2008年6月
スイスからフランス-1
6月2日(月)出発のトラブル
3年ぶりの海外旅行だったが,始めから失敗.空港の手荷物検査でまず,はさみを指摘された.わかっていたのに,化粧ポーチにはさみを入れていた.「刃の長さが5.5cmあります.4cm以下までです.見送りの人に預けるか...」見送りの人なんていない.仕方なく没収された.「それから,これも,これも.100cc以上の液体容器はだめです」7年前の同時多発テロ以降規制は強化される一方だ.乳液の瓶,ヘアークリーム,シャンプーもはみがきチューブも,液体だけでなく,ジェルのものも全て機内持ち込み禁止だという.あまりたくさんあるので,係の人も気の毒に思ったようだった.時間はあまりないけれど,今からもう1つ荷物を預けられるように携帯電話で連絡を取ってくれた.ジルベールへのおみやげの陶器を正のリュックに詰めかえて,小さなかばん1つを預けにチェックインカウンターに走って戻った.
最近は飛行機が地面を離れたとたんに具合が悪くなる.ひたすら寝て,食事を最低限に控えて,やっと持ちこたえたが,ドゴール空港に降り立つとあっという間に回復した.パリのホテルの部屋はやはり狭い.外に出てパンと水とりんごを買った.

凱旋門から見たシャンゼリゼ大通り


ジャックマールアンドレ美術館
6月3日(火)パリ
シャンゼリゼ通りを歩く.4車線の車道,幅広い歩道のマロニエの並木が大きい.凱旋門から放射状に延びた道路は17世紀に作られたものだ.ナポレオンは死んで後はじめてこの凱旋門をくぐったということだ.
ところで今日は火曜日だった.オランジェリー美術館もヨーロッパ写真美術館もルーブル美術館も休み.オランジェリー美術館は3年前も改装中で入れなかった.パリ市立美術館のカフェでお茶を飲みながら,ガイドブックをめくった.モンマルトル地区に火曜日も開いている美術館がある.ジャックマールアンドレ美術館.散歩を兼ねて歩いて行くことにした.資産家アンドレとその夫人で画家のジャックマールが旅行の度に買い集めた絵画や贅沢な調度類が,その収集物を飾るために建てられた屋敷に,彼らの趣味と贅を尽くして飾られてあった.大きな天井絵もタペストリーもそのサイズに合わせて,最も美しい採光で鑑賞できるように考えられた部屋に展示されている.
6月4日(水)スイスローザンヌ
朝,リヨン駅からジュネーブ行きのTGVに乗る.列車は広い麦畑をまっすぐに,かなりのスピードで突き進んでいた.若い女性の車掌さんが回って来た.インターネットで予約して,家でプリントしてきた紙を見せる.彼女は鞄の中をごそごそ探してやっとプラスチックのカードを取り出した.プリントの隅の四角い模様をそのカードを通して眺めるとにっこり笑ってOKと言った.切符の予約も購入も簡単になったものだ.
ジュネーブで乗り換える.ローザンヌでは,ジルベールが待っていてくれるはずだ.人の流れに沿ってホームを出ると,全員が通路を通ってパスポートチェックを受けるようになっていた.4,5人の制服を着た係官が通行人を見張っている.止められて質問されている人もいたが,私たちはパスポートを手に持っているだけで,何も言われずに通過した.ローザンヌの駅では,ホームに立って私たちを待ってくれているジルベールの姿がすぐに,列車の中から見えた.私たちは抱き合って再会を喜び合った.ジルベールとジョスリンが日本に来たのは2年前の桜の季節だった.ジルベールの車で彼の家に向かう.レマン湖のほとりから通りを1つ入った所の細長い5階建ての家だった.「階段が多くて」とジョスリンは言った.2階がキッチンと居間.3階に私たちの寝室とトイレとバスルーム.階段の奥に客間.4階にもいくつかの部屋と5階にはパソコンの部屋があった.家じゅうに絵画,置物,調度類が飾ってある.小雨が降り出す.お茶とケーキとビスケットをよばれたあと,歩いて町を案内してもらう.ルッテリーは石畳のこぎれいな街だった.古い建物が市庁舎になっていて,パスポートも税金もここで扱われるそうだ.美しい教会があった.ジルベールはポリスから借りてきていた鍵で中を案内してくれた.近隣の村で,教会が放火される事件があって,それ以来,教会に鍵がかけられるようになったそうだ.高台に這松の茂る公園があった.二人が出会ったカフェ,イギリスから来たジョスリンが友達と2週間いたアパートの部屋はそのカフェの隣にある.カフェの2階,新婚の二人が住んでいたアパートの窓には赤い花が飾られていた.ルッテリーには二人の思い出の場所が一杯だ.家に帰って,二人の結婚式の写真を見せてもらった.
パーティーはロンドンにあるジョスリンの実家の庭で行なわれた.大きなりっぱな庭,実家は名門らしい.私の友達は,ジョスリンの英語がとびきり上流階級の美しい英語だと言っていた.写真のジルベールは若くて精悍,行動的な感じのする好青年で,今のジルベールは面立ちがずい分変ってやさしい感じになっている.私が頼むと,ジルベールはオーボエを吹いてくれた.彼は遠くの町の教会で,グループで時々コンサートを開いている.楽器は古い様式のものらしい.リコーダーもソプラノからバスまで4本も持っている.
夕食はきゅうりの冷たいスープ,魚のトマトとココナッツミルクのスープ和え,サラダ,ごはん,いちごのデザート.「ビネガーと砂糖を入れるといちごが美味しくなるのよ」とジョセリンは言った.ごはんは私たちのために炊いてくれたようだった.もちろん,付け合わせのように皿に盛って食べたのだけれど,たくさん炊いて余ったごはんはどうしたらいいかと聞かれて,やきめしの作り方を説明した.
スイスはドイツ語,フランス語,イタリア語,ロマンシュ語を話す4つの地域があり,テレビも新聞もそれぞれあって,全国共通版というのはないそうだ.ルッテリーはフランス語圏だが,ジルベールはジュネーブで仕事をしていた時は英語,地元ではフランス語で,どちらもごく自然に話せる.ドイツ語も堪能らしい.ジョスリンもレストランや近所の人とフランス語で明るく話している.彼女のお母さんは92歳でそれが一番の心配事のようだ.日本の河瀬直美監督の映画「殯の森」を近くの映画館で観たそうで,最後のところが何を暗示しているのかと聞かれたが,私たちは見ていなかったので答えられなかった.とても残念で,恥ずかしい気がした.

ローザンヌ市役所


シヨン城

6月5日(木)雨模様,スイスローザンヌ
シヨン城へ行く.シヨン城はレマン湖の東の端にある.ジルベールのおじいさんが城の内壁の絵を描いたという部屋がある.ジルベールもおじいさんに付いて遊びに行ったことがあるそうだ.
車でそのままレストランへ行く.ぶどう畑を登り,かなり高い山の上にあるお気に入りのボンレストラン.ケーブルカーが何度も道路と交差しながら上の方まで続いている.ところが残念なことに細い雨が降ってきた.私たちはそれ程悪くはないと思ったのだけれど二人ともとても残念そう.見晴らしの良い所へ私たちを案内したかったらしい.室内で食事する.霧雨の中,レストランの周りには一面真っ白な水仙の花が咲いていた.
夕食はハム,クスクスとレーズンとひまわりの種,サラダ,プリン.プリンはルバーブとオレンジジュースとオレンジピールにナッツをかけて焼いたものだ.
夕食後いろんな話をした.ジョスリンが皇室,雅子さんの話題に詳しいので驚いた.スイスはEU連合には入りたくない,何でも自分で決めたいからだそうだ.経済が強いから一国でやっていける.「陸の孤島だわね」とジョスリンは言った.スイスでは7人の大臣が1年毎に首相を持ち回りするそうだ.大臣のうち3人は女性.しかし,女性の投票権は1969年からで決して早くはない.働く婦人の数は多くはない.小学校の子どもが昼に食事のために家に帰ってくるのだ.2年前までは女性は夫の許可がなければ仕事に就けなかったし,家具を買うのにも夫の許可が必要だった.でも,「家で,奥さんが誰々に投票してきてと夫に命令すればそれでいいのよ」とジョセリンは笑って言った.
6月6日(金)雨,スイスローザンヌ
近くの写真ギャラリーに行く.正さんが写真を撮っているのを知ってくれているジルベールの心遣いだ.ジルベールも写真は上手だ.それから,車で旧市街地に行く.教会で男性が両手両足を使ってエレクトーンのようにパイプオルガンを弾いていた.その華麗な技に見とれているとジョスリンが「あまり派手な音楽は教会にはちょっとね」と言って肩をすくめた.教会のなかの壁や柱もジルベールのおじいさんが彩色したものだし,天井画の1つはおじいさんがデザインしたものだそうだ.ジルベールが通った中学の壁もおじいさんが塗ったのだということだった.通路の階段を降りながら「学生時代には電車に乗るために,この階段を駆け降りたものだ」とジルベールは言った.
出店でジョスリンはちょっと立ち止まって,青い帽子を買った.「今着ている服にぴったりよく似合う」と私たちは言った.「まりこも帽子どう?」と言われたけれど,私は小心者でそんなに急にお買物はできない.お昼はパンタード,豆,シリアル,トマトサラダ,パピヨンパン.このパンにはひまわりの種やごま,かぼちゃの種が入っていてとてもおいしい.花のシロップ漬けはジルベールが作ったのだ.「へえ」と感心すると「花をシロップに漬けるだけだから簡単」と彼は言った.薄めて飲んだらいい香りがした.ヨーグルトもジルベールの手作り.ジンジャーアイスクリームはジョスリンが友達に教えてもらったレシピで初めて作ったそうだ.「ちゃんと出来ているかしら」とジョスリンは心配していたけれど,みんな私たちのために準備していてくださったのだと思うととても嬉しかった.
ジョスリンの庭はイングリッシュガーデンだった.家の幅と同じ細長い庭だったが,いろんな花が気持よく茂っていた.ジョスリンは「濃い紫色のクレマチスを植えたいの」と言った.今日の午後2時にはポルトガル人の女性が家の掃除に来るという.週一回,5階建ての上から下まで3時間かけてきれいに掃除してくれるらしい.うらやましい限りだ.
明日はサッカーのワールドカップがあるので,あちこちの家の窓にポルトガルの国旗が掲げられてあるのが見える.旗の数からすると,結構ポルトガル人が住んでいるみたい.車の上にもスイスやポルトガルの小旗がひらめいている.ジルベールの孫のレオもサッカーが大好きだそうだ.レオのクラスの20人のうち,スイス人は3人だけだとか.多くのポルトガル人がスイスに出稼ぎに来ている.そして彼らはそのまま長年住み続けていて,親はポルトガルに帰りたいが,スイスで生まれて育った子供は帰りたがらないという問題があるそうだ.ジョスリンの家に来ているお手伝いさんも19歳と17歳の子供がいる.ポルトガルにりっぱな家を建てているのに,そこには住んでいなかったりする.ジルベールもフランスに別荘を持っているが,庭の草だけ人に頼んで刈ってもらっているという.「あまり留守にしていると泥棒に入られるからね」と彼は言った.
さあ今日でお別れ.この後はフリブールに行って,それからフランスに入り,アルザス,シャンパーニュからパリまで旅を続ける.私たちがまだ列車の切符を買っていないのを知って,ジルベールは車で旅行代理店に行き,切符を買うのを手伝ってくれた.「ローザンヌは大きな駅だから切符を買うのに時間がかかるよ」と彼は言った.スイスの旅行代理店でフランスの切符まで簡単に買うことができた.ローザンヌまで車で送ってもらって,私たちはジョスリンとジルベールにさよならを言った.

ジルベールが駆け下りた階段
つづく