ダイビング事故を扱う法律家の方々へ


裁判官や弁護士などの法律家の方々の一部に見られる、一般に販売されているダイビングの民間の「資格」を、法的根拠のある「免許」あるいは「ライセンス」などと同じかのように考える誤解や思い込みは、どうかご訂正ください。

ダイバーにとって大切なことは、どのインストラクターからどのような講習を受けて、それをどの程度まで習得できたか、またその習得したことをどれだけ維持できているかという事実であり、それは多くの場合、有名無名にかかわらず、Cカード(認定証)に記されたブランド名やランク名と一致することはない。

一般に講習のテキスト自体は大変優秀なものであると言えるが、それがどこまで正しくかつ十分に講習で受講生に伝えられているかどうかはインストラクター個々の指導品質によっている。そしてその講習の中身とその修了が正しいのかどうかは、対価を受けとって「最終認定者」となっている認定証発行業者に実際に確認されている訳ではない。したがってそれぞれの講習の結果は、その講習にかかった費用や時間の程度、またショップやインストラクターのブランドや名声の度合いにかかわらず一定ではなく、その実態は個別にかなりの差がある。そして講習と最終認定を受けてCカードを受けた者は、自分の購入したサービス品質(講習の内容と認定責任の履行の程度)を測る正しい情報の提供を積極的に受けている訳ではないことから、これも少なからず、自分の講習商品の品質の程度を知ることはない。したがってCカードが示す資格の宣伝名称に囚われて技量の本質まで実態以上に評価することはふさわしくない。

優良業者による質の高い講習や日々のファンダイビングでの所作の手本こそがダイバー自身の宝物である。

以上を前提として下記の考えを述べる。


法律家の中には、なんらの制限なく自由に作って販売できる、また自称も安易にできるダイビングの資格(認定証=Cカード)を、あたかも医師免許や弁護士、自動車免許と同じような「資格」と誤解している方々がいる。これこそが業界によるイメージコントロールの成功の結果であるとも言えるが、極めて残念な思考や思い込みのパターンである。
公的な免許にはそれぞれ違反すると罰則がつく法律がある。民間がこのような資格を勝手につくってその発行を商売にしたりすることはできないし、そのようなことをやった場合には重大な法的制裁が下る。
それに対してダイビングビジネスでは、その中の商品品質(講習の内容)をさほど重視せすにCカード(認定証)という認定ビジネスを、あたかもその結果が何かの免許かのような印象を誘引することが少なからずみられる。そしてこのようなビジネスの危険を正そうとする自浄能力も事実上機能していない(以上は個人的感想ではあるが、少なくとも積極的にそのような誤解を生ずる表現を止めるようにキャンペーンなどを行っているようには感じない)。
この背景には、このような”有利な”誤解が消費者にあった方が商売上うまみがあるからと思っているのかもしれない。これが邪推であればいいのであるが。
また水域(特に海)でのレクリエーションは漁業などと異なり原則的に国民の自由な権利である。
それにも関わらず、業者指導層の収益に貢献したことを証明することにもなる、その品質や品質の結果に対して責任(役務商品の製造者責任)を持つ意識もない者によることが少なくないCカードがないと、当該者に本当に潜水の技量のあるなしや、またはその技量のレベルが妥当か否かにかかわらず、あるいは他に合理的なり理由があろうがなかろうが、それこそ自己責任での自由なダイビングができない(公益及び自然・環境保護に反する潜水行為は禁ずべきこととするが。)ケースすら生じている。
この状況は、公共的な水域での国民の権利を、国民が一部業者による私的な独占や制限をなしくずし的に、良く真意がわからまいままに許し、またその独占や制限をする者による、それがあたかも公的かつ排他的な権益に基づくものであるかのような印象誘導に国民が影響されたことで生じている。
つまり一般国民の自然な権利を営利目的に私的制限することで利益に結びつけるというビジネスモデルとシステムが業態となっているのが、現状の階層的事業構造をとるダイビングビジネスであるとも言えるのである。
現在に至るまでこの不自然な問題に内包する課題は解決されておらず、もちろん十分な社会的議論も行われていない。そのためこの業態を既成事実とするための動きが、着々と行われているのである。その努力や資金を、実際の現場で事故防止のために使ったり、優良業者の生活が成り立つように使うという選択肢がほとんどと思われるほど顧みられないままにである。
そしてこの不自然さを当然かのように印象付ける行為の是非についても、社会的に十分な議論や検証や議論も行われていない。
ダイビング関わるテレビ番組の中でも、出演者などによる「ダイビングの免許」などという誤った表現を見かけることがある。いやしくも最悪視聴者の致死的結果に結びつく油断などを生む可能性があるダイビングを扱う番組であるとの自覚がメディアにあるのなら、字幕ででも、「発言中の”免許”あくまでも比喩的表現です。」などという訂正の情報があってもいいのではないかと思う。それは言葉狩りではなく、視聴者を安易な方向に誘導する可能性のあることは、結果的に視聴者の生命身体の安全にかかわる重大な結果(油断への誘惑や誘導など)に結びつく可能性があるからである。
現在、ダイビングの技量の習得度を任意の資格として販売することは自由であり、いわゆる「指導団体」も自由に名乗ることができる。そしてインストラクターという呼称の資格は、それが販売されるているものであろうがながろうが、あるいは技量に自信があって自称(ダイビングビジネスのごく初期の指導者はまさしく自分の自信を根拠としてそう名乗っていたのである。)していろうがなかろうが、あるいはかっこいいから、などという理由による自称でもかまわないのだという本質的部分は、もっと広く社会的に理解されるべきである。
そして現在、このような自称可能な資格の販売が、罰則付きの業法もないまま営利目的のビジネスにおいて行われているのであり、私程度の者が知ることができる程度ではあるが、どのようなブランドであってもそのビジネスの結果としての品質には重大なばらつきが生じているのである。
基本的に現場で事業を行っているプロの自助努力でしか指導技量やガイドの技量の本質的なサービス品質の保持や向上はないと考えてもさほど実態から外れているとは思えない。
ダイビングの技量や指導・案内に関する業者の低品質は、消費者を死に至る害に直面する状況すらもたらすことが少なくないことから、この実態は忘れてはならない。
※個人的には、個々の、安全を重視して自助努力を惜しまない優良業者の販売する講習やガイドというサービスと、一般的に販売されている講習やガイドの品質の差は強烈であると考えても差し支えないと考える。
また現在のダイビングビジネスの仕組みの中では、資格販売業者の都合や利益の貢献の度合いによって現場のサービス(ダイビングショップ・サービス)の格付けに使われるさまざまな呼称に頼った経営を行っているところを見かけることもある。しかし前述のような現在のビジネス環境の下では、このビジネスの問題に組み込まれてしまうことに危険を感ずることもあるのではないだろうかと心配さえしてしまう。
確かに資格販売業の元締めとなった者に現場の実働者が高い「格付けの呼称」をもらうことは自己実現的心理や販促にはいいかもしれないが、消費者からもらう「信頼」とは相当に何かが違うように感じる。「呼称」は「信頼」の次にある方がいいのではないか。事実本当の優良業者は消費者からの「信頼」という格付けを、「その業者に訪れる客の質」という、直接目に見えない形ではあるが、確たるものとして受けているのである。それは実際に客の質が良いショップとそうではないショップに行って見れば、多くの場合しっかりとそのムードを体感できるのである。

少なくとも法律家や行政に携わる人々は、ダイビングで販売されている資格は、決して公的な免許と同一レベルかのような視点で扱ったり考えたりしてはならないことを理解してほしい。
私が知る事例でも、なんと裁判官ですらこの違いに気づかずに間違った思い込みとその自負心からか、公的資格とダイビングの資格を同等に考えている方がいたのである。
ダイビングの指導者の能力は、その資格の名称の度合いにかかわらず玉石混交のレベル(「玉」は現場の優良業者)であることを忘れないで欲しい。
知的に優れているはずの法律家が、現状でのダイビング資格やその販売業者の「権威」を、罰則を含めた法的根拠のある資格やその発行者(国など)と混同する間違いや思い込みは、あまりにみっともないのでどうかしないでほしい。それは知的怠惰によって、善良な一般の国民(消費者)で命を失ったり人生が壊された人々の悲しみからの救済の願いを無にすることになるからである。


平成21年5月22日

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