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スピードのエース

 夜の山道。一方通行なので対向車は来ない。
 眩しいプロジェクターで視覚を狂わす車も、オーバースピードでセンターラインを超えて進路を妨害する車も来ない。
 俺の選んだドライブコースは、邪魔者のいない状況で自分の腕を充分に試すことが出来る。
 俺は人気のない山道をとばすのが好きだ。特に今日選んだこのコースは、以前はホンダのテストコースだったものが、工場の移転のため一般道として再利用化された道路だ。腕試しにはもってこいのコースレイアウトになっている。
 ブラインドコーナーにカウンターを当てて10ポイントにクリアーするとアクセル全開のまま俺のシルビアは加速する。
 俺の腕は、このピカピカのボディーが証明している。乗り換えてから一度だってぶつけたことはない。

 俺は前方にだけ気を使えば良かった。俺が追い越すことはあっても追い越されることは無い。
 この山道では俺のシルビアは有名だ。俺を知らないおばかさんが時々勝負を挑んでくることがあるが、いつもカーブを三つ曲がるうちにバックミラーから見えなくなっちまう。最近じゃあ挑んでくる相手なんかいなくなっちまいやがった。
 しかし今日は違った。
 後ろからパッシングで追いかけて来る車が来た。ホンダのインテグラ。バックミラーで見ただけでかなり改造してあることが分かる。
 いつまでも俺のシルビアに張り付いてきやがる。なかなかの腕のようだ。俺に挑戦を挑むやつがまだいたなんて久しぶりに燃えてきた。
 いいとも、受けて立とうじゃじゃないか。抜けるものなら抜いてみな。
 俺はリアフォグの点滅で返事を返した。

 このコースには三つの難所がある。そこで腕の差が現れる。
 一つ目の難所は登りの頂上。
 全く先が見えない上にいきなり急な下りになる。オーバースピードで突入するとジャンプしてしまい、ステアリングがきかなくなっちまう。
 俺のシルビアはバツグンの侵入速度でクリアする。インテグラも付いてくる。
 二つ目はつづら折りのカーブ。
 アップダウンは少ないがとにかくステアリング操作が大変だ。右に切ったかと思えばすぐに左。レースがスポーツだと言わしめるのに説得力を持たせる。
 俺のシルビアは、まるでレールの上を走るように少しの無駄もなく満点のコースをトレースする。インテグラも付いてくる。

 問題は三つ目。
 それは下りの左カーブ。曲がりきったらすぐに右への急カーブ。どこで制動を掛けるかにポイントがある。路肩が広く取ってあるので、後ろのインテグラにとってはここが追い抜く最後のチャンスだろう。タック・インで当然仕掛けてくるはずだ。
 俺はここまでリードを続けてきた。もし相手が手練れなら仕掛けてくるのはここ以外にはない。
 しかし左コーナーをクリアした時点で予想外の光景が目の前に現れた。
 事故った車が右曲がりコーナーの半分をふさいで乗り捨てられている。このままのスピードでこの難関をクリアするのは至難の業だ。ちょっと間違えればその車か、切り立った崖のような側壁に激突だ。
 俺は咄嗟に、ほとんど反射的にシフトノブを「R」へ入れた。シンクロできずにギヤが悲鳴を上げたが無理矢理入れた。ブレーキに勝るブレーキ。それはタイヤを止めるよりも逆回転させてしまえという発想だった。どのみちタイヤはロックする。ロックした状態でのステアリング操作はスピンを招く。スピンをさせずに強力な制動を掛け、なおかつステアリングを生かす。それにはこの方法しかなかった。
 何センチあったろうか。俺のシルビアはかろうじてギリギリの隙間をくぐり抜けることに成功した。
 インテグラはどうなった? 俺よりインに切り込んでいたから切り抜けるのは難しいだろう。
 案の定、インテグラは付いてこない。俺は2〜300メートルほど走らせた後、車を止めてしばらく待ってみたがインテグラが付いてこない。
 俺はバックしてあのコーナーに戻ってみた。案の定インテグラはひっくり返っていた。
 傍らのドライバーが途方に暮れて、来た道を眺めていた。その脇に俺はシルビアを止めた。

 「おい、大丈夫か?」
 俺はそのドライバーに声を掛けた。ロン毛の小柄な若者だと思ったが、振り返ったそいつを見て驚いた。
 「おまえ、女...か?」
 「あなた、じょうずね。我流でこんなタイムを出せるなんてだいぶ乗り回してるわね。それに咄嗟の判断もすばらしいわ。走り慣れたはずの私にも、あんなテクニックなんて思いもよらなかった。もっとも、FRのシルビアじゃなきゃ出来ないテクニックね」
 「君はいったい...」
 「あなた、この道が去年までホンダのテストコースだったって知ってるでしょ。私はそのホンダのテストドライバーなのよ。久しぶりにこの道を攻めてみたくなったので流していたの」
 そう言って彼女はニヤと涼しげな笑みを俺へと投げかけた。
 「あなた、本格的にレーサーを目指さない? 素質あるわよ。私ってこう見えても結構発言力があるから、私の推薦があれば即、採用よ。今度の新しいテストコースのドライバーを捜しているからそれを足がかりにすれば本物のレーサーだって目指せるわ」
 「レーサー...」
 「そうよ。悪い話じゃないと思うけど」
 「....」
 俺は意外な展開に、少しの間言葉を失ってしまった。
 「一晩考えてみる?」
 ふと我に返り、俺は女に向き直った。
 「いや、判断の速さがおれのとりえさ。その話に乗らせてもらうよ。それに君の車は自走できそうもないね。どうだろ、俺に君を送らせてもらえないか」
 「それは願ったりだわ...でもナンパはだめよ。私って身が堅くて難攻不落なの」
 「おいおい参ったな、俺がそんな言葉で引き下がるように見えるのかい?」
 彼女はすこし呆気にとられた表情を見せたが、すぐに唇がゆるみ、俺の腕を抱いてきた。
 「はははは、あなた、また合格ね。あなたみたいな人は初めてよ」

 俺の車は彼女を乗せて峠を下った。今日もいつものように、俺のシルビアは無傷だ。
 ウズウズするほど俺好みの山道を、今日は特別にゆっくりと下った。

                      「スピードのエース」完

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