連休中のダイビング事故


現在の連休中の事故情報はこの一件ですが、死亡事故です。

■残念ですが、連休中に死亡事故が発生しました。最もあってはならない「見失い」があった死亡事故です。

事故の状況

沖縄県で、インストラクター2人と客4人とでダイビング(講習かファンダイビングかは不明)を行い、その浮上後に、スタッフが客のダイバーA(25-29歳)がいないことに気づいた。

インストラクターらはダイビングボートで周辺海域を捜索し、しばらくして海上保安庁に連絡。その後、Aが水深約15mの海底で意識不明になっているのをインストラクターが発見。Aは救急車で病院に搬送されたが死亡が確認された。ショップ側から海上保安庁への通報は行方不明になってから約1時間後だったとのこと。

これは、あくまで現時点での限定された情報された中からの推定に過ぎないが、業者の常時監視義務の問題、バディシステムを有効にするべき指導・管理の問題、バディ同士の相互監視義務の問題が検討されるべき課題と考えられる。ダイビング実行時の数字上の人数比では、経験者向けのファンダイビングであるなら特別に危険な問題のある比率ではない。しかしそれでも見失っているという事実は注目すべきである。

このホームページでは10年以上前から、常時監視義務の問題、バディシステムを有効にしなければならないという問題、バディ同士の相互監視の義務の問題を訴えている。私が書いた本などでも同様である。しかしそれでも多くの事故は「いつもの事故」であり、「いつもと同じような原因」であり、またなんらかの特殊な背景がないのであれば、いつも「防げた事故」であったと見られる。

いつものように「防げた事故」であったなら、何で防げなかったのか。いつも同じ疑問が湧く。
そして一般的ではない背景があった場合には適合しないかもしれないという条件付きではあるが、一般的な答えとして考えられることは、これも10年以上前からと全く同じ、業者側に対しては、「業者は常時監視できるような潜水計画を立て、その義務を履行すること。バディシステムの崩壊を防ぎ、このシステムを客のダイバーたちに厳格に実行させること。できなかったらガイドや講習はやるな。」に尽きる。そしてバディシステムの履行ができない客に対しては、業者側はガイドや講習を行わない選択が可能であり、サービスを販売するかしないかの決定権は業者側が握っているのである。「危ないならやるな」である。しかしリスクをとってでも受けた以上は契約による各種義務は履行すべきことになる。その客に対して義務の履行ができそうもなかったらサービスを販売しなければいいのである。それは業者の自由であり権利なのである。
客の側からは、「常時監視義務を履行できる潜水計画とそのための体制が取れない業者や、バディシステムの崩壊を止められない業者のサービスは受けない。購入しない。同じくそのような業者からはファンダイビングだけでなく講習の受講もしない。自分の安全のためには、多少の費用はかかっても、各種義務を履行できる業者を選ぶ。」ということに尽きる。つまり消費者は優良業者を選んでそこのサービスを買う、ということが何にも優先して必要なのである。インストラクターやガイドが見失ったことに気づかないという状況での事故は多い。拙著で紹介している事例の数々を見てほしい。

何で防げるのに同じように事故が起きて同じように死んでいくのか。なぜこのような同じパターンの死亡事故を注意するような本質的な大キャンペーンなどが、このビジネスで利益を上げている消費者の保護になるはずなのに業界側から行われず(アリバイ的なものは行われることがあるが。)、私のこの訴えも常時無視されつづけて犠牲者の数だけが記録として残って行くのか。そして死につながる情報を正しく出さない各種メディアのあり方を問う声が社会の中で起きないのか。なぜ某放送局では、全国で何度もダイビング事故の背景の問題を取り上げようとする企画が上がってもつぶされていくのか。

一般のダイバーがダイビングを行う時間は、その準備を含めても長大なものではない。わずかな時間に安全確保の配慮ができずに一生を棒に振る(事故者のみならず場合によっては業者も)結果を招くことが繰り返されていくのはなぜなのか? ダイビングを楽しく行うためにはこのような事実からのがれてはならないことが、なぜ大々的に社会で取り上げられないのか。そしてなぜこういった安全に配慮して事故に注意するようにとの教育が、講習を販売している側から言葉やテキスト上でのアリバイのような記述にとどまらずに、最優先事項として徹底的に行われないのか? 極めて残念である。そして安全のために誰もが少しづつお互いに注意しあうということが、どうしてできないのか、これもまた残念に尽きる。(できている場合は事故は起きないか、起きても重大化する前に収束していると考えられるので、これはできていない場合の指摘である。)

無視、軽視、安易、注意を訴える者の排除、・・・大きなものを失ってから顧みると、これらの小さな楽への欲望への執着は、高い代償を求められるものではなかったろうか?

 

すべての死亡事故に遭った方々に、深い哀悼の意を捧げます。また助かっても犠牲を払った方々の苦痛が少しでも和らぐよう心から祈ります。


平成21年5月22日

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