていた.遠くから見るとそれはとても高い山のように見える.しかし,山に向かって歩いていくと足元は知らない間に緩い傾斜になっていて,気がつくと山はもう馬で越えられる位の小さな3つの峰になっている.左をぐるーっと回って行ってもよし,峰と峰の間を行くもよし.先頭の馬の行く方に必死について行くと,知らぬ間に馬も少し足を踏みしめる程の上り坂になっていて,登りつめるとそこにはパアーッと,また次の草原が目の前に広がっていた.
朝食のあと,みんなで馬に乗った.馬は歩きながらでも糞をする.草原の草を食べているので糞は緑色をしていた.前を行く馬に異常接近していって,背中に首をのせたり,乗っている人の足に首をのせたりして,それから,ブルルッと鼻息を吹きかけてくることもある.現地スタッフ,フルレの乗っている馬がお父さん,そして私たちの馬はその子供たちなので,仲良くついて歩く.広い草原を行くのに仲良すぎるくらいかたまって歩く.モンゴルでは馬で一緒に行こうということを「鐙を鳴らしながら行こう」というそうだ.並んで歩くと隣の人の鐙に自分の鐙が触れ合ってカラカラと音がする.そうしながら広い草原をどこまでも歩いていくのである.