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「誰がためにベルは鳴る」 


 ここはアリメカ合衆国陸軍が設営した国境警備基地。
 国境と言ってもここはアリメカとは海を隔てたユーラツア大陸の西端、同盟国イラブにある。
 何年もの間紛争が絶えなかったイラブとイルクージ。しかし2年半前に和平条約が締結され、両国間国境における軍備も徐々に縮小される方向にあった。
 その条約により、この基地の役目もあと数ヶ月で終えようとしている。条約締結後3年目にはアリメカの軍備を撤収し、入国管理所としてその運用がイラブ国家警察へ移管されることが決まっている。
 和平直後はまだ混乱が収まらず、武力を行使する状況も何度か起こった。そういう場合にはここが最前線基地となり軍備が集中された。防護壁や建物の壁には当時の戦闘を想起させる弾痕や黒く焼けこげた痕が生々しく残っている。

 しかし今や基地内には安穏とした空気が流れ、アリメカからはるばる出兵してきた隊員達の話題も敵国の情勢や戦火の行方から、我が母国へ帰る日を夢見て家族や恋人の話題へと変わっていた。
 一時は千人を超す戦闘員がひしめいたここも現在は80人が配備されるのみとなり、必要最小限の警戒態勢に留められていた。彼らは半年後の撤収まで任務につく。
 過去1年に戦闘部隊の出動するような事態は一度もなく、暇つぶしの訓練と平常時警戒の平和な日々が続いている。
 そんな今日も国境警備基地の外は平穏な状況であった。

 しかし、電波塔の影が一番短くなる正午頃、基地内ではすったもんだする事態が巻き起こった。
 ランチタイムで隊員達も憩う時間に場内で耳をつんざくようなベル警報が鳴り響いたのだった。


 執務室から飛び出した司令官は制帽を脇に挟み上着のボタンを留めながら監視室へ駆けつけた。そこは外から見る瓦礫のような建物からは想像できない未来的な趣を持っている。最先端の電子機器が所狭しと詰め込まれていた。
 「何事だ。状況を説明せよ」
 「第一級非常警報ぐぁ、鳴動中べぇす!」
 監視員は口に残ったビーフシチューをもぐもぐさせながら報告の声を上げた。
 「それは聞けば分かる。警報が鳴る理由は何かと聞いているのだ」
 「そ、それが、現在...調査中です。お待ち下さい」
 「調査中とは何だ、分からないと言うのか! 警報が鳴るからには何か理由があるだろう。赤外線センサーがタンクを検知したとか、レーダーにミサイルの影が映ったとか」
 「そういったメッセージがデスクにもディスプレーにも表示されないのです」
 「メッセージが出ない? じゃあタイプライターに何か残ってないか」
 「それらしいログは何も...3週間前のタイフーンによる第3級警戒発令が最後の印字になっています」壁側にいた別の監視員が声を上げた。
 「TTV(遠方監視用テレビ装置)には何か映ってないか、今度は大型のタイフーンか?」
 「いいえ、それらしいものは何も映っておりません」
 「わからんな。誤報じゃないのか? とりあえず警報停止を押してみろ。うるさくてたまらん」
 「押しても鳴り止みません」
 「止まらんだと? 危機は継続中ということだな。しかしどういったことだ、こんな事態は今までに無かったぞ。何が起こってるんだ、一体。武力攻撃じゃないとしてもスパイの破壊工作ということも考えられるし...」
 司令官のその言葉に監視室内に緊張が走った。
 「いずれにしろ第一級非常警報だ。何があってもいいように非常態勢を取れ。第一級だ。TTVモニターそれぞれに監視人を配置するのを忘れるな。些細な動きも見逃すなよ。おい、それと念のため監視システムのメーカーにオンコールだ。私は軍本部に連絡を取る」
 「ラジャー!」

 司令官の号令で戦闘隊長が率いる部隊に指示が飛んだ。隊員達は日頃の訓練よろしく第一級の戦闘配備についた。
 「第一級非常態勢」とは、今直ぐに戦闘状態に入ることができる段階を言う。通常警戒時にはサラリーマンもうらやむような長閑な隊員達も第一級となると軍人の険しい顔に戻る。
 砲台に駆け上がる者、戦車の暖機運転に走り回る者、機銃をかかえ防護壁に構える者。すべてが段取り良く、ひとつの様式美を思わせるほどであった。
 しかし警報が鳴っているのにその理由が分からない。各々が戦闘態勢につく中、隊員達にいつにない不安感が渦巻いていた。
 隊員達の間では「ホワッツハプン?」「アイドンノウ!」が合い言葉のよう交わされていた。

 司令官は衛星通信を使った緊急回線で本国へ連絡を取った。この回線を使うのは定期メンテナンス以外では2年ぶりになる。
 「イラブ国境警備基地ストレイヤー司令官です。ただいま第一級非常態勢を敷きました。理由は第一級非常警報によるものです。ただしイルクージ側の動きは目視によって確認できません。しかし気象などによる可能性も低く現在調査中です。何らかの破壊工作かとも思われ緊急時に備えます。空軍および海軍の後方支援と軍事衛星による情報の収集を要請します。なお、事の重大性を考慮し...」


 襟を正した司令官が再び監視室に戻ってきた。
 「さあみんな、本部も事態を重要視しているぞ。我々の一挙手一挙動にこの国の和平の命運がかかっていることを忘れるな。早期解決を目指して意気を上げろ!」
 「イエッサー!」
 皆の返答のコーラスと共に司令官には冷え切っていた軍人魂が蘇ってきた。しばらく忘れかけていた緊張感と使命感。
 しかしその燃え上がる魂に水を差すかのように、脇に並んだ技術班長が物を申した。
 「司令官殿、実は本部との連絡中にメーカーとのコンタクトが出来ました」
 「連絡が付いたのか? すねにキズ持つヤツの応答は速いな。で、いったい何のアラームだと言っている?」
 「それが...」敬礼をしながら技術班長は続けた「メーカーが言うにはヒューズが飛んだのでは、と」
 「ヒューズだと! 何を呑気なことを言ってやがるんだ、第一級警報だぞ。ミサイルが飛んできたか戦車が押し寄せて来たかの時にしか鳴らない警報だ。それをヒューズだなんて、そんな訳がないだろ!」
 班長は「私が言ったわけじゃない」という表情を見せ口ごもってしまった。司令官もこいつに言ってもしょうがないと態度を改めた。
 「まあいい...それでっ」
 「はい、そのヒューズと言うのが警報制御回路のそれじゃないかというので、今さっそく調査中です」
 警報盤の所では技術班長の指示を受けた部下がシーケンス図面を見ながらヒューズの在処を探している。
 その部下はごそごそと何かを探し回っている様子で時々パラパラと図面をめくる音がしている。しかし突然、盤の陰から再びその姿を現した。
 「当該ヒューズ見つけました、溶断しています!」
 その報告に警報が鳴り止んだかと錯覚を起こすほど監視室内が静まり返った。

 ヒューズを見つけた部下は敬礼したまま直立不動の姿勢をとっていた。その部下に限らず監視室の誰もが固まり、まるで時間が止まったかに思えたが、司令官の赤ら顔が徐々に青に変わっていったので、それで時間の経過を認識することができた。
 何十分にも思える数秒の間があって後、司令官は「飛んでた...のか?」と力無く問い返した。
 「はい、インジケーターが飛び出してます」

 「メーカーが言うには、そのヒューズが飛ぶと警報の制御が出来なくなるので、鳴らし続けて異常を知らせるように組まれているんだそうです。フェイルセーフというヤツだそうで...ホンモノの重大事態に警報が鳴らない事も重大である、との判断からだそうです。ちなみに制御電源が無いので警報停止も利かなくなるそうです。メーカーが言うにはマニュアルにもちゃんと記載してあると...原因はヒューズの劣化だと思われますが、どうしましょう」
 「どうするもこうするも...」班長の言葉に大声を張り上げたい気持ちを抑え、司令官はグッと息をのんで一呼吸置いた。
 「...マニュアルには何と書いてある」
 「はい、こんな場合は『ヒューズを交換して下さい』と書いてあります」
 「じゃあ今すぐ換えろ!」
 司令官は大声を張り上げていた。
 「ラジャー!」
 敬礼で挙げた右手を勢い良くおろし、技術班長はいそいそと予備品倉庫へヒューズを探しに出て行った。それを横目に司令官は椅子に腰を下ろし頭をかかえた。
 甲高いベル警報は未だに鳴り続け、司令官の頭を痛めるのに拍車をかけている。

 技術班長が「シーメンス型」と呼ばれる筒状ヒューズを取り替えると途端に警報が止んだ。
 しかし警報が止んでも監視室内の誰もが押し黙っていたのでその静けさが普段の何倍もの静けさに感じられた。
 そしてその静けさは司令官の体内に別の警報を鳴らし始めていた。
 「第一級非常態勢を...解除せよ。戦闘隊は通常配備に戻れ。監視班は国境付近に異常がないか再度情報を収集。技術班は場内ヒューズを全数点検。劣化が見られるものにマークをつけ後日交換せよ。班長は点検結果を20分以内に報告の事」
 「ラジャー!」

 隊員達がぞろぞろと通常配備に戻る中、陰では「どうするんだ、大統領にまで連絡が行ったらしいぞ」などひそひそと話し声がしている。
 そして陰口が言った通り「どうしよう、きっと大統領にまで行っちゃったぞ」と司令官は青くなった表情を隠そうとはしていなかった。

 「...はい、非常態勢は直ちに解除致しました。原因は警報回路が故障したための警報、でありまして、その、そもそもヒューズが飛んだのが原因であり...はい、そうです、ヒューズです...いえ、たかがヒューズと言われますが考えようでは重大事故であり、非常時に警報が鳴らないことを思えば...あ、はい、申し訳ありません。何でもない時に鳴ってもいけませんです、おっしゃる通りです、はい。今後このような失態の無いよう、とりあえず再点検と問題回路の変更を指示し...」

 執務室に引きこもった司令官が上官への対応に汗している頃、技術班は昼食も取れず、ぶつぶつ文句を言いながら、配電盤のヒューズをひとつひとつ点検して回っていた。

 こんな事態にすったもんだした場内とは打って変わり、基地の外は今日も一日中平穏であった。

                          「誰がためにベルは鳴る」完

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