事故の、記録に残る内容と、その時に現場にいた方からの報告の比較

記録の内容(平成9年の事故)

11/2 静岡県 男性30代1人

ダイビングツアーに参加して、総勢11名でポートからダイビングを開始したが、技能不足のため浮上困難に陥り溺れた。浮上してこないため、インストラクターが捜索したところ、海底に沈んでいるのを発見、救助してツアー客の医師2名と看護婦1名により心臓マッサージ等を受けつつ港まで搬送し、救急軍に引き継いだが、収容先にて死亡が確認された。

(財団法人 日本海洋レジャー安全・振興協会)
その場にいた方からの報告

1997,11,2の神子元島ことでした。
当時私はCカードを取って約一年、71本目でした。モルジブ、八丈島での激流を体験していたので神子元でも大丈夫と思いエントリーしました。ご存知とは思いますが、前月の中旬頃「スクリューに巻き込まれ・・・」の事故の後のこともあり結構ドキドキしていました。当時我々のほかに二組のツアーがボートに乗ってました。A(ドライスーツグループ)とB(ウエットグループ)とします。名前を覚えていないので。
エントリーの順番はA、B、我々の順。何の問題もなく我々は最後に(最後のはずだった)ボートに拾われました。この時Aグループの1人がはぐれたらしく、我々と一緒になってエグジット。器材をおろし一息つこうとしていたところ、仲間が2人が溺れている人を発見し、即イントラ2人が救助に向かいました。
2人は無事救助され、みんな「よかった」とホットしていたところ「1人足りない!」と言うことになり探し始めました。最初は「流されたのだろう」と思い全員で海面を凝視しましたが見つかりません。今日一本目と言う事と潮の関係も有り、流すというより根の回りをという方法だったので遠くに流されてはいないはずでした。
ここの段階で溺れた2人を救助してから約15分経っていました。ここで私がハッと思ったのですが、私がボードに上がる寸前、ただなんとなく水中を覗いたとき、気泡が上がってきていた事を思い出しました。溺れた2人もその近くで溺れていました。船長にその事を伝え、戻ってから行方不明者を連れてきたAのイントラが探しにエントリー、5分も経たずに見つけ救助しましたが・・・。
後に地元の新聞には掲載されたとのことですが、帰らぬ人となったのです。因みに、溺れた2人と亡くなった人の残圧はゼロでした。
二泊三日のツアーだったのでその日の宿でみんなで色々話しました。翌日聞いたのですが、Aグループは水中でバラバラになってしまったそうです。
それぞれ三人バディーを組んでいて、1人がエア切れをおこし、オクトパスブリージングで浮上したらしく、残された1人が亡くなったとのことです。この時オクトパスを渡していたのは女性のイントラとのこと。

==以下は報告者の感想==

今回の体験は色々考えさせられました。私も海外や伊豆諸島の難所(表現が適切かわかりませんが)を経験し、慣れてきたところで海を少しなめてた部分が有ったり、ガイドにおんぶにだっこだったので、最終的に自分の命は自分で守らなければならないと痛感しました。

この事故で思ったことですが、

1.初めの2人を救助したのはBと我々のイントラ。
2.Aのイントラはさっさと自分だけ他のお客より先にボートに上がっていた。(溺れた人、亡くなった人とは別) Aのイントラが動いたのは、最後に救助した時だけ。
3.点呼を取っていなかった。
4.Aのお客さん同士あまり顔見知りでなかった。

最終的には自分自身の責任だと思いますが、原因はエントリー前のブリーフィング不足、イントラの怠慢、スキルの問題等が有ると思います。

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