バディの責任について


■楽しくダイビングを行うとき、バディ同士の関係を楽に見すぎていないでしょうか。それについてちょっと書いてみます。

これまでの事故で、バディがバディシステムを守っていなかった、軽視していたということで死亡を含む事故はたくさん起こっています。そういう事故で、遺族からバディが訴えられ、検察も業務上過失致死罪の”犯人”として起訴するかどうかを真剣に検討した事例もあります。

有名なダイビング事故の判決(神奈川県スキューバーダイビング漂流事件 東京地裁 昭和61年(ワ)第2260号)では、バディシステムでの義務についてこのように述べています。

「このシステムの遵守は単に潜水から浮上までに限られるものではなく、潜水器具の準備、計画の立案から潜水後の上陸まで行動を共にし、その間相手のバディに危険が生じたときは必要な救護、援助措置をとることが義務づけられている」

バディシステムはダイビングの安全率向上のために不可欠の大原則です。これは私見ですが、バディとなった側がインストラクターなどの場合は、その責任はずいぶんと重いものになる可能性があるということです。
先に書いた検察の起訴の検討の件ですが、このときは、死亡した事故者のバディも同じ程度の経験の初心者でもあった上、その技量の中で、救出の努力を行ったことが”証拠(記録)”から証明されていたことから、”犯人”という扱いはしなかったのではと思います。
またインストラクターが管理(引率・指導)するパーティで、被管理者側のバディシステムが機能せずに事故が起きたときは、事故者がバディシステムを組んだ、守るように言った、というだけでは事故そのものに対する免責は認められていないようです。

たぶん、に過ぎないですが、特殊潜水や特別な人生観に基づくダイビングを行いたいと考えている方を除く一般のファンダイビング愛好者や特にインストラクターの中で、バディシステムを軽視することや、その軽視の背景に「何でも前向きに」という言葉を、何か手抜きの言い訳に使っているように見える”無責任な”明るい人は、「ダイビングは本質的に危険を内包している」(東京高裁判決 平成5年(ネ)第4633号)という中では、危険なパートナーや指導者・引率者、そして潜水計画の責任者ではないかと強く考えられます。
大きな誤解を受けるかもしれないことがあっても敢えて簡単な言葉でいえば、あくまでもダイビングにおいてですが、無意味に明るい人は、楽しくて、”いい人”でも、実は危険な人なのかもしれない、ということです。


平成21年5月3日

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