2001年5月
イギリス-1
B&B(ベッドと朝食)
カースルクームはイギリス一古い街並みが残されている,とても美しい村だ.石造りの家が並び,屋根の煙突から夕べの空に向け煙が漂っている.15世紀に建てられたコテージがB&Bになっていた.泊り客は私たちだけで,オーナーは別の所に寝泊りしている様子だ.玄関のキーと部屋のキーを渡される.鍵穴がとても大きく,部屋の中が覗けるかと思われるほどだが鍵はちゃんとかかった.狭く曲がった階段を大きなスーツケースを担いで上らなければならない.イギリス旅行にスーツケースは不釣合いだと悟った.ベッドは天蓋で仕切られ,たんすや飾り窓や小物で部屋はかわいく飾られていた.が,なにぶん,古い作りで,床に敷かれた麻のマットはかしいでいたし,シャワーの水の出は十分とは言えない.
美しい村
小さな美しい村をたくさん眺めることができた.田舎の道からなかなかメイン道路に出られなかったのだ.庭に立っていたおじいさんに道を聞いたら,わざわざ家に入って眼鏡を取ってきてくれた.しかし,説明が長くて覚えきれない.やっぱり,ぐるぐる細い道を回るばかりだった.
レストランの開店時間
Coventryで,6時半頃町に食事に出るが通りは閑散としていて,店も閉まっているようにみえる.聞いてみると,まだ早すぎるとのこと.仕事を終えた人は一旦家に帰ってから家族とか友人と町に繰り出すということで,レストラン街は7時を過ぎないと開かないそうであった.Roosterの近くのパブの開店はさらに遅く,8時からということだった.
ラウンドアバウト
イギリスの道路は日本と同じ左側通行だが,ラウンドアバウトは慣れない者にはとても通りにくい.真っ直ぐに突き抜ける道も一旦ラウンドアバウトの回路に回り込むと,どれが出口であったかもう一度行き先を確認しなければならない.ラウンドアバウトに入る手前に標識があるのだが,2本の道路が交差している時には2つめが直進,3本の道路が交差していれば,3つめが直進になる.標識を見逃した時には,付近の町の名前を知っていないと方向を見失う.道路のナンバーもアメリカのように東西南北がはっきりしていなくて,たまに道路のナンバーが途中で変わっていたりする.
イギリスの庭園
Barnsley House―イギリス屈指の美しい庭園.チューリップが野の花のように咲き乱れる.この自然の感じがイギリス風なのだ.
Hidcote Mannor Garden―庭園が生垣で部屋のように仕切られたアウトドアルームスタイル.茂みでできた門をくぐりながら次はどんな庭だろうと子供の頃に帰ったように好奇心をそそられる.
Levens Hall―湖水地方の近くにある有名な庭園.金土日が休園日とあった.生憎,湖水地方に着いたのは金曜日.どう日程をやりくりしようとしても訪問は無理だ.観光地の庭園が土日休みなのも日本人には理解しにくいところだが,どうして金曜日まで休みなのだろう.
地下鉄と電話ボックス
地下鉄のピカデリーラインに乗った.人々の背丈が高いためか車両はかなり小さくみえる.座席に足を乗せないようにという注意書きがあったが,その挿絵は向いの座席に足を投げ出しているというものだ.線路は途中から地上に出て,ロンドンの街並みが見え始めた.煙突と石造りの家,4階か5階建てだ.少し行くと信号機の故障とかで,15分間も待たされた.日常的なことなのか,誰も何も言わないで黙って待っている.
恵子さんはテレホンカードを持っていた.使い方は日本と同じ.しかし,これがあまり役に立たない.今も2台の電話機の内1台は故障していて,1台はカード対応になっていない.
口蹄疫
Foot and Mouth Diseaseのため農場に入る道は閉鎖されていた.イギリスは人間の基本的人権として通行の権利が尊重されている.通常,Public Foot PathとしてPrivateと区別して表示されている.手頃な散歩道だ.そのPublic Right of Way が至る所でClosedになっていた.イギリスに来てはじめて口蹄疫の深刻さを身近に実感した.イングリッシュガーデンに入る時も消毒マットを踏んで入らなければならなかったし,庭から牧場への道も閉鎖されていた.湖水地方ではピーターラビット縁の小屋も閉鎖されていた.カンブリア州カーライルの辺りでは,道路沿いのパーキングエリアがことごとく立ち入り禁止になっていて,ちょっと止まって写真を撮ることもできない.このカンブリア州こそが口蹄疫の一番の被害に合っている場所なのだ.一面の広い牧場ののどかな景色の中に,一頭の牛も羊もいないことに気づいたとたん,何かぞーっと恐ろしいものを背中に感じた.テレビで見た,病気の牛を処分するためにショベルカーで掘られた大きな穴を思い出した.この辺りの牛も病気にやられて全部処分されてしまったのだろうか.さらに,北アイルランドにフェリーで入った時には,一台一台,車のタイヤまで消毒された.

スイス人夫妻との出会いと偶然の再会
Chipping compdenは美しい町だった.石造りで古い市場の跡などもある.車を置いて歩いていると,偶然にも,今朝B&BでEnglish Breakfastを隣の席で食べていたスイス人夫妻にばったり出会った.奥さんの姪の結婚式に出席するためにイギリスに来たということだった.再会を喜び合って,写真を撮りあった.向こうの方にきれいな教会があるよと教えてもらったりした後,Hidcote Mannor Gardenの駐車場で再びこの夫妻と驚きの3度目の再会.これがご縁でGirbertさんとはその後,親しくメールで手紙や写真を交換し合うこととなった.夫妻が日本に旅行された時には,家にも寄って下さったし,私たちも是非にと招待されて,スイス,レマン湖のほとりにある彼らの家におじゃました.
シェイクスピア縁の家
Stratford upon avonではシェイクスピアの奥さんの実家Ann Hathaway’s Cottageを訪ねた.上品な婦人がシェイクスピアと奥さんの恋愛のエピソードや,当時の人々の暮らしを説明してくれた.2階のベッドには大人が寝て,子供たちは地べたのわらの上で寝ていたこと,暖炉の前では肉を串刺しにして,コックが長時間ぐるぐる回しながら焼いていたこと,後には滑車を使って,錘がゆっくり降りてくるにつれて串が回るように工夫された道具ができたこと,煙突は一箇所で部屋は煙っていたであろうこと,木のお皿は紙で拭き取り,裏も使っていたこと等々,観光客相手なので,丁寧なわかりやすい英語であった.
火力発電所
Rugeleyの手前で大きな太い4本の煙突から煙が出ている光景に出合った.下の方がずんぐり膨らんだ不思議な形の煙突である.喫茶店を見つけて車を止め,歩いて引き返した.Power Station火力発電所であった.4本の煙突の周りをこの火力発電所で支えられていますといった感じで町が取り囲んでいた.
産業革命の地Manchester
Manchesterはかなり大きな町だった.町の周囲を高速道路がぐるりと取り囲んでいる.全長50kmはあるだろう.町に入ったと思われる辺りから赤茶色の建物が同じ形でずらっと並び始めた.4,5階建ての赤茶色のレンガ造りで煙突が突き出ている.その様子はむしろ異様ですらあった.朝,晴れていた天気も曇り空.今にも降り出しそうな天気だ.産業革命時に使われていた蒸気機関が展示されているという科学産業博物館をめざす.おおざっぱなガイドブックの地図を頼りに人に聞きながら捜すというのは結構時間がかかるものだ.空は雨模様になってきた.やっと博物館の駐車場に車を入れた時はもう4時だった.マンチェスター,リバプール間を走った世界初の旅客鉄道の駅舎が博物館になっている.建物がAからFまであるとても大きな博物館だ.今からでは全部は見きれない.それでも当時使われていた紡織機やタービンを見て回った.回転運動がピストンの上下運動に変換される様子はとても興味深いものだった.さて,この大きな町から出るのは,入ってくるより難しい.四方八方から道路が入り込んでおり,それらはくもの巣のように繋がっている.あたりは薄暗く,出ていきたい方向を見つけるのも,環状道路から,ここという所で出るのも難しく,行ったり来たりを繰り返した.やっと目的の高速道路に乗った時,まるで朝が来たかのように再び明るくなってきた.雨が上がって曇り空が晴れると,7時はまだまだ明るいのだ.

ホテルの火事
Prestonのホテルでのこと,7階の部屋へ荷物を運び込み,正さんがトイレに入った時だった.非常ベルが鳴り始めた.あれ,どこか変なボタンでも押したかと,あちこち探ってみたがベルの音は一向に鳴り止まない.仕方がないので,フロントに電話した.ああ,わかっていますから,といったような返事ですぐに切れた.わかってくれているのならいいか,恵子さんはどうしているだろうかと電話してみると,そちらでもベルが鳴っていた.今回は恵子さんの部屋と隣り合わせでほんとうによかった.鳴っているのは非常ベルだった.これはやっぱり,外に出た方がよさそうだ.恵子さんの部屋の戸をノックして,一緒に階段を下りていくと,1階近くで,下から上がってくる消防士の2人とすれ違った.ロビーを通って外に出ると,他の宿泊客も外に出てきていた.見ると消防車が4台も止まっている.ホテルの従業員に部屋番号と名前を聞かれた.火災報知器が鳴って消防車が出動したが,何か間違いらしいということだった.