とよたま愛読会88回(天祥地瑞:75巻19章〜75巻23章)
      
望月幹巳      メール:motomi_mochizuki@ybb.ne.jp


日 時  平成16年1月25(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
      連絡先 03-3321-3896、  03-3321-8644
物 語  天祥地瑞 寅の巻 第75巻19章「日南河」〜23章「魔の森林」より)

★ 報告
向春の候、 88回の愛読会も無事に行われました。
物語は、いよいよ顕津男の神が真鶴国を出でて、次の国土、西方の国へと入ります。
前回に引き続き、第75巻の第四篇では、霊界物語の性格について、聖師様ご自身の言葉で解説があります。
それによると、この物語は人間に伝わったものではなく、天地に充満した水火の妙用原理に基づいて説き示したものであり、そのために著者は日夜、神界の枢機に参じることで、宇宙万有発生の歴史的事実に至るまでを開示したものである、と説かれています。
じっさい、天祥地瑞に入ってからは、常に宇宙の初めの世界の成り立ちと、現在の世界の結びつきが繰り返し、神学的・哲学的・論述的に説かれており、山河草木までの物語と趣を異にしています。
そういった個所では、霊界の枢機ともいうべき、なぜ人は生まれてきたのか、この世で何をしなければならないのか、それはなぜか、といったテーマが説かれていると見ることができます。
なぜなら、今現在のわれわれも、最初のスの言霊の胎動から連綿と続く宇宙修理固成の活動として存在しているのであり、今現在も霊的な「腺」によって宇宙の中心とつながり、そこから命を得ているのだ、という壮大な宇宙観がそこでは説かれているからです。
 だから人は神の子神の宮なのであり、この世に地上天国を建設するために、清潔、楽天、進展、統一の主義のもとに日々活動するという使命を負っているのです。
 天祥地瑞の幽玄にして膨大な詩的表現やお歌に注目すれば、それは一巻の壮大な絵巻物語のようでもありますが、一方では長大な神学的・哲学的な論説と読むこともできるのではないでしょうか。
 さて、物語は顕津男の神が真鶴国を去り、西方の国にいよいよ入りました。新たな従者神たちを得、また真鶴国以来の従者である美波志比古を加え、曲津神の脅しや罠を難なく抜けて、スウヤトゴル山脈を指して進んでいくところで、75巻は終わっています。

第七十五巻 天祥地瑞 寅の巻
第四篇 千山万水
第十九章 日南河(一九一三)

* ここに語られている物語は、おとぎ話でなく、伝説や伝奇物語でもなく、言霊学上から見た史詩(シャンソン)である。
* 『霊界物語』は、人に伝わったものではなく、天地に充満した水火(いき)の妙用原理にもとづき、宇宙創造の状態より、諸般の事象について説き示したものである。
* この物語を著すにあたっては、日夜神界の枢機に参じ、宇宙万有発生の歴史的事実に至るまで開示したものなので、現代の学者たちが怪しく思うのも当然のことである。
* 未だ誰も見たことも聞いたこともなく、伝わっていない宇宙の物語であり、有史以前の事象であるので、誰も善悪の批判を加えることはできないのだ。
* 惟神(かむながら)の道徳上の義務に服し、天界に奉仕し、自己を制して自己以外のひとたちに寛大な神人(ひと)は、実際上、精神の上で自由なのであり、一切万事、公共のために活動して、成功しないことは一つもないのである。
* 天之峯火夫の神が皇神(すめかみ)として君臨したまう紫微天界は、未だに霊と言霊の世界であり、形のあるものはただ、気体が凝ったものだけである。だから、意思想念の世界ともいうべきものである。
* 善良な意思想念は、善良な神人の姿と現れる。そして、醜悪な意思想念が醜悪な形となって現れるのも、自然の理なのである。
* 大蛇、鬼、半鬼、巨人、山、河、岩石等、さまざまな形の神々が多数あるのも、意思想念があわられた姿なのであれば、驚くにあたらないのである。
* 顕津男の神は、七日七夜、旅を続けて、濁流がとうとうと流れる日南(ひなた)河の南岸に着いた。このとき、日は三十度の位置に昇り、こうこうと輝いて、日南河の波を金銀色に彩らせた。
* 顕津男の神は、激流を眺め、スウヤトゴル山を前に旅の述懐の歌を歌った。
* そして、河の中に波をせき止めてそびえる岩を曲神の化身と見破り、言霊歌を歌うと、巨巖はたちまち蛇体となって逃げていった。すると、河の水は減っていき、向こう岸まで渡れるほどになった。
* 顕津男の神は駒にまたがり、最後まで見送りに従ってきた四柱の神々に、別れの歌を歌った。
* 宇礼志穂の神、魂機張の神、結比合の神、美味素の神は、顕津男の神の無事を祈る歌をそれぞれ歌った。
* 顕津男の神が悠々と向こうの岸へ渡り上ったのを見届けると、見送りの四柱の神々は真鶴国の聖地へと戻っていった。

第二十章 岸辺の出迎[一](一九一四)
* 「スウヤトゴル」とは、聖なる山、という意味である。
* 天地の邪気が凝り固まって生まれた十二頭の大蛇神が、この連峰となって日南河の西北に高くそびえ、邪気を日々発生させて紫微天界の一部を曇らせ、神々を悩ませていた。
* スウヤトゴルはこの邪神の連峰の偽名であり、実は曲津・悪霊が割拠していたのである。
* 顕津男の神がスウヤトゴルを帰順させて西方の国を開こうと、日南河の北岸に渡って来たとき、照男(てるお)の神は、七柱の神々を従えて迎えにやってきた。
* 七柱の神々とは、内津豊日(うちつゆたひ)の神、大道知男(おおみちしりお)の神、宇志波岐(うしはぎ)の神、臼造男(うすつくりお)の神、内容居(うちいるい)の神、初産霊(はつむすび)の神、愛見男(なるみを)の神である。
* 八柱の神々は、顕津男の神に挨拶を述べ、そのご健在を祝して歌った。
* 照男の神はまた、スウヤトゴル山の猛威を訴え、顕津男の神を待ち望んでいた西方の国の神人たちの心情を歌った。
* 顕津男の神は、様子の分からない国の案内を照男の神に頼みつつ、これまで曲神の猛威に耐えつつよく国を治めてきた照男の神をねぎらう歌を歌った。
* 従者神の内津豊日の神、大道知男の神、宇志波岐の神は、西方の国の現状を訴え、顕津男の神への期待を歌に歌い、御降臨を喜んだ。
* すると、たちまち天地が割れるかというような雷鳴がとどろき、稲妻が走り、大雨が降りだすと、日南河はみるみる濁流にあふれ、岸を呑み、河底の巨巖をまりのように押し流してしまった。

第二十一章 岸辺の出迎[二](一九一五)
* 顕津男の神はこの光景を見ても少しも動じず、にっこりとして歌を詠んだ。
* 曲津神が力の限り脅そうとしておたけっているが、かえってその壮大な光景を見て楽しんでいるくらいだ。言霊の幸はう国であれば、曲津見のおたけびが強くても何も恐れることはないのだ、と。
* 迎えに上がった神々は、顕津男の神の不退転の様子に驚き心を動かされ、それぞれ顕津男の神をたたえる歌を歌い、このような英雄を迎えた歓びを表した。
* そこへ、美波志比古の神がしづしづとこの場に現れて、顕津男の神に目礼した。美波志比古の神は、顕津男の神が真鶴国を立ち出でて西方の国に旅発つに先立ち、途中の道々に橋を架けるために先に立っていたのであった。
* しかし、美波志比古が歌で語るところによると、橋を架けるという職掌を超えて、自身西方の国に先に進み入り、その結果、今まで曲津見の神の手下に捕らえられてしまっていたのであった。
* 美波志比古の神は頓知でなんとか危害を逃れていたが、曲津見の神は顕津男の神がついに西方の国にやってきたことを恐れ、美波志比古を解放した。
* いま美波志比古は、自分の軽率を顕津男の神に懺悔すると同時に、曲津見の神たちが罠を張って顕津男の神を待ち構えていることを、注進に来たのであった。

第二十二章 清浄潔白(一九一六)
* 顕津男の神は、霊と肉とが円満に合致しているため、礼儀、慈愛、風雅それぞれ全く兼ね備えていた。だから、至るところ、物に接し事に感じては御歌を詠むのであった。
* いま、顕津男の神は日南河を渡り、悪魔のはびこる西方の国を作り固めようとして心を悩ませ、また高地秀の宮に残してきた八柱の比女神たちや八十比女神たちの身の上を思い起こし、悲嘆の涙にくれながら、述懐歌を歌った。
* その歌は、道のためとはいえ、置き去りにしてきた妻子の寂しさを思って悩む思いと、その悩みに負けず心を立て直す自分の決意を詠んだものであった。
* そして顕津男の神は、日南河の流れに下り立って禊の神事を修した。すると、出迎えの八柱の神々も早瀬に飛び込んで、浮きつ沈みつ、天津祝詞を奏上して、禊の神事を修した。
* 一同は、ようやく心地がすがすがしくなった、と言上げて、各々心静かに歌を詠んだ。
* 身も心も軽くなり、曲津神に対する勇気に満ちた禊のいさおしをたたえつつ、顕津男の神に従い、柏木の森を目当てに、意気揚揚と出発した。

第二十三章 魔の森林(一九一七)
* スウヤトゴル(=聖なる山)に身を変えて、西方の国土の天地を我が物としようとしていた大曲津見は、顕津男の神を騙って朝香比女の神を騙し、御子生みをなそうと企んでいた。
* しかし、本物の顕津男の神が西方の国に間近にやってきたのに驚き恐れ、途中で一行を全滅させようと、部下の邪神を集めて何度も評議をした。
* その結果、嘘つきに長けた醜狐を柏木の森に遣わして、妨害計画を与えて実行させたのである。この醜狐は、醜女の神、といった。
* 醜女の神は柏木の森の手前に姿を隠し、顕津男の神の一行の駒の足許ちかく、かすかな声で、『右に行けば必ず勝つ、中の道を行けば必ず負ける、左に行けば必ず滅びる、主の神の教えであるぞ』と歌っていた。
* 顕津男の神はこの歌を聞いて微笑みつつ、醜神の罠と見破り、真中の道へ進むことを歌う。
* 従者神たちはそれを聞いて不安に思うが、美波志比古は、スウヤトゴルの手下の曲津神の姦計であろう、と歌って不安を鎮める。
* こうして一行は、曲津神が滅びると言った中の道を選んだ。おのおの曲津神に対する決意を歌って勇気をつけつつ、柏木の森を難なく突破し、スウヤトゴル山脈さして悠然と進んで行った。

以上。     [前回レポート] [次回レポート]


[拝読箇所一覧] [愛読会の紹介] オニ(王仁)の道ページ