代 |
年 代 |
機 種 |
15代目 |
2007.09 |
GIGABYTE GA−MA69G−S3H Athlon64*U 5200+ |
14代目 |
2005.03 |
ASUS A8V−E Deluxe/NW Athlon64 3200+ |
13代目 |
2003.09 |
IWill DVD266−R PentiumV 866MHz*2 |
12代目 |
2003.06 |
IBM THINKPAD G40 PentiumW 2.8GHz |
11代目 |
2002.01 |
GIGABYTE GA−7DXR Athlon XP1800+ |
10代目 |
2001.05 |
MSI 694PRO−A PentiumV 866MHz*2 |
9代目 |
2001.02 |
MSI 815E PRO PentiumV 1GHz |
8代目 |
2000.10 |
GIGABYTE GA−7ZX Athlon 900MHz |
7代目 |
2000.05 |
TYAN S1854A PentiumV 667MHz |
6代目 |
1999.11 |
ABIT BE6 Celeron 466MHz |
5代目 |
1998.06 |
Gateway2000 GP6−400 PentiumU 400MHZ |
4代目 |
1997.10 |
松下 Let’s note AL−N1T515J5 Pentium 150MHz |
3代目 |
1996.09 |
松下 CF−32KPX Pentium 133MHz |
2代目 |
1988.05 |
NEC PC−9801 RA5 i386 |
初 代 |
1981 |
東芝 パソピア Z80 |
2007年9月。メイン・マシンとして使用していた、14代目のA8V−EがオーバヒートしてCPUが焼けてしまったようである。急遽GIGABYTE GA−MA69G−S3Hで自作しました。CPUにはAthlon 64*U 5200+を使いました。
このマザボードはVGAが内臓であるため相性の心配もなく、組み上げたら即動作OKしました。
2005年3月。久しぶりに、Athlon64 939ソケット対応のASUS A8V−E Deluxe/NWで自作しました。主なパーツ構成はここをクリックして下さい。
自作してみて、Windows98、Meでは動作しないのには驚いた。まぁ64ビット機ともなれば古いOSなどには反応しないのは当たり前かも知れない。
2003年9月。メイン・マシンの位置を占めていました MSI 694D PRO−AがシングルCPUの場合は正常に動作するが、デュアルにすると起動を繰返すようになったのを、きっかけにPentiumWにでも作り直そうかと思いましたが、デュアルCPUに愛着が捨てきれず再現を夢見て、中古品のショップを巡りっているうちに、DDRメモリー対応のIwill DVD266−Rが目に付きました。
早速、購入。MSI 694D PRO−Aから必要な部品を外して作り直しました。
本機の主なパーツ構成はここをクリックして下さい。メインマシンとしの位置はMSI 815E PROに譲り、デスクワーク上の画像処理専門マシンとして利用しております。
一眼デジタルカメラを入手してから外出先での画像処理などに、ノート・パソコンが無性に欲しくなり。2003年6月にIBM THINKPAD G40 2388−4KJを購入しました。
本機はPentiumW 2.8GHzのCPUに、40GのHDD、256MBのMEMORYを搭載しておりました。
勿論、画像処理するてまえ512Mのメモリー2ケを装着し直しました。余りました256Mのメモリーの方はオークションに出品し売却処分にしました。
2002年1月。GIGABYTE 7DXRAMD XP1800+で10代目を組立てました。
主なパーツ構成はここをクリックして下さい。小生にとって、最初の1GHzを超えるマシンでもあります。ランニングは、PC切換機でディスプレィ、キーボード、マウスを共同で使用しますが、機能・スペース的な制約から、5代目のGateway2000が3年近くでお蔵入りになってしまいました。
OSにはWindows HEをインストール。 インターネットには、昨年デュアルマシンに改造した6代目を通じ接続されよう設定しました。
Windows2000が発売されたのを契機として、一度でよいから、デュアルマシンを組立ててみたいとの潜在的な思いがありました。
2001年5月、デュアルマシン対応のマザーボード(MSI 694D PRO−A)を入手したのをきっかけにABITBE6マンシからマザーボード、CPUなとを取外して、PV866MHz*2を使ったマシンに作り直しました。主なパーツ構成などはここをクリックして下さい。
マルチタスクの場合スムースな動作をし、デュアルの特性が生かされていました。、その後、本機が数あるマシンの中でメインの位置をしめたのは言うまでもありません。
2001年2月、ホームLANのゲートウエイ・コンピューターとして使用していたABIT BE6が陳腐化してきたので、パワーアップでも図ろうかなと考えている内に、面倒になってIntel815Tipを搭載したMSI815−E PROで作ってしまいました。
主なパーツ構成はここをクリックして下さい。OSはWindows Me。PC切換機でディスプレィ、キーボード、マウスを共同に使用したことは云うまでもありません。
本機をLANのゲートウエイ・コンピューターにしようと、MODEMを6代目から移設し、いろいろと設定替を試みましたが、全てのマシンからインターネット接続が出来なくなりました。設定に時間を費やしているとメールも滞るので、元に戻してしまいました。いずれ頭を冷やしてから出直そうと思います。
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左より TYAN、松下CF−32、GIGABYTE |
2000年10月、かねてから念願のCPUにアスロン・サンダーバードを使ったGIGABYTE GA−7ZXマシンを組立てました。
主なパーツ構成はここをクリックして下さい。OSはSystemCommanderで、Windows2000、Windows Me、Windows98
SEの3つのOSを1台にインストールしまして、立上げ時、任意OSを選択するようにしました。どのOSからも、無論7代目と同じように6代目のケ゜ートウェィ・コンピューターを経由してインターネットに接続するようにしてあります。
また、7代目と同様、右の写真のようにPC切換機で松下(CF−32K)のディスプレィ、キーボード、マウスを共用に使用するようにしました。
2000年5月、次の自作機としてCPUにアスロンを使うつもりで、色々と検討しておりましたが、近日中にAMD社よりアスロンのThunderbirdと廉価版のDuronとが発売される気配であり、同時に従来のSlotAに代わりSocketAタイプが主流になるようである。このため時期尚早と考え、FSBが133MHzのPentiumV機対応のTYAN S1854Aを組立ました。
本機の主なバーツ構成はここをクリックして下さい。OSにはWindows98 SEをインストールしました。勿論LANボートを取付け、6代目をゲートウエイ・コンピューターとして、位置付け、インターネット共有接続ができるように設定しました。設置にあたっては、スペースの関係上、PC切換機で松下(CF−32K)のディスプレィ、キーボードとマウスを共用しております。
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画面 右側がABIT BE6 |
1999年11月、とうとう自作してしまいました。
本機の主なパーツ構成などはここをクリックして下さい。OSには、Windows98 SEをインストールしまして、単体でいろいろと楽しんでいるほか、LANボードを組込み、他のマシンにもアクセスして遊んでおります。
5代目と6代目のPCを写真のように、パソコン・ラック上に並べ、PC切換機の操作によりディスプレィ、キーボード、マウスを共有しております。
現用のマシンは、すべてIntel製のCPUを使ったものばかりである。次はAMD製のものでも自作しょうかとチョット悩む今日この頃です。
次のマシンは、自作しようかと色々と迷いましたが、「パーツの保証期間」が短いもので1週間から10日間ぐらいであり、最低の部品を揃え一気に組立てBIOS等の設定もスムースにいけば良いが、一旦トラブルに遭遇すればすぐ無保証になり兼ねない、素人では無理か。またWindows98が7月下旬には発売予定であり、グレードアップに余計な出費がかさむことになる。
取り敢えず今回はパワーアップが容易にできる仕様で、且つWindows98に無償でアップグレードしてくれるタワー型マシンをと考え、GatewayのGP6−400を98年6月に入手しました。オプションを含めた主な仕様は次のとおりです。
CPU |
PentiumU 400MHz |
メモリ |
64M 100M対応 |
HDD |
8.4G Ultra ATA |
VGA |
nVIDIA 128 8MG |
SCSI |
Adaptec 2940UW |
MODEM |
56Kb FAX/ボイスモデム |
また、マシンの数が増えるにつれてリソースを共有化するため、簡単なLANでも構築し欲望にかられるようになりました。「浜の真砂」と同様、なかなか道楽の種は尽きないものであります。
その後、本マシンをWindows98にバージョンアップするとともにSystemCommanderを導入し、TurboLinuxをインストールしました。1台のPCに2つのOSを使いわけるようにしました。また、ハード面では次のパーツを付加し自分流に日夜楽しんでおります。
メモリ |
64M⇒128M |
HDD |
10.1G Ultra ATA |
CDR+PD |
Logitec LCW-PD648AK |
LAN |
10BaseT LANカード |
Card Adapter |
REX−5051FX(ノート用の各種カード装着) |
1997年10月には、持ち運びが容易なようにB5サイズ機のPanasonic製のLet’snote(AL−N1T515J5)を手にいれました。「32KDataCard」で外出先での、PHSによるEメールの送受信と「LAN・ModemCard」でデスクトップとのやりとりに使用しております。
より軽量でかつ薄い製品がユーザニーズのためか、マウスがボール式からガラス面を指でタッチしスライドさせる方式になったが、本方式は使い勝手が非常に悪い。もっと操作性を重視したノート・パソコンが市場に出るよう祈りたい。
1996年9月にはDOS/V機であるPanasonic製のCF−32KPXを入手しました。
本機はWindows3.1とWindows95とがインストール時に選択できるものでした。勿論後者のほうをインストールしました。ハード的にはPDと5連装のCD−ROMが内蔵されていることから、バックアップに、大量の画像処理に、また頻繁にCDの入替えをしなくてすむことから音楽鑑賞に適したマシンでした。
次第に、アプリケーション・ソフトも大型になり、メモリーを64Mに増設してもCPUがP54C 133MHzでは、処理速度が遅く、いらいらするようになりました。
せめて200MHz位にパワーアップしたいところですがSocket5であること。拡張スロットがフル実装されており、このガード類が邪魔になり、CPUアクセレター等の装着が無理のようです。
CPUをWinC6に取替えるなら、なんとかなりそうかなぁ!!と思っています。
パアーアップの良い方法がありましたらご伝授願えませんか。
1988年5月パソコン市場、初の386マシンで40MBのHDDが内臓されたPC−9801RA5を購入。念願の各種コンパイラなども入手し、ソフトの世界が広がりました。
各種ソフトやデータの増加でHDDが不足するとともに、処理速度の遅延などで、後日、240MBのHDDと2MBのメモリーを増設しました。また、本機には、2HDの5吋FDが付いておりましたが、3.5吋FDDの普及にあわせて外付け用FDも設置しました。
一方、パソコン市場ては世界の標準機としてDOS/V機が出回るようになりましたが、各社ともMS−DOS用のソフトが壁になり伸び悩んでいました。然し、1995年12月Windows95の出現とともに、双方で使用が可能となり、この壁が払拭されるような形になりました。また、このWindows95がインパクトとなり猛烈なパソコン・ブームがやってきました。
小生のパソコン・オーナー歴は相当古く、1981年に始まる。当時全盛をきわめていたNECのPC−8000を横目に、東芝製のパソピアを入手しました。選定理由はいたって単純でNEC製ですと、アプリケーションが市場に溢れ操作重点主義になり、ソフトの勉強ができないのではないかと危惧したからです。
お蔭様で、BASIC言語によるプログラミングはある程度マスターすることはできましたが、その他の言語に挑戦しようとしてもコンパイラの入手が困難であること。また、アッセンブラーを学ぼうとしても、マニアによるハード部分の解析が十分でないこと。等のためマスターするのが無理でした。やはり売れ筋の機種を選ばねばと遅まきながら後悔しました。
当時のパソコンはCPUにZ80を使った8ビット機であり、ディスプレーはモノクロ、漢字処理はできなく、カタカナ処理をしておりました。256KBの5吋フロッピーディスケットが10枚で1万円近くもしていました。また、買増した20MBのHDDが20万円超であり、現代と比べると隔世の感がします。
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