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復讐
 ..1

 東京から電車で2時間かかる大戸川町第4倉庫の中に、二つの死体があった。
 一つは仰向けに、腹の辺りに両手でがっちりと26口径ポリススペシャルを握りながら、その頭は生卵を割ったようにつぶれてどろどろになっていた。
 もう一つは俯せに、背中に大きく広がった血の痕が付いていた。

 「中井刑事、やはり内村に間違いありませんでした」
 「拳銃は俺のだったか?」
 「はい、登録番号が一致しました」
 「……そうか。これで俺の首も、宇宙の彼方へ吹っ飛ぶわけだ。まあどっちにしたって俺は来年で定年だから痛くも痒くもないがな」
 「なんとか始末書だけで済まないのですか? 中井さんみたいな人が辞めさせられるなんて……僕には我慢が……」
 新米の川口刑事がうなだれて手をぐっと握りしめた。
 「ありがとよ。しかし課長に言わせると、俺に書かせる始末書はもうそこがつきたんだとよ。だから俺も、始末書を書くペンのインキが尽きたって言い返してやったぜ。……だがなあ川口よ、刑事が拳銃盗られるようじゃあ、辞めるほかにないんだよ。しかもそいつで死人が出ちまったとあっちゃあ始末書だけじゃあ死んだヤツが……例え人殺しの極悪人でも……浮かばれねぇだろうぜ。最も俺の首じゃあかえって浮かばれねえってんで、生き返るかも知れないぞ」

 「この少女が通報者です」と言って現場保存に当たっていた警官が、一見、少年と見間違えてしまうようなボーイッシュな少女を連れてきた。
 彼女は目を真っ赤に泣きはらし、時々「ヒックヒック」と詰まらせながら警官に腕を引かれていた。
 「え?」
 中井も川口も、少年にしか見えないその子が、少女だと呼ばれたことに驚いた。
 しかし、うつむき気味のその子が、二人を見上げて、その涙に腫らした大きな瞳と胸の膨らみを見て、やはり女性であることに納得した。
 「お嬢さん、お名前は?」
 「……」
 少女は声を出さない。
 「救急への通報時には橋本薫と名乗っていました」

 「驚いたでしょう、あんなもの見てしまって」
 中井はその少女が泣いているので、少女の純真な心では、死体の発見はその許容範囲を超えてしまったのかなと思った。
 「う、内村さんは……」少女がボソボソ話しだした。
 「内村? ……キミ、内村の名前をどうして知ってるんだい?」
 「通報の時も内村と言ってました」警官が中井に報告した。

 「……生き返ったんです。……内村さんが生き返ったんです。まだ生きてるかも」
 「なんだって? 内村が生き返ったって、どーいうことだね、そりゃあ?」
 「あの人が内村さんを鑑識の解剖に回せって……そんな事したら内村さん、本当に死んじゃう!」

 「おい! そこの救急車、ちょっと待ってくれ!」中井が叫んだ。
 「ちょっと中井さん、内村は……」
 そう言って川口は少女から離すように中井を引っ張った。
 「……内村は頭の半分を吹き飛ばされていたんですよ。生きてるはずないじゃないですか」
 「……」
 川口に言い留められて、中井は内村を乗せた救急車が耳に刺さるようなサイレンを鳴らして現場を去るのを見送った。
 「内村さんが死んじゃう……内村さんが死んじゃう!」


..2

 「父がね、内村さんのこととっても優しい人じゃないかって誉めてたわよ」
 交差点で信号待ちをしているとき、内村の婚約者の相田加奈子が話しかけた。
 二人の目前には巨大な壁のような40階建ての総合ビルが優々とそびえ立っている。加奈子の父親がこのビルの23階に事務所を持ち、出勤の手間が省ける、と同じ階に自分の部屋を借り住んでいた。自宅は横浜にあるのだが、最近、海外商社相手の大きな仕事が出来、家族とも離れた別居生活に入った。日曜日の今日、内村と加奈子は、二人が正式に籍に入ったことを加奈子の父親、相田和郎に報告しに訪れたのである。
 「だけど、少し無口だなあとも言ってたわ」
 「ほら青だ、渡ろう」
 客を乗せたタクシーが赤にも関わらず勢いを付けて二人の目の前を通り過ぎていった。
 「危ないなあ……」
 そうつぶやいた内村が加奈子の手を引いて横断歩道を渡り始めた。
 「そう言えばお父さんとはお酒をいっしょに飲んだこともないしな」
 「本当ね、父も内村さんといっしょにお酒でも飲んで、気晴らしでもしたらいいのに」
 「仕事、まだ忙しそう?」
 「そうなの。この一ヶ月はぜんぜん家へ帰ってこないのよ。それで私が毎週、父の下着なんかを替えに来てたの。……あ、こんにちは」
 加奈子がビルの出入り口の受付の女性とすっかり知り合いになっていたのか、挨拶をした。受付の子もニコニコしてこっちを見ていた。
 「あっ、エレベーターが……」
 と言って、今度は加奈子が内村を引いて、今下りてきたエレベーターの扉へ駆けつけた。
 「ここには二つしかないから乗り遅れると10分以上も待たされることがあるのよ……あ、開いた」
 中から出た数人が、内村と加奈子のつないだ手を解き、足早に皆立ち去った。解かれた手はエレベーターの中でまた結ばれる。いっしょに入ってきた中年の女性がそれを横目でちらっと見た。
 「すいません、15階押していただけますか?」
 その女性は二人を避けるように隅に立ったのでボタンが押せず、内村達に代わりを頼んだ。
 「はい、えーと、15階ですね」
 エレベーターはかなりの加速度で上昇していく。
 「わたし、このエレベーターに乗るのイヤなの。だって耳が痛くなるでしょ。……私達は23階ね」
 加奈子は23階のボタンといっしょに40階のボタンも押した。
 「おいこら、いたずらするなよ」
 「あらごめんなさい。いたずらじゃないのよ。ついいつものクセが出ちゃって。パパの……父の部屋へ寄って荷物だけ取り替えたら、こうしておくと下りるときに都合がいいのよ。今日はいいのよね」
 加奈子が「ふふっ」と笑った。
 ハタチになったばかりのまだ少女の面影さえある微笑みである。
 肩を寄り添ってくるとそっと肩を抱く。両親を事故でなくした内村にとって、加奈子はフィアンセでありながらかけがいのない家族――妹であり姉であり母親であり、ある時は我が子のようにいとおしく、ある時は友人のように楽しい。
 口数の少ない内村は決して言葉にはしないが、彼女を幸せにしてみせると心に誓っていた。
 15階で中年の女性が降りた。扉が閉まって中は二人っきりになった。
 「ねえ内村さん、……キスして」
 加奈子が目を閉じて内村に身を摺り寄せてきた。内村はそれを受け止めるように彼女の腰と背中に手を回して抱きしめ、熱く長い口づけをした。


..3

 乾いたノックの音がして、相田和郎はドアへ駆け寄った。
 「加奈子か?」
 「あのう、すいませんが……」
 相手が男の声だったので、相田は内村に違いないと思ってドアのカギを外し、ノブを回した。
 「内村君かい?」
 ドアが開いた途端バーンという大きな音がして外の男がいきなり中へ押し入ろうとドアに体当たりしてきた。
 ドアのノブが相田の左腰にガツンと当たり、相田はよろめいた。
 ガシャという音が二回起こった。
 一回目は体当たりされたドアがチェーンロックで止められたとき。そしてもう一回は、外の男のサングラスがそのショックで床に飛んで割れる音だった。
 「誰だ、君は!」
 相田は歪んだ眉で、かろうじてくい止められたドアの隙間から、この乱暴者の顔を恐る恐る覗き込んだ。
 30過ぎの彫りの深い、堅気の人間にはない独特の暗い影を持つ男だった。その男が上着の中から、黒く鈍く光る消音器付きの拳銃を取り出したため、相田はうろたえた。
 「一体何者なんだ! 何をしようというのだ! 私を殺す気か! 誰に頼まれた! 何とか言ったらどうなんだ!」
 消音銃独特の低いこもる発射音がし、ドアチェーンが赤い火花を散らして切られた。男は悠々とドアを開け、手に持った銃を相田の頭に照準を合わせ、ゆっくりと引き金を引いた。
 キリキリとバネの軋む音がする。
 「やめろ……やめろーっ!」

 エレベーターの中の二人は同時に離れた。
 「今の声……パパだわ! 何があったの?」
 「やめろって叫んでいたぞ。強盗に襲われたんじゃあ……」
 「パパ!」
 急速な減速感と共に静止したエレベーターのドアが開いた。それと同時に「ブスッ」という発射音と共に相田和郎のうめき声が聞こえた。
 「ピストルだ! 隠れろ!」
 内村の叫びなど耳に入らず、加奈子は一歩身を乗り出した。
 「パパあ!」
 その声に気づいた室内の男は、部屋から飛び出した。部屋に通じる廊下はエレベーターの正面に延びている。殺人者はエレベーターの二人に素顔をさらけ出してしまった。
 「しまった」
 殺人者はサッと身構え、今度は加奈子に照準を合わせて引き金を引いた。銃弾は彼女の胸に命中し、加奈子はエレベーターの中に叩き飛ばされた。
 「加奈子!」
 殺人者は内村に向かって走ってきた。顔を見られた以上、内村も生きていてもらっては困る存在なのだ。
 男は走りながら二、三発撃ってきたがドアの隅に隠れた内村には当たらなかった。銃弾は横をかすめて壁に穴を開けた。
 男は隠れた内村を狙えるように右に回り込みながら近づいた。
 内村の、恐怖につり上がった目と、男の目が合った。
 男は内村の頭に狙いを定め、そして引き金が引かれた。


..4

 「……そして?」
 内村の事情聴取は夕方から始まった。
 この警視庁の建物は最近新築された物だが、内村が連れてこられた部屋は天井の蛍光灯が消えて、白熱電球のスタンド一つが照明になっていた。そのスタンドが暗い雰囲気を作り出している。
 「すいませんがもっと明るくなりませんか、この部屋。これじゃあまるで犯人の取り調べみたいじゃないですか」
 調書を書いている新米刑事の川口勇次がむすっとした顔で内村の方を見て口を開いた。
 「照明が壊れてるんですよ。昨日、殺人犯の取り調べで犯人が暴れ出したおかげでね。玉は取り替えたが本体がいかれたようだ」
 本当は以前から玉が切れていて替えないままにしてあるだけなのだが、内村の口が重いので脅かしの意味を含めて川口がでたらめを言った。それに古株の中井重吉が「にやり」と笑みを浮かべた。
 「まあ、これで我慢してくださいな。……そしてその……えーと何だっけ?」
 「ホシが内村さんを撃ったところからです」
 中井のど忘れに川口が助け船を渡した。と、それを聞いた内村が言い出した。
 「『撃った』と書いたんですか? 私は『引き金を引いた』と言っただけですよ」
 「引き金引いたら玉出るでしょう?」
 川口が口を挟んだが中井が川口を睨みつけ、口出しするなと戒めた。
 「すると、引き金は引いたが弾は発射されなかった……というわけですか?」
 「そうです。……犯人は予定外の私達に多少動転して、玉の数の計算を忘れたんでしょう。慌ててスペアーをポケットから取り出している様子でした」
 「掴みかかっては来なかった?」
 「そうです。……エレベーターの中には彼女が倒れていましたし、つかみ合いでは拳銃は使えなくなるからでしょうか。そしてその……引き金を引いたが玉が出なかったことで私自身、少し冷静に戻れて、扉を閉めるボタンを押したんです」
 「ちょっと待ってくださいよ。エレベーターの扉が開いて、犯人があなたに向けて引き金を引くまで、ずっと扉は開いたままだったんですか」
 質問をされるたび、内村は忌々しい事件を思い起こさなければならなかった。
 「……一瞬の出来事でしたしね。それに彼女が撃たれたとき、扉にぶつかってきましたから、その時に扉は『開け』のスイッチを押されたことになるし……」
 「なるほどね。ふむふむ……あなたは死の瀬戸際に立たされ、金縛りのようになったが、ドジなホシのおかげで気を取り戻して、扉を閉めて助かった……と」
 「まあそう言ったところです」
 「ところで、なぜエレベーターはその後上へ上がっていったんでしょう? 中には二人しかいなかったわけですし、40階に用事がある訳でもないし」
 「40階で誰かがエレベーターを待っていたんでしょう」内村が投げやりに言った。
 「ほほう、40階でねえ。しかし私達の調べでは40階には掃除婦のおばさんだけで、他には誰もいなかったし、そのおばさんもエレベーターのスイッチには一つも触れてないんです」
 「じゃあ、他の誰かがスイッチを押したけど、なかなかエレベーターが来ないから階段で下りたんでしょう」
 バンと机を叩いてそれまで温厚な態度だった中井が急に態度を変えた。
 「ウソを言ってもらっちゃあ困りますね、内村さん。相田加奈子さんが40階のボタンを押したんじゃあないですか? 1階の受付のお嬢さんが加奈子さんにそうした方が便利だと教えたと言ってます。15階までいっしょだったご婦人も女の子が押したと言ってるんですよ」
 「分かってるんならいちいち聞かないでくださいよ」中川の強い態度でも、内村の無気力ぶりは変わらなかった。
 「いいや、これは聞く必要があるから聞くんです。あなたは40階へ行ったから助かったと言えるかも知れないんです。犯人はあの後すぐ、もう一つのエレベーターで下へ降りています犯人はまだあなたを殺したかっただろう。だからエレベーターで逃げたあなたを追いかけたかったはずです。しかし犯人は、あなたが下へ降りたのと勘違いしたか、それとも逃亡を優先させたのか、どちらかは分からないけれどとにかく下へ降りている。しかしあなたは彼女のおかげで40階へ行った。……下へ降りていれば一階でまた対面する機会がホシにはあったはずだ」
 「……」
 「こういった細かなことでも事実をつなぎ合わせれば事件の経過はだんだん明らかにされて、犯人の逮捕も早くなるんです。もっと協力的になって下さいよ、内村さん」
 「……犯人は」
 そう言いかけて、内村は黙り込んでしまった。

 もうこれ以上聞いても収穫無しと判断し、中井は内村に休憩室で休むように言った。明日は犯人の顔を割り出すためのモンタージュの作成と前科者との照らしあわせをしてもらうことを付け加えた。
 「眠れったって眠れないでしょうね」
 川口は、内村を休憩室に案内してから、再び中井のいる部屋に戻った。
 「内村さんは両親を亡くされているそうだ。恋人を殺されたんじゃあそのショックは相当なものだろうな」

 休憩室で横になった内村は、川口の言ったとおり、いつまで経っても眠れなかった。また、眠ろうともしなかった。
 明かりを消した部屋で何かを目に焼き付けるかのように両目をギラリと開き、ぶつぶつと独り言をつぶやいている。
 「犯人は……犯人は……。犯人は、俺が……殺すっ!」


..5

 次の日の朝から相田親子殺害事件の説明会が行われた。中井と川口ら、捜査一係の全員12名が課の会議室に集まった。全員が集まるのは滅多にないことだったが、他に捜査中の事件もなく、今度の重大事件に全力を挙げる事になる。
 事情聴取を行った中井重吉がまず事件の経過を説明した。
 「事件は昨日の午前11:50頃起こったもので、現場は東京センタービル23階であります。まずこの略図を見てください」
 と言って中井は黒板に書かれた図を指差した。
 「この図は東京センタービル23階の平面図ですが、第一被害者の相田和郎はこの23階に自分の部屋を持ち、同階に彼の勤める『国際商事株式会社』の派出事務所が湖の廊下をもっと奥まで行った突き当たりにあります。相田氏は最近、ドイツの大手産業との提携作業を進めていて――その企業名は極秘とのことで一切資料はないのですが――彼が中心となった企画のため、最近一、二ヶ月は自宅にも帰れないほどの忙しさだったそうです」
 「すると殺した犯人は相田氏のライバル会社の仕業ということか?」係長の相沢が口を挟んだ。
 「はい、私もそう思いますが、今はまず先に事件経過を報告したいと思います」
 「うむ」と係長がうなずいた。中井は続けた。
 「まず犯人の侵入経路ですが、これはエレベーターを使用したことは間違いないでしょう。階段では大変ですし、ちょうど昼時と合って下りる者はあっても上る者は少ない時刻です。犯人は上りのエレベーターに他に人が待ってないのを見計らって乗り込んだのではないかと想像されます」
 「また、白昼に犯行時間が選ばれた理由としては、このビルは、屋上展望などに来る一般客と会社員達の入り口が正反対に別れていて、展望用エレベーターは40階のレストランまでノンストップですし、そこから23階まで下りようと建物の構造上、各フロアーの警備の目に付くことになってしまいます。これは従業員の入り口から何食わぬ顔で入った方がスムーズなわけで、つまり、社員側の入り口から、ある程度人がうごめいていて、上りのエレベーターの空いている、下りに人の集まる昼飯時が選ばれたと思われるのです」
 「さて、23階に辿り着いた犯人は相田氏の部屋の前へ来て、ノックをしたか相田氏の知っている人物に成りすまして、相田氏にドアを開けさせています。ドアのノブはこじ開けられたりした形跡はありません。そして犯人はドアに体当たりしているのですが、これはドアの外側に散々していた割れたサングラスの破片と、相田氏の死体に発見された、腰に着いたノブの大きさと一致するあざの痕で分かります。サングラスは犯人の物と思われますが、犯人がここでサングラスを割ったため、あとで加奈子さんと内村さんに素顔をさらけ出す状況になったわけです」
 「ドアは開いたのですが、このドアにはチェーンロックがしてあって犯人の侵入は一旦食い止められたのですが、銃の弾で切られています。ここで使われたのは1発だけです。そして相田氏が額にもう一発だけで殺されています。頭を狙っていることから犯人の射撃の腕は相当なものと思われます。我々の駆けつけた午後12:40頃にはもう第一次硬直が緩みかけていますから、当然即死だったと思われます」
 「さて、相田氏が犯人に射殺されたのとほぼ同時に内村さんと加奈子さんが乗っていたエレベーターの――図では、2基ある内のこの右側の方です――ドアが開き、現場の物音で父の危機を察した加奈子さんの叫び声で犯人が素顔で飛び出したため、犯人が加奈子さんを、図中『B’』の地点から発砲、一発で心臓を撃ち抜き、加奈子さんも即死であったと思われます。このとき加奈子さんは、その衝撃でエレベーター内に叩き戻され、犯人は残った内村さんを狙って撃ちながら……こう『C』地点まで回り込むように近づいていきました。この途中で撃った3発は、内村さんには命中せず、微妙なタイミングでエレベーターのドアが閉まったため内村さんは無傷で救出されました」
 「この後、加奈子さんの死体と内村さんを乗せたエレベーターは40階まで止まらずに上がり、40階で片付けをしていた掃除婦の浜村さんが血だらけのエレベーターを見て警察へ通報したと言うわけです」
 「地獄だな……」
 誰かがつぶやいた。


..6

 「やあ、ご苦労様です」
 中井と川口が先に待っていた内村に軽く挨拶をした。
 ここは警視庁から車で二、三分ぐらいの喫茶店である。
 昨日まで口の重い内村が今日になって話したいことがあるから来てくれ中井を名指しで呼んだのだが、刑事は常に二人以上で行動をとるから川口をいっしょに連れてきた。
 「あれ、君を呼んだ覚えはないぞ」
 内村が皮肉を込めて言った。
 「我々は個人行動は禁じられているんだよ」と川口。
 「別に差し支えはないと思いますが」
 中井がそう言うと「まあいいでしょう」と内村が答えた。
 「それで、話というのは?」
 「まあそう焦らずに……何か注文をしてから……」
 内村はウェイトレスを呼んだ。
 「お二人とも食事は?」
 「もう済ませました」
 「そうですか、私はまだですので、ナポリタンでも……そしてコーヒーと」
 「私達はコーヒーを」
 「コーヒー三つとナポリタンですね」ウェイトレスが注文書を置いてカウンターへ戻った。
 「ここのコーヒーはおいしいとは言えないけど、おかわり自由というのが気に入りましてね」
 「へえ」といった顔で若い川口は可愛いウェイトレスの尻を眺めていた。
 この時、二人の刑事は、このおかわり自由のコーヒーが内村の巧妙なワナであることには気づかなかった。
 食事が済んだら話を始めるからと言って内村はたのんだスパゲティーをむしゃむしゃと食べ始めていた。二人の刑事はそれを見て、舌鼓うちながらおかわり自由のコーヒーを何杯も飲んだ。
 これが昨日と同一人物かと思われるほど内村の口は軽快に躍った。話の一休みにコーヒーをまた頼んだ。
 「中井さん、ちょっとボク、トイレに……」
 「ああ」
 席を立った川口を見届けて内村がニヤリと笑った。
 「刑事さん、私はこの機会を待ってたんです……二人っきりになるチャンスをね」
 「?」
 川口がいては話しづらいことでもあるのかな、はてなんだろう、と思って内村の目を見直した瞬間、中井の頭に激痛が走った。
 「キャーッ」
 ウェイトレスが悲鳴を上げ、中井は額から血を流し、床へどっと倒れた。内村の手には食べたスパゲティの鉄製の器が掲げられ、全身がブルブルと震えていた。
 「中井さん、悪く思わないでくれ」
 内村は床で血だらけになっている中井の懐中をあさり出し、ずしりと重たい拳銃を掴みだした。
 内村の目的はこの拳銃を奪うことにあったのだ。
 そのため

                          以上 続きません

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