「今日,ジープが来なかったら,明日のカラコルム行きは中止です」とツールは言っていた.モンゴルでは予定は予定通りではないと聞いていたのでそんなもんだろうと思った.こずえ夫妻も「カラコルムと熱気球ツアー」のはずが,器材が日本から届かないので熱気球はキャンセルになったらしい.昨夜10時まで待っても車は来なかったので,朝食は9時という約束にしていた.それで今朝,「今日はゆっくりできるから朝食の後また寝ることにしよう」と,日の出前にカメラを片手に散歩にでかけた.戻ってみると「夕べ遅くにジープが来たので,今日カラコルムに行きます」とツールがあわてて私たちを呼びに来て,朝食もそこそこに出発することになった. | |
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草原の中を行く道は草原の中を流れる川のようにどこまでも蛇行して続いていた.山を越えるとその向こうにもまた,草原が広がって,そのまた向こうの山まで続いていた.濃い緑に見える所は雲の影だった.太陽に照りつけられるとカッーと暑くなったが,雲の影に入ると一気にひんやりとする.日本国中蒸し暑いという大阪にいた時は理解できなかったが,夏は涼しい場所を求めて,冬は風の遮られる日溜まりの斜面に遊牧することが可能なのだと理解できた.それにしても車の揺れは大変なものだった.舗装もない道をそれに見合わないスピードで飛ばしていくのだ. |
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今日も一軒のゲルに立ち寄って,馬乳酒と腸詰などのもつをご馳走になった.あっさりして美味しい.鍋の横には羊の頭蓋骨が焼けていた.モンゴルでは見知らぬ旅行者も必ず暖かく迎え入れられる.そうでないと,誰もこの広い草原を旅することはできないのだ. ゲルの外では,馬の乳しぼりをしていた.母馬の横に子馬を向かい合わせに寄り添わせて一頭ずつ乳を搾る.子供たちが馬の準備をして待つなか,お母さんがバケツを持ってまわって乳を搾る.一頭に5分位か,とても速い.馬乳酒はその家その家で微妙に味が異なる.アルヒというのは無色透明のお酒だけれど,これも乳の香りがした. |
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ぱらぱら降っていた雨はいったん止んでいた.日本と違って,雨上がりはからっとして多少濡れても後はさわやかだった.明日ウランバートルに帰るグループがあるのでキャンプファイヤーをするという.遠くの方では雨雲が見え,雨が降っているようだ.夕方の風はいつもよりやや強めだったが,キャンプ場のスタッフの人たちは大きな薪を運んできて,準備が進められていた.暗くなってますます風は強くなり,薪は一気に燃え尽きそうな勢いだった.若い旅行者たちと強い風の中で歌を歌い,花火をした.花火は風にあおられて真横に流れた.遠くで稲光が光っている.「風よ吹け!嵐よ来い!」狂ったリア王のように,私も風に向かって叫びたい衝動にかられた.そのうち雷は近づいてきてやがて満天の嵐となった.広い大きな空一面カッーと稲光が光る.雨が降り出して,はじめてキャンプファイヤーは解散となり,私はゲルへ逃げ込んだ.嵐の中でゲルはなんと頼もしい存在なのだろう.雷も雨も風もゲルの中には入ってこない.羊の毛皮で覆われたゲルは暖かかった.どのゲルも白いシートで覆われているが中の骨組みは朱色に塗った木でできていて,幾何学模様が描かれている.天井の部分に空いている丸い穴にかぶせてあるシートにはひもがついていて,外からひもを引っ張ると半円があいて空がみえる.そのシートは割合分厚くて,朝になっても天窓を開けないと部屋の中は真っ暗なくらいだ.嵐の中,懐中電灯で照らしてみると天窓の部分に水に濡れたしみができていた.まだ11時だったが,私たちはベッドに潜り込んだ.外はまだ雨が降っているようだった.ふと目が覚めると冷たい風が顔を通り過ぎていった.まだ嵐の真ん中にいるようである.突然天窓が光って一面の明るい空が見えた.また,冷たい風が吹き込んできた.もしかしたら天窓のシートが吹き飛んでしまったのではないだろうか.心細くなって急いで懐中電灯で天窓をてらしてみた.シートは無事のようである.また光った.風向きが変わったのだろうか.このまま風が吹き込めばゲルの中はたちまち冷え切ってしまうだろう.「どうしよう」と不安に思いながらも,掛け布団を首の回りにしっかり引き寄せると,再び眠りに落ちていった. | |
嵐のあとはとても静かで月がこうこうと照っていた.星も光っている.遠くの山やそばを流れる川は暗闇の中に潜んで見えないが,ゲルのまあるい形がぼーっと白く浮きあがってみえる.背の短い草に長い長い影ができていた.モンゴルの草の香りが漂ってきた. | ![]() |
その時,向こうに立ち往生している車がいるから,ちょっと助けてきますと,運転手のオットゲレルさんが言った.見ると川の中に車が落ちていて人が必死で押している.どうしてあんな川の真ん中などへ落ちたのだろう.オットゲレルさんが綱でくくりつけて引くと,我々の乗っていた日産パトロールはなんなくその乗用車を引き上げた.乗用車には家族らしい人々6,7人が乗っていたが,エンジンはまだ無事に音を立てていた.車からはぼたぼた水が流れ落ちている.子供たちは濡れなかっただろうか.そこへ向こうからバスがやってきた.こちらへ向かって来る.そして私たちの横,その川を渡って走り去った.モンゴルでは川は通り道なのだ! | ![]() |
モンゴルの古都カラコルムに唯一残されたラマ教の仏教修道院,エルデニ•ゾーは百八の白い仏舎利塔に囲まれていた.かつては1万人の僧侶が住んでいたそうである.ソビエト連邦共和国時代に宗教は禁止されたが,1990年のソ連崩壊後再び,伝統音楽や舞踊と共に宗教活動も認められるようになった.仏教学校が建っていて,少年の僧侶もみかけられる.修行僧の部屋に飾られていた絵はラマ教独特の雰囲気が漂っており,牛や馬の顔は目も鼻も大きく誇張されて,守り神の力を誇示していた.仏像は日本のような抽象的な表情ではなく,誰かの顔のようであった.何かの講義が行われていて,たくさんの僧侶たちがぞろぞろ出てきたあとの建物にも案内されて入ることができたが,そこは乳臭いにおいが立ちこめていた. | ![]() ![]() |
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オットゲレルさんは車の中で寝ながら待ってくれていた.「草原か川かどちらがいいですか」と彼は聞いた.私たちが「川がいい」と答えたら,それは昼ごはんの場所のことだった.車からは,シート,お皿とスプーンセット,スープ,パン,スパゲッティ,ソース,紅茶,そのうえデザートのチョコレートケーキまで出てきた. | ![]() |