2009年
チェコ・ポーランド-5.アウシュビッツ
 
 10月5日(月)晴れ
朝早起きして8時40分のバスに乗りアウシュビッツに向かう.クラクフがアウシュビッツにアクセスする一番近い町だとガイドブックに書いてあったが,クラクフから乗ったのは10人程.その上途中の駅で数人は降りた.アウシュビッツに行く観光客は少ないのだろうか.
ところが,1時間半少しでクラクフ郊外のアウシュビッツミュージアムに着くと,すでに多くの大型観光バスが止まっていて,各地からの見学者が大勢いた.
私たちは日本人でただ一人というアウシュビッツミュージアムの職員にガイドをお願いしていた.彼は込み合う見学者を巧みに避けながら,要領よくポイントを押さえて私たちを案内してくれた.
何が展示されてあるかは前もって知っていたが,実際に目の前にすると,殺された人たちの髪の毛の束,残された靴,食器,鞄などその数の多さに圧倒された.
鞄には名前の他,住所がきちんと書いてあるものもあったが「関係者も全員抹殺されて,引き取り手もいないということなのでしょう」とガイドは語った.
赤ん坊の服,義足や杖などすべて仕分けされている.それは展示のために仕分けしたのではなく,ナチスが収容所を管理していた時に,同じ囚人を利用して仕分けさせていたものだ.
そして毎日ここから報告書が上がっていたという.
金○g,上着○着,ズボン○着,下着○着,靴○足.
ナチスはアウシュビッツ収容所を世間に隠していたわけではない.ちゃんと報告していた.しかし,一旦レポートになってしまった数字はそれを読む人から想像力を奪ってしまう.
金○g,上着○着,ズボン○着,下着○着,靴○足.
この報告書を読みながら,ここで行われていることに思いを馳せなかった人の無関心という罪をガイドは指摘した.

「今,私たちが考えなくてはならないのは民主主義の発達したヨーロッパでなぜこのような悲惨なことが起きたのかということです.これを単なる過去の過ち,歴史上の事実だと見るのは間違いです.今,平和を守るために私たちが考えなければならない教訓をここから読み取れるはずです」
髪の毛は他の材料と混ぜられて布地に織られていたという.死体を焼いた灰は肥料にされていた.「それは,全て,徹底的に,合理的に処理されていたということなのです」
ガス室で殺された死体から髪の毛や金歯を取り出し,仕分けするのは同じ囚人だった.
「ユダヤ人絶滅をもくろむナチスに対し,生き延びることはそれ自体が使命であった.それを使命と感じて彼らはまた,生き延びることができたのです」
働ける囚人は毎日門を出て近くの企業の工場でも働かされた.そして企業は国に賃金を支払う.
門にはドイツ語で「働けば自由になる」と書かれている.外で働いた囚人は毎日この標語の下をくぐって収容所に帰りつくのだ.
収容所の中にヒエラルキーを作る.
全ての囚人の写真を正面,前,横と3枚撮り,12部コピーして各方面に報告する.
全ての囚人から次に移動する時に返すためにと言って持ち物のリストと預かり証を書き,仕分けして保存する.
「ナチスはこのように全ての作業をシステム化することによって後ろめたさを感ずることなくこの恐ろしい行為を粛々と進めて行ったのです」
ドイツからポーランドに開拓団を送り,貧しい開拓団員にユダヤ人から取り上げた服や下着や靴を支給したのだという.
「ナチスはドイツ国民にこの不況を引き起こしたユダヤ人から我々の財産を取り戻すのだと説明し,一番に,かれらの財産の金や有価証券を取り上げ,ドイツ本国に送っていたのです」

働けば自由になれる





 
ガイドの方の説明には心打たれるものがあった.彼はベルリンの壁が崩壊した時に学生であって,東ヨーロッパで何が起きているのか興味があったのだと言われた.
きびしい試験に合格してガイドになり,10年以上経つそうだ.
私の質問に答えて,ガイドするのは日本人に対してだけで,「東洋人が西洋人にこのようなことを説明するなんてとても失礼なことでしょう」と言われた.
アウシュビッツには30近くのレンガ造りの収容所があり,周囲は高圧電流が流された2重の有刺鉄線で囲われていた.
そして,バスで5分ほど離れた第二収容所ビルケナウにはアウシュビッツの10倍の収容所が囚人の手で建てられていた.想像もできない位の広さだ.
ここはもうレンガではなく木造だったので,暖炉のレンガを除いてすべて朽ち果てている.その崩れ残った煉瓦の暖炉が目の届く遥か端まで続いている.
監視塔から,敷地の短辺を端っこまで歩いた.それは引き込み線の敷かれた草地で,徒歩20分.その端には爆破されたガス室の残骸が残されていた.長辺の端はもう果てしない向こうになる.
「木造の収容所を保存するのは大変です.今,EUでここを管理する話が進んでいるところです.彼らは教育に力を入れています.若い人や学生の見学者が多いでしょう.
学生たちは結構まじめに見学していきますよ.
今日はあなたたちの後,もう一組ガイドを依頼されているのです」ガイドの方は日本から多くの人がここを見学に訪れることを希望していると語られた.

10月6日(火)晴れ
クラクフ空港までタクシーに乗る.フランクフルトで乗り換え.日本着陸間近で台風19号のため飛行機は少し揺れて酔ってしまった.
 

ビルケナウ


監視塔
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