2009年
チェコ,ポーランド-1プラハ

 
9月23日(水)晴れ
フランクフルトで乗り換え,ルフトハンザでプラハ空港に到着した.後ろの座席からは日本人ツアーのおばさんの気楽なおしゃべりが聞こえてくる.アナウンスはチェコ語,ドイツ語,英語の順だったような気がした.8時少し前で,ちょうど夕日が沈んでいく.空港で10万円を両替した.15600コルナ.タクシーでホテルへ向かった.フロントの親切な説明,その@支払は現金かカードで,ユーロは使えません.そのA危ないのでパスポートはホテルのセキュリティーボックスに入れて行くように.そのB日本語ガイドのついたおすすめツアーもいくつかありますよ.でも,パスポートは持って歩こうと思う.指さし会話帳も一緒に.
 
 
 
プラハ駅
9月24日(木)曇り時々雨
朝7時頃,ゴミ収集車の音が聞こえたので窓からのぞくと,ゴミ収集車の後ろに2連結のトラムが止まって待っている.きっと出勤だろう,もうすっかり支度を整えた人が座席に並んで座っていた.
9時過ぎ出発.高架の線路を見てみようと階段を上って行くと線路を人が歩いている.「駅に行くなら通っていいよ」と言うので,線路を歩いて駅構内に入る.まず,今回の旅行の列車乗車券を買おうとチケット売り場を捜して,若そうな男性に声をかけたが,英語は通じなかった.チェスキークロムロフからテルチ,オロモウツ,そしてクラクフまで行く予定で,事前に日本で調べてプリントアウトしていった時刻表を見せる.クラクフはポーランドなので,別の売り場だったが,とにかく全部の切符が買えてほっとした.いずれも座席指定はなく,2日間有効の乗車券だ.
そのまま旧市街に向かう.プラハは14世紀,神聖ローマ帝国の首都だった.旧市街広場まで観光客がとても多い.英語を話す人,中国語を話す人,フランス語を話す人など,10人から20人程のツアーらしき団体で移動している.外国人が多いからか私たちがチェコ語を話せなくてもあたりまえという様子がお店の人に見受けられる.まだ慣れていないのでドブリーデンの挨拶がなかなか口に出てこない.
 ティーン教会はゴシック様式,聖ミクラーシュ教会はバロック様式と,外観も内部もそれぞれに異なる.聖ミクラーシュ教会にはりっぱな彫像が数多くあり,絵画も天井画もすばらしい.フランスの教会とは違ってステンドグラスはない.旧市庁舎の仕掛け天文時計が12時を告げるのをみんなと一緒に並んで待った.上の2つの小窓にキリストの12使徒が回っていくのが見える.骸骨の死神が鳴らす鐘は期待したよりシンプルな音で,周りの観光客から「ああ,これで終わりか」というような溜息と微笑みがもれた.
カレル橋の辺りはさらに多くの人で賑わっていた.カレル橋には30体の聖人像が並んでいる.一部は工事中で,聖フランシスコ・ザビエルの像も近づいては見れなかったが,台座を支えているのは確かにちょんまげ姿の日本人だった.橋の上は似顔絵を画く人や小物を売る人が大勢で,音楽を鳴らす人もおり,対岸には明日行くプラハ城が見えている.
橋を渡ったところの小さなお店でお昼にし,「ドブリーデン(こんにちは)」と「プロシューム,プラチット(お勘定)」のチェコ語にトライする.まわりの観光客に普通に英語で対応しているお店の人もうれしそうに笑ってくれた.
広場も通りも橋も,とにかく人がいっぱいだ.道端でクラシックカーや馬車で巡るツアーを呼びかけている.モーター付き二輪車に乗っている人がいたが,これもきっと観光客向けに貸し出されたものだろう.
プラハの建物は色とりどりで彫像もたくさん立っている.教会もいろいろだ.金ぴかで少し東洋的な感じのするもの,シンプルなもの,豪華な絵や天井画や彫像のあるもの,どの教会も夕方6時頃からコンサートを開催していて,そのチラシを配っていた.
 
 
旧市庁舎の仕掛け時計

カレル橋を渡りきったところ
 
カフカのブロンズ像
 旧市街広場の教会の横にカフカの生家を見つけた.カフカの顔のブロンズ像が壁面に飾られている.今回チェコに来る前に急いでカフカの変身を読んだが,もうひとつしっくりとはこなかった.
今日は久しぶりによく歩いて足がすっかりくたびれてしまった.
夜,雨の道路を車が行くような音が聞こえてくる.今日は時々雨が降って傘をさしたが,長い時間は降らなかった.明日のお天気はどうだろうか.
 9月25日(金)晴れ
昨日は旧市街を歩いて,カレル橋を越えたが,今日はブルタバ川の向こうのプラハ城にトラムで行こうと思う.ホテルを出ると尋ねるあてがないので,フロントでしっかり聞いておこう.プラハ城は「プラシュスキーフラット」だ.今日のフロントのおじさんはちょっと素っ気ない.一応「9番のトラムに乗って,川を越えたら22か23に乗り換える」と教えてもらった.ガイドブックにはホテルでトラムチケットを買えるとあったが,ここでは売っていないらしい.コインへの両替もしてくれない.まあとにかく出発しよう.トラム駅前の花屋さんで聞いたら,チケットは向かいのタバコ屋で売っているとのこと.26コルナの乗り換え用チケットを,帰りのも含めて4枚買う.お店では英語が通じるようだ.
トラムに乗り込むとすぐにチケットを改札機に差し込んで印字した.トラムからの眺めは楽しい.カレル橋より1つ北の橋でブルタバ川を越えたのが見えたので急いで降りる.トラムはあまり間を開けずに次々にやってくる.22番が来た.トラムはプラハ城に向ってどんどん坂道を登って行く.トラムのアナウンスは「ここは○駅」のあと必ず「次は○○駅」と放送する.「次はプラシュスキーフラット」と聞こえたところでいやに大勢のお客さんが乗り込んできた.そして,プラハ城ならみんな降りるだろうとの予想は外れて,降りそこなってしまった.戸口の近くにいた正さん,もうちょっと大声を出してくれたらいいのに.
やっと,プラハ城に着いた.一旦中庭を出て,正門前のフラッチャニ広場へ向かう.アメリカのオバマ大統領が初めて,唯一の核使用国としての道義的責任を口にし,核のない世界に向けての行動を世界に呼びかけた,今年4月のあの演説を行った広場だ.きっとこの広場でプラハ城を背にして演説したに違いない.旅行から帰ってから,オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したというニュースが入り,テレビでこの広場が何度も放映された.「私たち,あそこを見てきたよ」と鼻高々の私たちである.
チケットを買って,城の変遷の外観模型や女性の衣装などの展示物を見て回る.スコットランドの城とはまた趣が異なる.城は大統領府として使われており,全部が公開されているわけではない.オーディオガイドに日本語はないので借りなかったが,説明書きの文字も全くわからず,見たものの印象が薄れる気がする.建物はみやげものや書籍の展示に使われていた.黄金小路と称されるみやげもの屋の並んだ長屋は城の要塞だったようで,2階には銃のための回転小窓が規則的に並び,たくさんの甲冑やいろいろな形の槍がずらっと並べられていた.石の階段が地下の小さな石の部屋に続くあたりは当時の城のままだが,建物の階下はあやつり人形,マトリョーシカ人形,カフカの本,ムハの絵,小物,装身具,飾り物などのお店が続く.外壁はカラフルに塗られ,鮮やかな青色はカフカが使っていた室で,カフカの本が売られていた.城内のもう1つの教会,聖イジー教会でもコンサートが開かれるようだ.
城の南側からはプラハの町が見渡せた.赤い屋根の家々,ブルタバ川,昨日行ったティーン教会の尖塔も見える.
足を延ばしてバロック様式のロレッタ教会へ向かった.美しい鐘の音が聞こえてくる.デンマーク人技術者がアムステルダムで鋳造したという27個の鐘が奏でる昔の巡礼歌,マリアの歌だ.その後に3時を告げる鐘の音.金銀宝石,ダイヤモンドをちりばめた高価そうな燭台や聖体顕示台など数多くの宝物が中庭を取り囲む部屋に展示されている.
それから,ストラホフ修道院に向かった.ここの哲学の間と呼ばれる図書館がすばらしい.バロック様式で,両側に本棚,床には地球儀,そして天井には美しいフレスコ画が描かれ,何か独特の雰囲気がする.部屋の外には海の生物の標本が壁一面に並べられ,ふと,ハリーポッターの世界を思い浮かべた.正さんも同じ印象を持ったらしい.

モルダウ川に架かるカレル橋からプラハ城を望む


 
プラハの町



ロレッタ教会
 
バーツラフ広場



ボヘミア最初の王,聖バーツラフの騎馬像
 9月26日(土)晴れ
バーツラフ広場はにぎやかな大通りだった.ここから出発するらしい大勢の観光客の団体がかたまって説明を受けていたり,並んで歩いていたりする.バーツラフ広場の端には聖バーツラフ騎馬像が立っていた.1968年,ワルシャワ条約機構軍がここに戦車で乗り入れ,プラハの春は挫折した.これに抗議して焼身自殺をはかったヤン・パラフの碑に花が供えられ,そのそばで先生が学生に熱心に何かを説明していた.
ムハ(ミュシャ)のミュージアムではムハの生涯を紹介するビデオが流されていた.パリでアールヌーボーの作風を開花させ,サラ・ベルナールのポスターで有名になったあと,チェコに帰ってきてからもロシアに旅行して新しい作風の多くの絵を描いている.ミュシャの絵は以前サントリーミュージアムに来た時に見て,大ファンになった.花をあしらった美しい女性のデザインもポーズをとるそのモデルの写真と並べられていてとても興味深かった.昨日入れなかった聖ビート大聖堂のステンドグラスの下絵も展示されていた.
ドボルザーク博物館はバロック様式の美しい建物で,小さな庭には彫像が立っている.部屋の中はシンフォニーが流れていて,ドボルザークが使用したピアノやバイオリン,自筆の楽譜が飾られていた.ドボルザークはプラハの音楽学校を出て奨学金でウイーンに行き活躍,ニューヨークを経てプラハに戻り,音楽教育に携わっている.チェコの芸術家は海外に出て活躍して認められ,帰国するというパターンのように見受けられる.
地下鉄で旧市街に戻った.プラハの地下鉄は3路線あり,交差もしているので,とても深い所を通っている.ホームに降りるエスカレーターは長く,真っ直ぐに,深く続いている.そして乗るのに気合いを入れないといけないくらい速い.そのエスカレーターが7,8段降りた所で突然止まってしまった.前に立っていたおばさんはそのまま歩いて降りて行った.乗客が何人か集まってきて,間もなく係員の女性がやってきた.隣の使っていなかったもう一本のエスカレーターを開けて,私たちはそちらへ誘導された.
旧市街でまた仕掛け時計を見たり,火薬塔に登ったりした.どこも観光客は多く,皆,遠慮なく自国語で話している.主に英語が聞こえてくるがたまにフランス語のこともある.火薬塔の狭い階段で「J’attende Madame」と言われたので「Merci」と答えて彼女の横をすり抜けた.ホテルのテレビも1チャンネルはフランス語だった.
横断歩道の信号は赤に変わるのがとても早い.赤信号で待っている時にはタッタッタッというような音がしているが,青に変わるとそれがチキチキチキと,まるで急かすような音になる.そして早い時には道路の半分も渡らないうちに赤になってしまうのだ.
駅や地下鉄のトイレは有料だ.3コルナから6コルナくらい.自動ではないからおつりもくれる.入口のおばさんにお金を渡すとその横にあるものを指さされた.意味がわからないでトイレに入りかけると,「使わないの」と言われた.トイレットペーパーをここで要るだけちぎって持って入るのだ.他では,もう適当にちぎってたたんで置いてあったりした.無料でも入口に人のいる所もあった.このようだからトイレは概してきれいだ.街もおおむねきれいだった.
   
つづく