ダイビング事故を避けるための意識していただきたい、事故に関すること


 ここに、これからさらに発生が予想される今年のダイビング事故を防止できるよう、その願いを込めたコラムを掲載します。


「スクーバダイビングの事故多発を考える。リキッドエリア(液体領域=水中という特殊環境)からの誘惑と安全対策」

 1.ダイビングの事故を知ることの大切さ

 スクーバダイビングのシーズンです。

 これは全国のダイバーの方々への個人的メッセージですが、特にダイバーと事故も多い静岡県と沖縄県を取り上げてコラムとします。地域にこだわらず、考える材料にしていたければ幸いです。

 

静岡県は沖縄県と並んで、ダイバーあこがれの地です。そして伊豆半島は、まさに世界有数のダイバー集中地域です。これほどたくさんの変化にあふれたダイビングスポットが一地域に密集し、しかも全国からダイバーが気軽に来ることができる、総合的にダイビング環境が整備された地域は世界的にも貴重です。また沖縄県は、これも広い海域に変化に富んだダイビングスポットがきら星のごとく存在する世界的なダイビングポイントの地域です。

 ただ忘れてはならないことは、レジャーとして楽しむダイビングでも事故が起きることと、ダイビングの事故の程度は、一般の人が行う他のどのレジャーやスポーツと比べても、事故が起きれば特に高い致死性を持つということです。昨年も全国で多数の事故が起きています。社会の経済的状況もあって、ダイバーが一年間にダイビングを行う回数が減りつつある中、ダイビングの事故が増加してきているという事実は重要です。しかもこれらのダイビングの事故を分析すると、事故が取り返しの付かないところにエスカレーションしていく過程のどこかに、ほぼ、人の判断ミスや手抜きが見られます。つまり大抵が人災とも言えるのです。
 ダイビングは慎重に行うことで事故が起きなければ、ある意味天国の遊泳となりますが、なめてかかってトラブルが起きると、ささいなことでそれが事故につながり、高い致死性に直面することになります。そのために、注意を怠らない、事前の準備と、ダイビング中の欲張らない姿勢が必要なのです。

 

■最近10年間の死亡・行方不明者数推移(20118月判明分まで)

(データ提供:海上保安庁、静岡県警、沖縄県警、各地の消防、自治体他/工事・軍事・漁業・密漁を除く)

 このデータから分かるように、ほぼ一貫して重大事故が増加してきています。

 ここで、最近五年間の、静岡県と沖縄県のダイビング事故の状況を見てみます。

 ダイビング死亡・行方不明者事故発生状況(他に植物状態、重度後遺障害者あり)
(データ提供:海上保安庁、静岡県警、沖縄県警、各地の消防、自治体他/工事・軍事・漁業・密漁を除く)

 

静岡県

沖縄県

両県合計

全国

人数

全国シェア

人数

全国シェア

人数

全国シェア

2006

2

15.4%

4

30.8%

6

46.2%

13

2007

4

16.7%

4

16.7%

8

33.3%

24

2008

6

26.1%

5

21.7%

11

47.8%

23

2009

6

23.1%

4

15.4%

10

38.5%

26

2010

5

15.6%

9

28.1%

14

43.8%

32

 

過去5年間の静岡県と沖縄県の死亡・行方不明者数推移

  

 ダイビング事故の発生状況は海上保安庁が発表する事例を引用して報道などがなされることが多いですが、これは海上保安庁に届けられて認知された事故の数値であり、届けられなかった事故は換算されておりません。これを補うために、届けられていない事例を調査して加えたものがこの数値の現時点分です。これは私が事故発生の実態が過小評価されていることに気づいてから10年以上続けている集計方法で、2004年と2005年分は東京大学と共同で数値を出しています。

 みなさんはヒヤリハットの法則というのをご存じでしょうか。これは1件の重大災害の陰には、29 件のかすり傷程度の軽災害があり、その陰には、300件の、怪我はないがヒヤリとした体験が存在するという法則です。ダイビング事故の場合には、地上ではかすり傷程度の事故ですむはずであっても、何十キロの装備を身につけた上、背負ったタンクの中以外には空気はないというハイリスクの水中や、波に揺られる水面では、簡単なトラブルが深刻な事故になることが多々あります。僅かなトラブルや状況の変化から重傷となったり、普通ならば現れない疾病が現れたり、それらが深刻化すると、死亡や植物状態、脳や脊髄を中心に重度の後遺障害が残る事故につながっていくこともあるのです。例えば今年に入っても、上記のデータに記録されていない昨年12月に起きた事故を知ることがありました。それは、海に入るとき(エントリー時)に起きた、ガイドの判断ミスから起きた客のダイバーの足の骨折事故でした。初心者は本来避けるのが当然と思われるような波の状況下で、何人もの初心者たちを、ガイドが一人一人のエントリーをすぐ側で手を貸しながらカバーすることもなく離れたところにいてエントリーさせ、このため波に翻弄された初心者が自分のコントロールもできないままにもう一人の初心者に接触し、接触された側のダイバーが足を骨折したという事故でした。

これが、ダイビングの装備を身に付けていない陸上の日常生活でバランスを崩して接触したのであれば、単に膝を擦りむく程度で済んだと考えられる程度のトラブルが発端でした。そこに、まともなガイドなら行わない(安全を考えるならそもそもダイビングポイントを変えるくらいの波があった)判断ミスを犯し、その上、客の安全を守るために身近でカバーすることもなかった(そばで手を貸していれば骨折などにはならなかった状況)というサボタージュ(手抜き)から、このダイバーはささいなことから、避けられるはずの足の骨折に至ったのです。

またこの方を引率していたガイドのショップは、救急車を呼ばずに事故者を直接病院に運んだのですが、事故があったことを行政機関などに報告しませんでした。その結果、この事故はどの記録にも残されなかったのです。そのためこの事故は、ダイバーが関係する事故の記録上は存在しない事故となったのです。私は松葉杖をつきながらのこの事故者と親御さんに面談し、当時の書類などを確認しながら事故を確認しています。その後、プロのインストラクターとこの事故者を3人でまた詳しく話をし、状況を確認する機会も持てました。

 この事だけからも、比較的実数に近い数値が把握ができる死亡・行方不明者数から推定(数ヶ月も意識不明のまま別の病院に転院してその後の状況が分からなくなっている事故者もいますので、この数字は最低限の数字です。)して、いったいどれだけの事故が記録されないままでいるかを考える必要があります。

 事故数の多さは、ダイビング特有の減圧症の治療ができる全国の医療機関で治療を受けるダイバーの数が、実は百人程度ではなく、それよりもはるかに多い数となっていることからもその深刻さが分かります。しかしこれらの実態は、一般に周知されることがまずない状況なのです。

 楽しく感動的なダイビングをするためには、しっかりとダイビングの事故の背景をよく頭に入れ、優良業者の正しい指導に耳を傾け、決して無理をせずに行う事が大切です。レジャーは日常に戻れてこそのレジャーです。日常に戻ってこれないことを覚悟して行う行為はレジャーではなく冒険です。冒険ごっこは楽しいレジャーとなりますが、事実としての冒険はレジャーではなくライフスタイルの問題となります。レジャーでは引き受けられない危険を引き受けなければならないからです。ダイビングの事故の中には、手抜きや油断から瞬間的にレジャーが冒険状態に置かれたことで発生して事故にエスカレーションしている事例が見受けられます。慎重な注意と謙虚、欲張らないことが、ダイビングを長く安全に楽しむコツです。

リスクマネジメントの一つとして、ダイビングでの冒険的な行為を、あたかも一般のレジャーダイバーに対して価値があるかのように吹聴するダイバーや業者がいたら、彼らとは距離を置いて関わりを持たないようにしましょう。例えば“ガンガンダイビング”という、ひたすらダイビングの回数をこなしたり、大深度ダイビングという深いところ(水深30m以上)でのダイビングを行うことを自慢することは、通常のレジャーとして行うダイビングの範囲を超えているダイビングをすることの自慢です。それを行うためには、本来は、時に過酷な訓練と個々人の潜水適性の程度を慎重に検証することが不可欠です。これは、業者が自称するなんとか団体や機関という、あたかも公的な存在かのような名称(その実態は、営利追求を優先する普通の事業会社です。団体や機関などとの自称はせずに、堂々と事業会社として社会と接すればいいのに、何故営利目的なのにそれを否定するようなイメージの定着に固執するのか、と考えてしまいます。)を使ったり、民間が自由に作って販売できる認定証(Cカード。それを持っているだけではなく、きちんとダイビングの技量を身に付けて初めて意味を持つもの。手抜き講習でこれを買うだけならもったいないので、自分で任意団体を名のって自分で作る方がタダだからいいかも?法的根拠は同じなので。)のランクについての、行き過ぎた商業的イメージコントロールとは関係ない、本質的な部分です。

 冒険ダイバーになるなら、覚悟をもって踏み出しましょう。それならばそれも楽しいものです。たとえれば、一般のレジャーとして行う散策登山から、冬山のピッケル登山を行う山男(山女)への転身と同じ、ドラマチックな変化です。

 

2.商品スポーツとしてのダイビング事故が減らない背景

 レジャーとして行うダイビングは商品スポーツの一つです。それはダイビングを行う機会(体験・講習・ファンダイビング)を、業者が役務商品(サービスを行って対価を貰う商品)として一般向けに安全な商品だとして販売しているからです。そこには、例えばトップを目指して過酷な練習を行うアスリートや冒険家が自覚しているような、それを行う事でのリスクは基本的に自己責任という意味の危険の引き受けは存在しません。ですから商品スポーツでは、一般の人が日常生活の中にあるレジャー中に起きても我慢できるトラブルと同じ程度のリスクしか認められません。これは最高裁の判決を初めとして、多数の刑事・民事の裁判でも明らかになっていることです。

 ですから、一般向けの商品スポーツ(レジャーとして販売されているスポーツの機会)で、業者の事業者責任=販売する商品スポーツの提供役務の安全品質=を軽視して、危険への説明責任を十分に果たさずに、消費者の自己責任を強調しすぎるきらいがある業者は避けるべきです。ダイビング業界は、そのビジネスへの参入があまりに自由なため、日々自己研鑽を積む優良なプロと、遊びの延長で自由にいろいろと名のりながら活動する無責任なプロが混じり合っているのです。これが、ダイビングビジネスという、消費者の致死的要因を高く持つ商品を販売して利益の最大化を目指す業界への参入障害を事実上なくして、過度な自由市場にした結果生じた弊害部分で、社会的な課題です。

したがって消費者が自己防衛をするためには、自分で常に最新の情報を入手し、自分の安全に寄与できる優良なプロ(ショップ)を選んで、そこでダイビングをすることが必要です。消費者としての自己責任は、自分で事前にこのような情報を得る努力をどれだけするかにあります。

 

3.事故時の責任の背景

 これまでのダイビング事故の内容を見ると、その大半が人為的ミスや少しばかりのサボタージュ(手抜き)によって起こったり、また重大化していました。つまり多くの事故が人災とも言えます。

このような中、事故の原因はダイバーのパニックや技量不足だから、事故者の損害は全て客の事故者の自己責任ではないかと主張する業者や、商品スポーツとアスリートスポーツにおける危険の引き受けの程度の違いを理解できない、あるいは何らかの事情で理解したくない学者などがいます。しかし講習生に充分な技量(潜水技術と安全管理能力とそれへの意識のこと)を習得させないまま(習得させるのが業者の契約上の債務である。)、営利を目的とした商行為においてダイバーと認定した側の契約不履行責任や認定責任そのものに言及しないのは、消費者と販売者の関係性の中で見て不公正と言えます。

この不公正な、そして業者側の契約債務が正しく履行されないビジネスが少なくないことから未熟なダイバーが生まれ続け、その結果、プロ資格の乱売となって、能力に欠陥を抱えたままのインストラクターが生まれ続けているのです。また深刻な問題として、未熟なダイバーの多くが、自分が未熟なままダイバーに“されてしまった”事実に気づかずにいることがあります。これは恐ろしいことです。欠陥講習の事故爆弾がいつ爆発するか分からないままの時限装置を知らずに埋め込まれたようなものです。まるでXファイル(アメリカのSFテレビドラマ)の中の出来事のようにも見えます。ただし自分でこの欠陥を自覚してそれを補修する活動を地道に行っていけば、後日充分にダイバーとしての活動を安全にできるようになりますが、その前に事故が起きたらどうしようもありません。

現在のビジネスシステムでは、その欠陥を直すためのリコール(販売した能力補償行為=ダイバーと認定する商行為=の責任ある再評価に基づく再訓練の実施)は行われていません。ダビング技量の欠陥は、ダイバーの生命の危険と直結している大変重大な問題です。社会は、この、致死的要因が存在する商品についてのリコールを行わないビジネスの実態を認識し、モノを作る製造業に対する目と同じレベルで彼らを見て評価するべきでしょう。ただそうすれば、現在の、一部の支配的事業者に集中して高収益をもたらす状態は揺らぎます。それへの反発は、今以上に強くなることでしょう。

 また、いい加減な業者たちによる手抜きがはびこる現状は、安全のためにコストもかけ、勉強も続け、正しくきちんと講習やガイドを行っている業者(ごく一部の団体も)や現場の優良業者のプロたちにはとても悔しいことでしょう。一般のダイビング市場において、彼らが努力して作り上げた良質の商品(役務=講習・体験・ガイド)を、手抜き商品と同じに扱われることがあまりに多いからです。

 昨今の不況の荒波の中で誰もが懸命にがんばっているダイビングビジネスですが、現場に出ることはなく、基本的に事務処理で利益を上げている某有力ダイビング事業会社は、平成22年12月決算で、社員一人あたり年間約4千百万円の売り上げを達成し、その社員一人あたりの税引き後利益は約5百85万円を揚げていました。対前年減収にもかかわらず、利益額が前年より増加しました。減収増益です。税引き後利益率は前年の13.5%から14.4%にアップしました。この減収増益の傾向は、この10年間続いています。

 また別の会社の場合で、その平成21年3月の決算データを見てみると、7人の社員で2億3千万の売り上げを達成し、1千4百618,000円の税引き後利益を得ていました。実はここの10年前(2000年3月期)の売り上げは4億3千9百万円で、税引き後利益は1千978,000円でした。つまりこの10年間で売り上げが54%も減ったのに、純利益は133%以上伸びたています。

 この売り上げの伸びの背景には、もちろん当然懸命な企業努力があったと思います。その汗と努力は高く評価したいと思います。ただ彼らが収益源としている商品スポーツは、ささいな品質上の欠陥によって消費者の健康と命を損なう可能性が高く、このことは特にこの10年間の死亡・行方不明者数がダイバーやダイビングの機会の減少に反比例して増加しているのですから、まずは、利益率と利益額の追求のスピードを相当に緩めて、その利益の相当部分を、宣伝目的の慈善行為とは異なる、リコールを含めた実質的な事故防止のための活動に費やすべきではないかと思います。事故防止のための研究や、水中スピーカーの設置を初めとした、ダイビングポイントの安全のための設備の補助金にそれら利益を全部使っていただきたいと願っています。何しろ彼ら高収益事業者は常に自らが公益団体かのように自称しているのですから、そのように行動をしていただきたいだけなのです。

少なくともこの10年間に把握できただけで200人を超える死亡・行方不明者の方々がいます。さらに事故後の植物状態を含めた重度の後遺障害受傷者や、その一部が闘病後亡くなっているかもしれません。ですからこれは真剣に考えなければならない大切な話なのです。

人災としてのダイビングの事故を防ぐには、優秀なプロによる慎重な事前計画と、適切な人数比でのダイビングの実施が必要です。そして今後のために、水中スピーカーの設置などでのダイビングポイントの安全対策の実施です。

 この人数比にかかわる最新の課題を紹介します。

 昨年から今年に書けて出された刑事裁判での判決を見ますと、事故がダイビングの民間資格販売会社である「指導団体(機関)」が作った私的な規準内の人数比(インストラクターと客のダイバーとの人数比が1対2や1対4などでOKとするもの。)で行われたときに起きたときでも業者は免責されていません。沖縄県が条例(施行規則)で定めている人数比も採用はされません。最高裁が一般ダイバーの命を守るためにダイビング業者に課した「常時監視義務」を履行するには、沖縄県条例の規定や民間「団体」や「機関」の定める安全規準では不適切だからです。人命に関わる事柄ですから、理由を付けての人数比問題を先送りするところは、それなりのところに過ぎません。

 ダイビングをレジャーとして楽しむときの大前提とは、ダイビングを楽しんだ後に、普通に日常の生活に戻ることです。日常があってこそのレジャーだからです。したがってダイビングは非日常的ではありますが日常と境界線はつながっています。レジャーとして消費される商品スポーツは、安全をないがしろにしてこの境界線を分断してはいけないのです。

 日常がいかに大切なものかは、東日本大震災の被災者の多くの方々が何より思い浮かべることの一つとして挙げていることからも分かります。失ってからでは遅いのです。

そうは言ってもダイビングは自然相手であり、行うのが人間ですから、数学的な絶対安全というのはあり得ません。それを踏まえた上で、できるだけ人災の要因を排除した安全性の高い商品(役務)を提供してくれる業者を探すことが、消費者であるダイバーにとって必要となってきます。

では一般のダイバーはどのような業者を選ぶことが、より品質の高いダイビングの商品を手にすることにつながるのでしょうか。

まず、未経験者やそれに近い人が体験ダイビングを行う場合や初級者講習を受けようとする場合は、海洋実習で実際に潜るときになったら、必ずマンツーマンで行ってくれる業者を探すことです。

司法はダイビングの安全確保の手段について次のように判断しています。

今年出された、1対3の人数比で行った初級者講習中の死亡事故裁判の判決(確定)では、裁判官は、事故を避けるためにはインストラクター1人で受講生3人を同時に行う「講習を中止するか」、「個別に1対1での講習」を行うべきであったとしました。

この判決では、執行猶予が付きましたが禁固刑の有罪が確定しています。

今、ダイビングという商品スポーツの安全性の確保のためには、最高裁が示し、それ以降いくつもの積み重ねられたダイビング事故の刑事・民事の裁判で業者の義務とされている「常時監視義務」を履行することが必要であり、この司法基準が社会的なその要求品質なのです。

したがって一般の消費者であるダイバーは、この司法基準に沿った適切な品質の商品を提供できる業者を選ぶ必要と権利があるのです。

ここで、消費者の注意すべきことを挙げます。

消費者が、1対1の人数比は結構だが、料金は1対複数と同じレベルまで一人当たりの料金を下げないとダメだと業者に要求することを行ってはなりません。

プロによる、人命にかかわる安全管理が必要な役務商品では、何が何でも料金を安くしろと言うのは妥当な考え方ではありません。それは消費者自らの“欲”に支配された、安物買いの命失いともなりかねません。ダイビングにおいて過剰なダンピングの要求は見苦しくもあります。

また友人や家族が講習や体験で一緒に潜ることができないのは、水中の思い出を共有できなくなって楽しくないから、何が何でも1対複数で行えと要求することもよくありません。それはマンツーマンで行う良心的なインストラクターに、安全管理義務にストレスをかけ、事故発生の確率を高め、さらに事故後には高い法的リスクを押しつけることになるからです。それはある意味卑怯です。家族や仲間で一緒にというのであれば、マンツーマンで自分に着いてくれるプロを自分たちの人数分雇ってそばに付け、その上で一緒に潜るようにすべきです。

毎日救助訓練に明け暮れている、海水浴場で安全管理を専門に行うライフガードたちでさえ、1人で最大1人に対してしか救助行動を行いません。事故になった場合には、1人で複数の人を同時に救助しようとすると危険すぎるからです。万が一ダイビング中に事故があった場合に、数十キロにも及ぶ器材を身につけた二人を、一人のインストラクターが同時に水中や水面で自在に扱って救助できるという考えは甘すぎます。インストラクターが使える手の空きがなくなるからです。

1対2では、インストラクターが客の2人の安全をコントロールするために、彼らを水中や水面で確保(つかむ)してしまうと両手がふさがってしまいます。このときどちらか一方か、あるいはその両方がパニックになって暴れたり、潮の流れなどで行動の自由が制限されるなどの追加のトラブルが重なったとしたらどうなるのでしょうか。

2人をつかんだ手を離さずに、自分も含めた3人がつながり合ったままでは、連鎖事故に遭う確立がマンツーマン時点より飛躍的に高まります。そのとき一人を助けようと思ったら、インストラクターは確保している誰かの手を離して、その人を見捨てなければなりません。そのとき、捨てる側を選ぶ判断にどうインストラクターはどう責任を取るのでしょうか? またダイビング中に地震が起きて、津波の発生があったときに、津波が来るまでの時間が30分あったとしても、水中では強い水の引きが発生します。その際インストラクターやガイドは、初級者の体を確保して、水底の何かにつかまって引き波に引かれないようにし、さらに流れに逆らって急ぎ浜に上がるためには、最低でも片手が空いていなければなりません。それは初級者が行う浅い水深での体験や講習でこそ必要なことです。

実際に東日本大震災のおり、震源地から遠く離れた水中にいたプロダイバーが、それほど高い津波ではなかったのに、強い引き波に逆らって、海底のロープにつかまりながら水中を移動して陸に上がったという話を聞きました(後日の機会にまた当HPか他の機会できちんと触れます)。もし自分のダイビングポイントで、初心者2人を確保して2本とも腕がふさがっていたならば、そのパーティはインストラクターと共に流されていくでしょう。東海地方から南海地方に至るまで、大地震が起きる可能性は周知の事実です。したがって津波の引き波が想定外という言い訳は決してできません。これを軽々しく考えているインストラクターやショップからは離れた方が賢明と考えます。

次も大切なことです。優良業者の安全という品質の背景には、日々の努力や経費・手間がかかっています。その“原価”を無視して、彼らの生活が成り立たなくなるようなダンピングを要求することを消費者が行ってはなりません。人の生死に関わる安全を確保するための技量を持つ人間を、そんなに安く見たり扱ってはいけないものです。彼らのような本物のプロに対する尊敬の念は、自立した消費者としてしっかりと持つべき見識です。

さらにダイバーは自分の健康管理に気をつけねばなりません。言い訳をしながら不摂生をすることを止め、自分の体力やダイビングの技量に過剰な自身を持たない謙虚さを忘れないことが必要です。自分の不摂生でダイビング中に事故を起こして、その結果、周りを巻き込む危険が常にあるからです。

また事故が発生すると、特に漂流などした場合には、その行方不明ダイバーの捜索にかかる海上保安庁の艦艇やヘリコプターの出動経費、協力してくれる漁協の船と燃料代と人件費や漁の機会の喪失の経費、救急車の出動経費、ドクターヘリの経費、医療費、そして時には海上自衛隊の艦艇の出動経費、また沈んだかも知れないダイバーの水中捜索費用にも多額の費用がかかってしまいます。もし個人で海上保安庁の持つような高性能の艦艇をチャーターしたとしたら、それがたった一隻でもいくらかかると思いますか?

こういった実費を、今まで事故者や事故を起こした業者は自己負担していましたでしょうか?いいえ行っていません。第十一管区海上保安本部が何年にもわたってテストを繰り返し(第三管区でも行われている)、その上で沖縄県が漂流の可能性があるダイビング時の持つことをガイドラインで示している、捜索する船舶のレーダーが海面で感知できる数千円のフロートすら持っていたことがありません。言葉が汚く不適切かもしれませんが、手抜きや“欲”で起こした事故の尻ぬぐいには、今までずっと多額の税金と漁師などの善意に頼る彼らの出費(場合によっては一部補填されるが)などが費やされているのです。

事故を起こした手抜き業者や、あるいは無謀なダイビングを自慢したい一般ダイバーは、事態収拾後、普通は関係者が地元の海上保安庁でお灸を据えられて終わりです。これでいいのでしょうか?

今や税金は、これまで以上に、震災の復興費用や、福島の原発の被害者の国家賠償、そして日本の領海や経済水域の権利を守るための活動などに使われるべき貴重なものとなっています。

ダイビング事業における手抜きやダイバーの “小欲”が招いた結果で、こうした社会制度や税金を浪費してはいけないのではないでしょうか。

ダイビングの安全管理は、それをしっかり行うだけで税金の浪費を防ぐという、大きな社会的貢献ができることでもあるのです。

ダイビングの事故を防ぐことは、一レジャーの問題に留まらず、社会的な課題です。

 

4.大人の意識で楽しむダイビングは本当に楽しい

ダイビングは、それを行った者にしかわからない、ある意味想像以上の楽しさと、心の中に大切にされている感性への不思議なアプローチがあります。それはリキッドエリア(液体領域=水中という特殊環境)からの誘惑です。無重力の快感と、本来は生存できない特殊な環境で感じる感覚は、ある種の恍惚感にも似てもいます。その誘惑は、そんな特別な感動を提示します。

ダイビング未経験の方は、正しいリスクマネジメントを実行して、ダイビングは安全が第一とクールに心に刻み、正しく品質管理のされた商品(スクーバダイビングは商品スポーツの一種です。)を購入して、一生に一度はそんな感覚を体験してみましょう。それは楽しいものです。

 

 事故のないダイビングを楽しむ知性の発揮は、レジャーを楽しむ大人の特権です。


参考資料  2010年の全国の事故


 平成23年8月17日
 

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