2004年4月
フランス-1
 
   風のプロバンス

プロバンスにはいつも風が吹いている.
見る方向によって形の異なるサントビクトワール山でローズマリーやタイムなどのハーブを摘んだ時も,カマルグでフラミンゴが飛ぶのを見た時も,リュベロンの小さな村を訪れた時も,風が吹いていた.
坂道や階段を登って行くと,高台にはたいてい教会が建っている.そこから見下ろすと,美しい町並みとかわいい茶色に統一された屋根の向うにぶどう畑が広がっていた.ぶどう畑には芽吹いたばかりの若葉が光っている.
朝,ゆりのアパートから焼きたてのバゲットを買いに出た.おじさんも若い娘も,むきだしのバゲットを手に急ぎ足で街角を曲がって行った.パン屋への道に迷うことはない.
パンとチーズとヨーグルトを食べて,今日も風の中へ,プロバンスの美しい村を訪ねる.


マゼラン地区ゆりのアパート
St.Jean de Malte教会

4月23日(金)
夕方マルセイユ空港に到着.テレホンカードを買って,ゆりに電話すると20時55分のバスがあるという.あと15分しかない.「マルセイユ空港は小さいから大丈夫」とゆりは言う.バス停でカートを整理していたお兄さんが親切にバスチケット売り場まで付いて来てくれた.
8時過ぎまで明かるかったがさすがに9時ごろには日が暮れてきた.Aixのバス停にはゆりが待っていた.アパートまで歩いて15分位だ.大家さんがゆりのアパートの4階を私たちに貸してくれることになっていた.大家さんはイタリアへ旅行中であったが,キッチンのテーブルには歓迎のチューリップが生けてあった.白と薄ピンクの珍しい色合いのチューリップである.食器もソファーも何でも揃っているということであった.ゆりが大家さんと一緒に来て,お湯の出具合をチェックし,ベッドメーキングをしてくれたそうであるが,バスタオルと石鹸と,寒かったので毛布はゆりのところから借りてきた.頑丈な扉についた部屋の鍵は私たちのために新しく付け替えた風である.外に出ることなくゆりの部屋に行けるのが便利でいい.石の螺旋階段には押しボタン式の電気がついていて,明かりは自動的に消える.外の扉の鍵は,訪問者の押すブザーに応じて,中にいる人が部屋からも開けられるようになっていたが,その仕掛けは重々しくて,なかなか興味深いものであった.くれぐれも間違って他の部屋の人のベルを押さないようにと,ゆりは念を押すように言った.


イタリア通り


ミラボー通り


ミラボー通りのレストラン
4月24日(土)
朝,近くの教会の鐘の音が聞こえる.8時少し前だ.朝食後,マルシェに出かける.広場のあちこちに週2,3回青空市場が立つ.野菜,果物,花,ワイン,チーズ等々.1盛2ユーロの安いいちごはスペイン産で味が落ちるとか教えられているゆりはフランス産かどうか確認している.「もちろんプロバンス産ですよ」と店の人は答える.ためつすがめつ吟味して,サラダ用の葉っぱをいろいろと,パプリカ,マッシュルーム,やぎのチーズ,3ユーロの赤ワインを買った.パプリカはかぼちゃ程の大きさがあり,フライパンで焼いて食べるととても美味しい.フランスでは,マルシェでもどこでもお店の人にまず,ボンジュールと挨拶しなければならない.簡単なようでこれがなかなか難しい.つい挨拶を忘れて,先に買いたいものを探したり,品定めをしてしまう.パエリエを買ってお昼にアパートで食べた.大きな買い物籠を下げて,主婦になりきってマルシェを歩き回ったので,写真は一枚も撮れなかった.カメラは持っていたのだが,ものを見る目が全く違うのだ.海外で生活するとすれば,こんな風なのだろうか.
昼からは,ゆりが部屋に飾りたいと思っていた絵とじゅうたんを買いに行った.大きなベッドの上に素敵な絵を一枚.その左隣の部屋に,といってもしきりはないのだが,そこにじゅうたんを敷き詰めて,みんなにもくつを脱いで上がってもらうようにしたいのだとか.小さいじゅうたん位だと大家さんも靴まま入ってくるそうである.花をあしらった,シックな感じの絵が買えたが,部屋に飾ってみると白い壁が思ったより広くて,もっと大きな絵でも,もう2倍ほど大きくてもいいなという程であった.天井がずい分高いのである.建物は16世紀に建てられたものらしい.窓の蝶番も古風で,外に開く戸の他にガラスと木の窓が付いていて,その2枚を重ねて閉め具で止められるような仕組みになっていた.
そのあと,バスでTGVの駅まで行ってレンタカーを借り,2枚に切ってもらったじゅうたんを持って帰ってきた.正さんは普段は腰が痛いとか言うのに,今回は娘のために張り切って,駐車場からその重いじゅうたんを2枚担いでアパートまで運んでくれた.
夕食はイタリアンレストランで子羊とニース風サラダを食べた.ミラボー通りには沢山のレストランが並んでいるが,ここフランスでもイタリアンレストランが,値段も手頃で美味しい.


ペタンクをする人


ボニュー


ラコスト
4月25日(日)
朝,洗濯物を持ってコインランドリーへ行った.朝市の花や魚を見て回って,帰りに,洗いあがった洗濯物を持って帰る.空気が乾燥しているので,部屋で干してもすぐ乾くそうである.
今日は日曜日なので,お店もレストランも全部閉まってしまうそうである.郊外に出かけるのがいいというゆりのお勧めに従って,リュベロンの村を訪ねることにした.昼食用にバゲット,パンを切るナイフ,やぎのチーズ,オレンジを持って出発.
ピーターマイヤーさんの本で有名になったリュベロンの村々はのどかで,美しいところだった.アプトの広場でペタンクをしている人たちも見かけた.重そうな玉にスピンをかけて,放り投げる.ワンバウンドして,ばちっと地面の玉に当たる.すごい!上手!と思ったけれど,見ている人の誰も拍手もしないし興奮もしない.外れてもがっかりしてうなだれるという風でもなく,今のが良かったのか悪かったのか,ルールがさっぱりわからなかった.
ボニュー,ラコスト,メネルブなどリュベロンの美しい村の景色に魅かれて,時間を忘れて歩き回った.ラコストの坂道を上がりながら,ゆりは確かにここに連れて来てもらったことがあると言い出した.「間違いない.この景色.この一番上に,教会の敷地できれいなお庭があったのでそれだけは見て帰ろう」と言いつつ坂道を登りつめたところで気が付いたようだ.「あっ,ちがう」やっぱり前に行ったところと違う.けれどやはりこんな風に,道には石が敷き詰められていて,白っぽい石壁の間を曲がりながらくねくねと通りが続いていたそうである.
帰り道は道路が空いていたので,ゆりが代って車の運転を練習する.対向車がなく,練習には丁度良い.後ろがつかえてきたら,ちょっと寄って追い越してもらう.若いだけに勘もよく,お父さんより上達が早い.中古でいいから車を持ちたいという希望があるらしい.随分意欲的で,ついにAixまで運転して帰った.
遅くなったので,夕食は開いていたレストランで済ませることにした.プロバンス風スープ,とり,スフレ.どれも味が濃くてあまり美味しくなかった.ゆりもレストランの食事より,家庭料理の方がおいしいと言う.フランスでおいしいフランス料理を食べようと思ったらもっと高いお店に行かなければならないらしい.


ラコスト


ラコスト


ジューク


ジューク


ジューク
4月26日(月)
今日はゆりを彼女の職場キャデラッシュへレンタカーで送っていくことにした.いつもは朝7時にお迎えのバスが来るのでそれに乗っていく.研究所専用の送迎バスなのだから,もし寝坊でもして乗り遅れたら後はもうない.しかし自分で行くのなら7時半に出ても大丈夫である.始業のタイムカードがあるわけでもない.ゆりは勤め始めた初日にこのバスに乗り遅れて,研究所のボスに車で迎えに来てもらった経歴の持ち主である.キャデラッシュからAixとは反対方向に住むボスは何一つ咎め立てすることもなく,1時間以上もかけてわざわざ迎えに来てくださったそうである.働きやすい職場のようだ.
入口で駐車料金を払ってから,地下駐車場に入れていた車を取りに行く.こちらではメルセデスと呼ぶのだが,ベンツである.左側通行に不慣れなため,オートマ車というのは欠かせない条件ということで,車種は限定された.さすが高級車は乗り心地がいい.そしてゆりはこのベンツで出勤というわけだ.
研究所はセキュリティーシステムが厳しくて,一般人は敷地の中には入れない.門の外に銃を持った警備員が5人も立っていて,一人一人身分証をチェックしていた.いかにもものものしい雰囲気である.8時半過ぎだったが,出勤の車が列になって門に向かっていた.
ゆりを送っていくために,朝早く家を出てきたが,このままドライブすることにした.近くのジュークという村がきれいなところらしい.そこから同じ研究室に通ってくる人がいて,ゆりはお宅へもおじゃましたことがある.ジュークへの道は山の中の道であったが,まるで手入れされた庭を行くようであった.道のそばの木が全部きれいに刈り込んであるのだ.下草もきれいに整理されている.山火事を警戒してのことだと,山火事防止の立看板を見て気づいた.
ジュークは背後に山をひかえた実に静かでなつかしい感じのする村である.車の通る道沿いにはレストランや店があり,そこから一段上の小道に入ると,狭い路地の両側に家が建ち並んでいる.登り下りはなく,少し曲がりながら道は続く.その静かなたたずまいは山の斜面に立っていることを全く忘れさせてしまう.木でできた入口の扉や窓の扉は茶色や緑色や中には紫に塗られている.時折さらに上の道に続く通りが見える.このさらに一段上の小道も静かに閉じられた空間を形作りながら続く.その上は山で,その向う側には川が流れている.
ジュークからAixへ戻る道はひとつ山越えをすることになるようだった.次第に石灰岩の白い岩山に近づく.その向うにさらに現れた山並みはサントビクトワール山のようである.連なる山々の裾野に沿ってAixに帰り着いた.
午後はAixを極めるべく二人で歩き回った.旧市街の市庁舎Hôtel de ville,サンソブール大聖堂Cathédrale St-Sauveur,タピスリー美術館Musée des Tapisseries.明日のパンune baguetteを買う.ゆりがお勧めのおいしいパン屋さんはお休みであった.1週間のバカンスにお出かけのようである.
急いでアパートに帰ったが,ゆりから約束の電話がない.家の電話番号を忘れたのかと思っていたら,電話の故障のようであった.ゆりの方は,私たちがどこかで迷子になって家に帰り着いていないのだろうと心配して帰ってきたらしく,大慌てでドアを開けたら,二人がくつろいでいたので,ほっと気が抜けたようであった.私たちは一昨日買ったじゅうたんの繋ぎ目をカッターナイフで真っ直ぐに切りなおしてぴったりと合わせ,掃除機をかけて,一息ついていたところだった.絨毯の耳の側は真っ直ぐのはずであったが,部屋が直角でないのか隙間ができるのだ.後日,ソファーを買って腰掛けたら,前につんのめりそうになった.ソファーの背中側の足を外して置くと丁度いい具合であった.床が斜めになっているらしい.
夜はトマトと羊肉を煮込んだシチューをゆりと一緒に作った.大きなマッシュルームも入れた.ここフランスで仕入れた材料を使ったのでりっぱなフランス家庭料理が出来上がった.


セントポールレデュランス


アビニヨンの橋


法王庁宮殿
4月27日(火)
今日も朝早起きして,ゆりをキャデラッシュへ送って行った.職場では両親が日本から出てきているのにどうして休まないのかと聞かれるそうである.親はレンタカーも借りているし,適当にどこへでも遊びに行けばいい.ゆりも明日からは休む.明日の夜には敬二さんが来るのだ.それでもゆりはよく休むなあとちょっと気が引けている.しかし,キャデラッシュの人たちは子供が春休みだとか,いろんな理由でよく仕事を休むそうである.それでいて,世界的な研究も進めているのだから,働きやすいいい環境である.
キャデラッシュの近くのセントポールレデュランスSt Paul lez Duranceに寄ってみた.デュランス川のほとりの何ということもない小さな村であるが,何か惹かれるたたずまいである.茶色い屋根の色のせいだろうか.
車で出かけてきたので,ついでにこのままアビニヨンまで行くことにした.リュベロン山の南の裾を西へ西へと進む.Pertuis,Villelaureを過ぎ,Cadenetの町でコーヒータイムにした.テラスの椅子に腰掛けて見ていると,近くの木からパフッ,パフッと花粉が飛び出しているのが見える.もくもくと煙のように立ち上って,風に流されていく.Aixの町でもたんぽぽの綿毛のような花粉が次々に風に流されていた.車のフロントガラスもまるで虫が張り付いたように汚れている.花の季節,そして花粉の季節を迎えているのだ.
レストランの横に地元のおじさんがいて,道行く人に声を掛けている.顔の広いおじさんらしくて,通る人みんなと握手したり,話したり,キスをしたりしている.ジャポネと聞こえたので振り返ると,端のテーブルにいたおじさん3人が私たちを気になる様子で眺めていたらしい.正さんがカメラを向けると大喜びでポーズをとってくれた.正さんはカメラに何語でも話をさせることができる.私たちはオボアAu revoirと言って別れた.
アビニヨンに着いたのはお昼だった.広い通りの向うに城壁で囲われた町が見える.城壁に沿って回り込み,ローヌ川近くの駐車場に車を止めた.券売機の使い方を頑張ってフランス語で聞いたら,Can you speak English?と言われて,英語で親切に教えてくれた.かの有名なアビニヨンの橋が見える.メイン通りはとてもにぎやかで,美しいメリーゴーランドが廻り,レストランの外のテーブルで大勢が飲んだり食べたりしていた.法王庁宮殿Palais des Papesとアビニヨン橋(サンベネゼ橋Pont St-Bénézet)を見学して回ったら,結構時間がかかった.日本語のガイドも用意されていて,それぞれの場所でその歴史や逸話を詳しく案内してくれるのだ.途中でトイレに行きたくなって,ウソンレトワレットOù sont les toilettes?と聞くと,係りのお兄さんは途中から一緒にその質問を唱和してくれた.きっとこの辺りでみんなに聞かれるのだ.何百人もの客を招いた宮廷の晩餐会やそのために用意された食事の量や準備の様子など興味深いものだった.
新しい方の橋を渡って,ビルヌーブレザビニヨンにも行った後,帰りは高速に乗って一気に帰ろうと思っていたのに,Aixの表示に従っていると,ずっと地道のまま来てしまった.イタリアでは表示に従ったら自然に高速に乗るようになっていて,お金の払い方がわからなくて困ったっけ.後で聞くと橋桁マークの方に意識して入らないと高速には乗れないらしい.
Aixに着いたらもう6時をまわっていた.急いでスーパーにお買い物に行く.トイレットペーパーもティッシュも足りない.(大家さんは私たちが10日も泊まるという事を忘れている.)3人で食べたら,牛乳もヨーグルトも果物も一気に消費してしまう.明日のバゲットを買って,それから,肉屋でうさぎを買った.「トワラパンtrois lapin」「トワ(3)?ドウ(2)じゃないの?」私たちを見て店の人が確認する.「いいえ,トワ」.それから,赤ワイン バンフージュvin rouge.店の人と周りの客がちょっと感心したような風なので嬉しくなった.
ウサギにローズマリーとタイムをたっぷりかけてオーブンで焼いたらあっさりしていてとても美味しかった.パプリカも肉厚で大きくてとても美味.