アメリカにおけるダイビング事故事例-1


 この事故は、1988年6月30日に、ハワイ州のカイルア・コナというダイビングポイントで、ディープダイビングを行ったTという35歳の男性が死亡した事例である。
 1988年6月、ペンシルバニア州プリマスミーティング(Plymouth Meeting, Pennsylvani)の住人である35歳のTは、休暇とスクーバダイビング活動に参加するためにのためにハワイに旅行した。1981年に、彼はすでにレクリエーションダイビングの業界からダイビングのベーシック・オープンウォーター資格の認定を受けていた。Tはまたすでに1988年の旅行の前に、ハワイ州の島の沖の海域で何度かのダイビングの経験があった。
 1988年6月29日に、Tは、DMCというダイビングショップに翌日の予約を入れた。それはハワイ州のカイルア・コナの岸から約1マイル沖で行うファンダイビングであった。 
 Tは、1988年6月30日のダイビングポイントがディープリーフ("Deep Reef" )であることを知らせられた。計画では、このダイビングでは、最大深度145フィートで20分、水深20フィートのところで3分間、10フィートのところで8分間の減圧停止を行なうものだった。6月30日の潜水計画は、その深さと、何回かの減圧停止を要求されるという事実にから、非常に経験豊かなダイバーにだけ適したダイビングであった。DMCはこのような深いところでのダイビングには、相当の危険(risks)と脅威(dangers)があることを知っていた。そしてTは、ディープリーフと同じ深さのダイビングの潜水計画に参加できる 資格を持った 有能なアドバンストダイバーではなかった。その上、Tはこれまで一度もDMCでダイビングを行ったことがなかった。この日参加した客の中で、Tは、DMCがディープリーフのダイビングに連れて行かれなかったたった一人のダイバーだった。さらに、そのオーナーとダイブマスターのRのいずれも、Tと、彼のダイビングの経験の細かいことについて打ち合わせたり、彼のログを検討しなかった。Tもまた、自分が深度145フィートの潜水の経験不足を自覚していなかった。
 このツアーの客である他の5人のダイバーたちは自分達で適当にバディを組んでいたが、Tは、Rによって、ダイビングの際の"バディ"を割り当てられなかった。
 Tは、そのグループと一緒に、船から約137フィート(40メートル強)の海底に下ろした錨に続くアンカーラインにそって潜行するダイビングを行った。黒珊瑚とそこにいる魚を見るために海底にいるとき、ダイバー達は、最大水深水深145フィート(約44メートル)に潜行していった。彼らダイバー達は、そのツアー中はお互いごく近くに留まっていたが、Tは、写真を撮るために2度ほど他の者たちと少しはなれていった。
 およそ19分間のダイビングを終えて、グループは錨のところに戻り、アンカーラインに添って浮上し始めた。TはM・L夫妻に続いて4番目に浮上していった。ダイバー達が浮上し始めてから、Rは、あとでその錨を引き揚げるために 、錨引き揚げ用の袋を自分の空気で膨らませるために錨のところに戻っていった。 
 Rはいつも残った空気を、この引き揚げ用の袋を膨らませるために使っていた。
 およそ120フィート(約36メートル)のところで、 Tは、M・L夫妻のレベルまで潜行していき、レギュレーターを指差して呼吸が困難になっていることを示した。しかしM・L博士は、その時Tが水面に戻るのに十分な空気を持っていたと考えて、彼に浮上をするように合図した。M・L博士はTの"バディ"ではなかったので、彼はTの呼吸を助けたり、あるいは落ち着かせるためにその場に留まろうとはしなかった。RがTに接近したとき、彼は目を大きく見開きながらアンカーライン握って呼吸していた。Rは、浮上用袋を膨らませることで空気を使い果たしたので、そのTを助けることができなかった。RはTに浮上するように身ぶりで合図したがTは動かなかった。 Rは空気がなくなったので、彼はM・L夫人のところまで泳いで彼女のタンクから空気を分けてもらった。M・L夫人はその時Tの上方にいた。RがM・L夫人の空気を呼吸していた間に、彼はTがアンカーラインから手を離して鼻と口から血を出してきたのを見たのだった。そしてそのまま彼は浮き上がらず、そのまま沈降していった。Rは助けを得るために水面に向かって緊急浮上を行なったった結果減圧症になっってしまった。船長のGは、Tを救助するために、直ちに入水した。Gは約130フィート(約40メートル)の海底でTを発見し、彼を水面に引き揚げてきた。すぐにCPR(心肺蘇生法)を実施したが成功せず、Tは死亡した。
 Tはおそらく、ストレスとダイビングの激しい活動や窒素酔いの状態とディープ(大深度)ダイビングの経験がなかったことによって空気の消耗が激しくなってしまい、そのため空気が不足して呼吸困難に陥ったと考えられた。そしてその呼吸困難がかえって原因となって、彼が自分のレギュレーターから急速により多くの空気を吸い出したことが、より深刻な呼吸困難をもたらしたのである。Tは究極的に低酸素症になって意識を失った。そして彼は海水を吸い込んで溺死したのである。もしTが、M・L博士とRに自分の危険な状態を示したときに、彼らに水面まで連れて行かれたなら、恐らく彼は死ななかったであろう。


 この事故が示す事故の教訓は、経験がない者が行う大深度潜水の危険と、水中活動における自分の「楽しみ」のコントロールの必要さ、そして例えバディではなくても、水中で何かを訴えてくるダイバーに対しての思いやりのある対応の必要さであり、また単独ダイビングの危険性である。


平成12年10月12日  

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