二つの自己責任


 以下で論ずることはあくまでも現時点においての個人的な考えです。


二つの自己責任

 「自己責任」という言葉について考えます。
 昨年、ある、ダイビングマスコミなどで著名な方々も多数出席した集まりに行く機会がありました。ここではお互いを紹介するときに、幾度となく「この方はガンガン潜っている」というような言い方で紹介していました。
 この集まりは、「自分はダイビングでなら死んでもいい」、「ダイビングができないようなら死んでもいい」、「自分は何度もベンズになったがダイビングを止めるつもりはない」というような発言をする人々が主流でした。
 つまり彼らの多くが、ダイビングでは何が起ってもすべて「自己責任だ」(但し業者は常に免責)と語っている側の人々でした。
 確かに彼ら自身の事故の場合においてはそれでいいのではと思います。こういうローカルルールに相当するものは、致死性のある雪山登山者などの間にあるものと共通していると思います。
 ただこの集まりでは、そのダイビングを安全かつ手軽な商品と語って一般の人々に対して販売している側、およびその側に属している側の「自己責任=事業者責任」については誰も言及しませんでした。商品を販売する側にとって、これこそが最も大切なことだと思う私には、かなり異様な感じがしました。

 彼らに利益をもたらしてくれるダイビング商品を販売する対象は、「ダイビングで死んでもいい」と思っている人々よりも、その圧倒的多数は、自分の人生に彩りをつけるための「安全なレジャー商品」の一つとして、ときにはファッショナブルな遊びとしてダイビング商品を購入する人たちです。決して「ダイビングで死んでもいい」と覚悟している人たちではありません。
 「ダイビングで死んでもいい」と思っている側には、客に対しては「ダイビングで死んでも、原因の如何を問わず、全部あなたの責任」と言っている割には、事故というビジネス上の事業者責任を正しく背負うという意味で、「ダイビングビジネスのためなら死んでもいい」とは思ってはいないようです。
 もし販売側が消費者側に、彼らが言うような「自己責任」を求めるならば、販売側は、商品を購入した消費者側が死ぬ可能性や、一生を苦痛の中で過ごす可能性について、徹底的に(形ばかりの徹底的にではなく、骨のずいから徹底的に)消費者に説明して、その同意を事前に得ることが欠かせないことと思います。「あなたは本当にダイビングで死んでも、一生障害を負ってもいいんですね」と。そしてこれを販売側は毎回行う義務があると思います。そうすれば、事業者責任の一部が消費者が負うという考えに多少の説得力が出てくると思います。
 なお現場で働くインストラクターの方々にも報告します。
 この集まりでは、某団体の長の方が、ダイバーや講習生の健康診断問診表などが正しく行われていないことをについて、「インストラクターがちゃんとやらないから」という発言を満座の中で行っていました。この時、これはこの長の方が、自分たちが販売したインストラクター資格によって生まれたインストラクターが、自ら定めた「基準」の一つである健康診断問診表などを正しく実施しないことで事故が生まれている(命を失っている消費者の存在)事実を認めているのだと私は受け取りました。
 つまりこの発言によって、自ら販売したインストラクター資格の不完全さ(=消費者の死の可能性・・・実際に何人も死んでいる=つまりはインストラクター資格商品において致死性を有するという欠陥)を知っていながら、そのインストラクターシステムの欠陥(死ぬ可能性)を放置して消費者(インストラクターも、その資格を購入するという立場では消費者です)に販売している実態が明確になったと思いました。
 ここではその欠陥の責任を、自ら生み出したインストラクターに帰していました。これからインストラクターになる人や、インストラクターとして働いている人は、この事実の意味しているところを十分に考えることが必要なのではないかと思います。
 あなたは、安くはない講習料金を払って、ダイビングビジネスのリスクについて、徹底的に、具体的に教えてもらいましたか?

 ダイビングビジネスの体質を十分に、また慎重に考える必要があるという根拠は、この商品の購入者が、現実にここ10年ちょっとで、分かっているだけで数百人も死んでいるということと、その場で生き残っても、一生続く重度の障害を負ったり、数ヶ月も入院した上で死亡するという現実があるという事実です。
 また、ダイビングビジネスの内包する欠陥が事故を誘引しても、その責任(刑事・民事を問わず)は、基本的に末端で働いているインストラクターのせいばかりにされている現実です。

 なお私は、自らの知見によってこの欠陥に気がつき、この欠陥を埋めるために自ら大きな努力と犠牲を払っている優良業者の人々がいることを知っています。彼らは、消費者である一般ダイバーから尊敬され、また賞賛されるべき存在です。



まとめ・・・2つの「自己責任」の考察

(1)「ダイビングで死んでもいい」「ダイビングができないくらいなら死んでもいい」と言っている人々=明示及び黙示の危険の引き受けを承認している。これは一般的にダイビングを商品として販売している(役務・資格を問わず)側が言う「自己責任」のこと。

(2)ダイビングを、人生を彩るレジャーの一環としている人々。つまり消費者側の人々=基本的に明示の危険の引き受けに関しては過失割合の問題となる。一方、黙示の危険の引き受けは承認されない。この層に対して(1)の言う「自己責任」を問うことは不適切。また致死性を完全に説明して同意のない場合(ダイビングによる死を覚悟させない場合)は、明示の危険の引き受けを問うことも不適切であると考えるのが自然。


平成15年1月5日

 このページの内容の無断転載をお断りします。
 このページへの直接のリンクを貼ることはご遠慮ください。
 当ホームページへのリンクに関してはトップページの注意事項をお読みください。


 home.gif (2588 バイト)