「勝君、寄り道しないで真っ直ぐ帰ってくるのよ」
お母さんのその言葉がかえって寄り道を誘う。
勝君は7才。小学校1年生。日頃から口うるさいお母さんに反発するように、今日も寄り道をしていた。
遠回りして歩いた川の堤防。橋の下の草むらで、勝君は紙袋の包みを見つけた。
持ち上げたときのずっしりとした重量感。
ガサガサ
中身は中国製トカレフのオートマチック銃。フルメタルジャケット弾8連発、実弾入りのホンモノだった。
しかし勝君にはかっこいいおもちゃにしか見えなかった。
「うわあ、重たーい」
その拳銃を手に持ったとき、まず最初にそう思った。
「その子から手をはなせ、さもないとこのジュウが火をふくぞ...ふん、うてるもんならうってみな、おまえにそのヒキガネは引けないさ...」
風に揺らぐススキの群生を犯人に見立て、勝君は刑事の真似をして言った。「パスタ刑事」が犯人に銃口を向けるシーン。昨日見たテレビのワンシーンだった。
テレビの中でパスタ刑事は右手で軽々と銃を構え、微動だにせず、狙いを犯人に集中していた。だけど勝君はそのポーズを長い間続けられなかった。7才の勝君にその銃は重すぎたのだ。
勝君は「ふう」と一息入れて銃を持った手をだらりと下げた。
「おもたいなあ」
ちょっと一休みした後、勝君はその拳銃を両手で持ち、川に向かって引き金を引いてみた...が引ききれない。
「あれえ、壊れてるのかなあ...」
万華鏡を覗き込むように銃口の中を覗いたり、指を入れてみたりしたけど錆もなく新品同然だった。
「まあいいや、どうせ拾い物だし」
それでも勝君はその拳銃を使って早撃ちガンマンの真似をしたり指でくるくる回したりして遊んだ。滑って時々落としたりもしたが、その銃は頑丈だった。
勝君はこの銃がとても気に入った。
勝君が選んだ遠回りの帰宅コース。その途中には「ウサギ公園」がある。
勝君が通りかかったときに、その公園には鳩がいっぱい群がっていた。勝君はこの公園の鳩が嫌いだった。
この公園で、お母さんに買ってもらった「ベビースターラーメン」の袋を開くときに勢い余って中身をばらまいたことがあった。その時あのウロコの足をした鳩達が勝君のベビースターラーメン目当てに襲来してきた。警戒心の薄い鳩達は勝君の頭や肩にも飛び乗り、泣き出した勝君にもお構いなしであった。ベビースターラーメンはあっという間に鳩達に食べ尽くされてしまい、それ以来勝君は鳩が嫌いになった。
「おまえたち、ヤキトリにしてやる」
群がる鳩の中に、一羽だけ目立つ真っ白がいた。勝君はその動く白い点に狙いを定め、再び引き金を引いてみた。
「バーン!」
バサバサバサ...
驚いた鳩達が各々勝手な方向へ飛び上がる。
「おやおや、ちびっ子ガンマンの登場だね。元気があっていいねえ」
引き金は、やっぱり堅くてびくとせず、勝君は撃った音を口で真似てポーズだけとっていた。その大きな声に驚いた鳩は公園の木々に逃げ戻っていた。
飛び立った鳩の真ん中に、取り残されたように一人のお婆さんがいた。勝君にニコニコしながら声をかけてきたのだ。この公園で鳩を呼び寄せている主らしい。
「うわっ、現れたな! ハト使いめ!」
勝君は銃の狙いをお婆さんに変えた。勝君にはそのお婆さんが急に現れたゾンビに見えたのだった。ゾンビが相手となると引き金を引く手にも自然と力がこもる。
「バーン、バーン」
お婆さんに銃を向け、銃を撃ちながら後退し、勝君はそのまま逃げるように走り去った。しかしやっぱり引き金は堅く弾は発射されない。
「おや、かわいくないねえ。私が悪者かい。ほんとに近頃の子供と来た日には...」
人間より鳩好きのお婆さんは再びポップコーンをばらまいて鳩を呼び寄せ始めた。
ウサギ公園を過ぎるとあとは真っ直ぐの一本道。勝君の家は三つ目の信号の角にある。
「ただいまあ」
お家へ帰った勝君はズックを脱ぎ捨てテレビに直行した。パスタ刑事が出る「太陽をつかめ!」の再放送が始まるのだ。
「勝君、遅いじゃない。また道草食ってたんでしょ。ちゃんと手洗った? うがいもしなさいよ。先生に叱られなかった? 宿題はないの? さっさとお弁当殻出してちょうだいよ。テレビはその後よ」
「うん、うん、うん、うん、うん、うん」
たたみかけるお母さんに同じだけ「うん」を返した。お母さんのせいで勝君の日頃の鬱憤はたまる一方だった。
「テレビは2メートル以上離れて見なさいよ」
「うん」
隣の部屋で取り込んだ洗濯物にアイロンがけをしていたお母さんだったがやっぱり口うるさい。
ちゃんと手も洗ったしうがいもした。先生には叱られなかったし宿題もない。お弁当殻も出した。これでやっとテレビが見れる...だけどお母さんのお小言は終わってはくれない。
そんなお母さんへの八つ当たりになってくれそうなのはミケだった。ミケは家で飼っているネコ。
勝君は膨れ上がったポケットから拾ってきた銃を出し、その狙いを「ミケ」に定めた。
「やいミケ! この前はよくもひっかいてくれたな。思い知れ!」
タンスの上のミケを呼び戻したとき、おいでおいでをした勝君の顔をミケは爪を立てながら踏み台代わりにして行った。おかげで三日間も顔の傷がヒリヒリしたことを勝君は恨んでいた。今もまたミケはタンスの上に寝ている。今度こそはと引き金を引く指に力を込めた。
「バキューン!」
今度は引き金が動いた...気がした。だけどやっぱり動かない。
ミケは大仏顔で、前足をぴくぴくさせながら熟睡している。どうしてタンスから落ちないのか不思議なぐらいだった。
テレビでは勝君のお気に入り「太陽をつかめ!」の再放送が始まった。お母さんのこともミケのことも忘れ、勝君はパスタ刑事の活躍に熱中した。
夕方、お父さんが帰ってきた。お父さんはサラリーマンの象徴であるネクタイを外しながら息子の方へ目をやると、その右手には鈍く輝く拳銃が握られていたのに気づいた。
「おおっ、勝也、カッコいいピストルだな。お母さんに買ってもらったのかい?」
「ううん」
この「ううん」がくせ者だった。お父さんには「うん」と聞こえた。勝君はテレビに映っているアイドル歌手に狙いを付けていた。
「うーん...」
やっぱり引き金は動かない。
「ははは、なんだだらしないな。引き金が重くて引けないのか? 勝也、両手を使って引いてみな。それなら勝也でも何とかなるだろう。ほら、狙いはお母さんのあの大きなお尻だ。かなり大きいから狙いやすいだろう?」
「うるさいわね、ほっといて」と台所のお母さんはまな板にトントンと音をさせながらお料理中だった。
「おっと」とお父さんが口を押さえる。悪口は良く聞こえるその地獄耳。
「でも堅くて...ううーん...」
勝君がお父さんの言うように両手で引いても引き金はぴくりともしない。
「握力をつけなきゃな。ほらもうちょっと」
「うううーん...」
「勝也は男の子だろ? がんばれがんばれ!」
勝君はお父さんにいいとこ見せるため、ここ一番に力を込めた。だけどぜんぜんびくともしない。
「おや勝也、ははあ、それもしかして安全装置が入ってるんじゃないかな?」
「アンゼンソウチ?」
「そう...安全装置って言うのはな、間違って発射しないようにする鍵みたいなもんだ。それが入っているとプロレスラーでも無理だぞ。その横にあるレバーをだな、上に上げなきゃ動かないはずだぞ」
「こう?」
カチャ
「そうそう。それでもう一回やってみな。今度は大丈夫だろう」
「うん」
勝君はお母さんのお尻を標的にまた引き金を引いてみた。すると今までびくともしなかった撃鉄が少しずつ後ろへ動いていった。
キリ...キリ...
「そうだ、いいぞ勝君。あともう一息だぞ」
キリリ...
確かにお父さんの言う通り撃鉄は動き始めた。しかし引き金に連動した撃鉄は行ったり来たりを繰り返す。勝君とバネの力比べ。力を込めた勝君の手がブルブルと震えている。
「うううーん、...やあっ!」
大声で気合いを入れた勝君だった。
引き金は...やっぱりそれ以上動かなかった。
「ふう...」
「あらら、勝也にはまだ無理だったかな? どれ貸してみな...おや、この銃やけに重たいな。最近のおもちゃはずいぶんとリアルになったもんだ...いいかい勝也、拳銃はこのお尻の撃鉄をこうやって...」
ガチャ
お父さんが手にしたトカレフの撃鉄は蓄勢位置にホールドされた。
「...先に撃鉄を引っ張っておくと引き金が軽くなるんだよ。ほら今度は簡単だぞ...あっ、危ないから撃鉄に指挟むなよ」
「うん!」
お父さんは撃鉄の上がった銃を勝君に手渡した。
「...これで撃てるぞ。しかし良く出来てるなあ最近のおもちゃは。お父さんの頃はせいぜい銀玉鉄砲がいいとこだったな」
「ギンダマデッポウって何?」
「銀玉鉄砲と言うのはな、見た目はこの銃と違ってチャチイけど、ちゃんと玉が出たんだぞ。今で言うBB弾ぐらいの玉で、玉の色が銀色だったからそう呼ばれたんだ」
「ふーん。ボクも玉の出る方がいいな」
「何を言う。お父さんが子供の頃はこういうモデルガンは憧れだったんだぞ。さあ贅沢言わずに撃った撃った」
「うん」
勝君はお母さんの大きなお尻に狙いを定めた。お父さんが言うとおり今度は引き金が軽い。今度は勝君の片手でも楽に引けた。
「バーン!」
勝君は、撃った銃の反動でその銃口を上へ向けた...ポーズをとった。
「ダメダメ勝君、まだまだ。...カチッと鳴るまで引かなきゃあ。まだ撃鉄が動かなかったろう? そこまで行って初めて撃ったことになるんだ。いくら軽いと言ったって今のはまだ途中だったぞ。引き金は最後の最後までグイッと引っ張るんだ」
「うん、わかった」
「ちょっとまて、最後に...お尻を撃たれて死んでいくお母さんに一言言ってやれ。日頃の恨み辛みがあるだろう?」
「一言言っていいの? うん、...お前なんか死んじまえ、このオニババ」
勝君はお母さんに聞こえないように小さな声で言ったつもりだった。でもお母さんには聞こえていた。お母さんのお刺身を刻む手が止まる。
「勝君、オニババとは何。どこでそんな言葉覚えてきたの!」
「うわあ」
勝君はお母さんの地獄耳に驚き、慌ててトカレフの引き金を引いた。
グイッ
お母さんが振り返るのと同時に撃鉄のラッチは解除された。
お母さんの目の前にオレンジ色の光が閃いたが、すぐに真っ白な煙が隠した。巨大な風船が割れるような音が響き、それ以降の音を遮断するように三人の耳を襲った。
−−−−−−−
「...しかしご主人も災難でしたな。さぞや吃驚されたことでしょう、おもちゃだと思っていたピストルがホンモノだったなんて...」
「私はてっきりモデルガンだと思っていました。それが人殺しの片棒を担ぐことになろうとは。しかも自分の息子の手によって...」
父親が額の汗を拭う素振りを見せながら刑事と話している。ここは所轄の警察署。
「しかし狙い撃ちされたお母さんには不謹慎かもしれませんが、九死に一生を得たと言うところでしょうか」
「ええ、まったく...玉が逸れてくれたおかげで妻を失わずに済みました。あの状況で玉が逸れてくれるとは...幸運の女神に感謝します」
「いえいえ、それは勝也君が子供だったことが幸いしてますな。勝也君の握力がもうちょっと強かったらお母さんに命中していたかもしれません。短銃はしっかり握らないと狙いが上に逸れてしまうんです。これは強力な銃になるほどそうで、トカレフは小型銃に見えて大型銃の弾丸を使うため反動が大きいんです。天井に穴を開けただけで済んだのはこのためでしょう」
「はあ...」
「道端でホンモノの拳銃を拾うなんて、とんだ世の中になったものです。現在、我が警察署も全力を挙げて銃器追放運動を実施しておった最中でしたが...しかし逆に言えば、その手入れに音を上げた者が始末に困ったのを捨てたのが原因かもしれませんな。世の中何がどう転ぶかまったく予想が付きません...。さあ、本日の事情聴取はここまでとしましょう。お疲れさまでした、どうぞお家へ帰ってもらって結構ですよ」
警察からの帰り道は勝君の今日たどった道のりといっしょだった。
「もうこんな時間...帰ったらすぐ寝ましょうね。勝君、もう怒らないから、さあ、お母さんと手をつなぎましょ」
「うん」
ずっとしょげていた勝君は今まで入れていた手をポケットから出し、お母さんと手をつないだ。その手の温かさが正真正銘、お母さんが生きていることを証明していた。
「じゃあお父さんともだ」
勝君を真ん中に家族は仲良く手をつなぎあった。
三人が手をつないで歩く中、お母さんは銃で撃たれた時のことを思い起こしていた。
その一つは勝君に「オニババ」と言われたこと。
こんな恩知らずな言葉を言われ、かなりダメージを受けた事は事実だった。今回銃弾は逸れてくれたが、被弾に値するほどショックだった。
しかし二つ目は、勝君がすぐその後に叫んだ言葉。
「死なないで、死なないでお母さん! 何でも言うこと聞くし、オニババなんてもう言わないから、死んじゃヤだあ。ごめんなさいお母さん。死なないでえええ...」
耳から入って来た「目もくらむ」ような爆裂音。お母さんはそれに気を失いかけてしばらく台所にへたり込んでいた。そうしたら真っ先に勝君が駆け寄ってきた。硝煙の匂いが立ちこめる室内に、目が空中を泳いでいた父親を差し置いて、勝君が真っ先に駆け寄って来て言った。
オニババと言われたことはショックだが、それを差し引いてもお釣りが来るとお母さんは思った。
「あ、あそこだよ。拾ったの」
勝君が指差したあたりには警察の「POLICE LINE DO NOT CROSS」と書かれた黄色いテープが張り巡らされていた。その橋の下は青いシートで覆われ、警察署が用意した投光器に照らし出されている。
テレビではない警察の活動をはしゃぐように見る勝君をお母さんがたしなめる。
「勝君、今度あんなもの見つけたら、おもちゃにしないで、最初にお母さんかお父さんに言うのよ。ちゃんと言えるわね?」
「はい!」
「...おや、いい返事ね」
日頃はやかましいお母さんの言葉も今回ばかりは素直に聞き入れる勝君だった。勝君にしてみれば口うるさくはあってもかけがえのないお母さんであることに違いはない。今ならお母さんの言うことはどんな事でも素直に聞き入れる事が出来ると思った。

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結末は、お好みにあわせてどうぞ
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