2009年
チェコ・ポーランド-4.クラクフ
 
 10月3日(土)晴れ
朝7時,町の向こうから真っ赤な太陽が昇ってきた.今日はいよいよチェコ最終日だ.昼食用のサンドイッチを買って,余ったチェココルナをポーランドズオティーに変えた.コインは少し持っていないとトイレに行けない.しかし,両替の端数はチェココルナで返してくれたようで,コインが一杯になってしまった.
10時54分定刻通り出発.国境はどのように越えるのだろうか.ガイドブックにあまり地名が載っていないのでどこからポーランドなのかわからない.最初の乗り換え地ブーミンはまだチェコのようだった.オストラバーで乗務員が入れ替わったように思う.しかし,検札もなくパスポート提示も求められないままカトビツに着いた.ここで乗り換える.ここはもうポーランドだ.降りたホームで乗客が群がって見ていた掲示板を見ると,次の列車の時間が表示されていた.ホームはこのままの4番線のようだ.周囲の乗客からクラクフという声が聞こえる.彼らもクラクフへ行くのだろう.発車は14時30分だから乗り換えには30分の余裕がある.ポーランドのコインを持っていないのでトイレには行けない.正さんは試しにチェココインを出してみたが断られた.15分過ぎても列車の表示が出ない.荷物を置いて正さんが入口に見に行ったが,入口にもまだ表示が出ていないということだった.25分になった時,表示は14時45分の別の列車になった.私たちの列車はこのホームではなさそうだ.正さんはまた入口の表示を見に行く.チェコではホームに駅員がいたのに,ここポーランドでは駅員の姿が見当たらない.近くで待っていた若い男性に聞くと「僕らもクラクフに行くし,そこらへんのポーランド人がこのホームだと言っていたのでここでいいんじゃないの」と言うので「でもほらあの表示」と指さすと,彼らも慌てだした.「2番線らしい」と言うので,「まだ出てないよ」と言いながら帰ってきた正さんと,重いスーツケースを担いで2番線に走ったが,ここの表示も違う.もう2分前だ.一緒に下に降りて入口の掲示板を見に行くと「クラクフ行き3番線」と表示されていて見ている間にそれが消えてしまった.列車は丁度今,出てしまったのだ.身軽なあの青年たちは間に合ってあの列車に乗っただろうか.インフォーメーションに聞きに行ったら18分後にもクラクフ行きがあった.「4番線です」
クラクフの駅構内はショッピングセンターになっていて大勢の人でにぎわっている.インフォーメーション1つを見つけるのも一苦労で,おまけに不親切ときている.「上です」「そちら」だけしか答えてくれない.店があまりにもにぎやかで,駅に必要なオフィスがどれか目に入ってこない.やっと1万円あまりを追加で両替し,トラムのチケットを手に入れた.荷物がかさばるので一旦ホテルにチェックインしてからアウシュビッツ行きのバスの時刻を調べに行くことにする.駅正面ではなく横手に出たらしく方向がわからなくなった.タクシーの運転手が「安いよ」と誘いに来る.「近いから」と断ったが,道を聞いても「あっち」と適当にしか答えてくれない.通行人をつかまえてホテルの目印になる「バルバカン」はどちらか聞いた.連れの人が「さあ,聞かれているよ.ちゃんと教えてあげなさい」という目つきで笑っている.「うまく言えないけれど,あっちの方」それだけで十分だった.道路を渡るのに地下通路があるようだったが,これを説明したかったのだろう.バスターミナルのインフォーメーションはすでに閉まっていた.壁の時刻表にはオシフィエンチムミュージアム行きとオシフィエンチム駅行きの時刻が載っていた.ホテルのフロントでミュージアムとバスの駅がどれ位離れているのか聞いた.フロントの男性は「アウシュビッツはドイツ語だからオシフィエンチムという方が好きだ.ミュージアムにはもう30年も前に行ったきり行っていない.あそこは好きな場所じゃあない」と語った.FAXが使えることを確認する.
ホテルは3階の大きなソファーが2つもある広い部屋だった.週末だからか外はとてもにぎやかだ.今は夜中の3時.まだ喧騒は絶えない.大勢の話し声,遠くに鳴り響く音楽,ホテルの下の通りをまだ大勢の人が話しながら歩いている.奇声も聞こえる.今日は週末,土曜日だから,いやもう日曜日だ.

バベル城登城道

 
バベル城大聖堂のジグムント・チャペル
 
バベル城

 10月4日(日)晴れ風強し
クラクフは14世紀ポーランド王国の首都であり,バベル城には歴代の王が住んでいた.そのクラクフに第二次大戦中ドイツ軍の司令部が置かれていたため戦禍を免れ,旧市街地はそのまま残されている.バルバカカンは15世紀に造られた円形の砦でフロリアンスカ門を守るように立っている.入口ではいつも民族服を着た人が音楽を演奏している.ホテルは門の内側,旧市街地にある.中央市場広場に出ると観光客でにぎわっていた.プレッツェルというドーナツ型のパンを売る店がいくつも出ていた.
バベル城は15〜17世紀に建造され改装された,外観も内部も,大聖堂も旧王宮も,ゴシック,ルネサンス,バロックの混在する城だ.英語のガイド付きツアーでたくさんの部屋を見て回った.衣装ダンスの美しい彫刻,見事なタペストリー,木の天井とフレスコ画はルネッサンス様式で,火事で焼けた後,イタリアから建築家が呼ばれて修復されたところはバロック調の大理石造りだ.イタリアの画家が呼ばれて描かれた肖像画,ダンスホール,最後の王の部屋,最初の大統領の私室,等々.観光客は多い.バベル城の庭でコーヒーとサンドイッチを食べた.風が強い.
バベル城には竜が住んでいたといわれ,バベル城のシンボルは竜だ.庭の端の方に竜の洞窟があった.一人3ztのチケットを買って,急な階段を降りて洞窟を抜けて行くとビスワ川に出た.風はさらに強い.プレッツェルを買ってみる.しっかり,あっさりという味で噛みしめるとなかなか美味しい.セサミの他にもいろいろな味があるようだ.
橋を渡って,川の対岸にある日本美術技術センター・マンガ館へ行った.葛飾北斎,安藤広重,写楽,歌麿を始めとする浮世絵や日本の着物,帯,刀の柄,印籠などが展示されている.私たちが名前を知らない浮世絵画家の絵も多数展示されている.ポーランドの著名なコレクター,フェリクス・マンガ・ヤシェンスキが収集した7000点の作品らしい.マンガ館は北斎マンガからきているという.食堂に人が集まっている.日本人が生け花を教えているようだ.
ユダヤ人の住むカジミエーシュ地区に行き,シナゴーグのユダヤ博物館を見学したあと,トラムでホテルに戻った.
夕食はポーランド料理を食べる.メニューにポーランド料理とある.コトレット・スハボビというのは日本のとんかつ,ジューレックというスープは日替わりで茹で玉子かソーセージが入っていて美味しい.中国の餃子がロシアを経て伝わったというピエロギはまあまあだった.
朝一番のバスに乗ってもアウシュビッツミュージアムに約束の10時に10分程遅れるようだというFAXを,案内をお願いしている日本人ガイドの方に送る.夜11時にガイドの方から電話があって時間を30分遅らせることにした.連絡がついてほっとする.
   つづく