とよたま愛読会87回(天祥地瑞:75巻14章〜75巻18章)
 
       記望月幹巳       メール:motomi_mochizuki@ybb.ne.jp


日 時  平成15年12月28(日) 午後1時から午後4時30分まで
場 所  愛善苑 豊玉分苑 (京王線下高井戸駅下車 徒歩8分 川崎方)
      連絡先 03-3321-3896、  03-3321-8644
物 語  天祥地瑞 寅の巻 第75巻第14章 「鶴の決別3」〜第18章 「神の道行」より

★ 報告
 平成15年最後の拝読会は、8名の参加者を得てつつがなく行われました。年の最後の拝読会とのこともあり、引き続いて場所を移して忘年会となり、越し方行く末に話の花が咲き、楽しいときを過ごしました。また今年もよろしくお願いいたします。
 物語は顕津男の神が、修理固成の神業を成し遂げた真鶴国を去って西方の国へ向かう、別れと旅立ちの場面です。真鶴国の長い試練の国土生み・神生みの後からか、神々たちの感慨はひとしおではないようです。残った玉野比女は、玉野宮居を守る神聖な役目でありながら、寂しさからつい心がくじけそうになります。
 そこへ、魂結の神・中津柱の神の二柱が天界から降臨します。二柱は、顕津男の神と玉野比女の真心からの願いによって、真鶴国の運営を助けるべく、主の神より下された、と明かします。
 魂結の神は、玉野宮に仕えて玉野比女を補佐する役目ですが、中津柱の神の役目は変わっています。これからずっと真鶴国中を旅して周り、国内が詳細に固まるまで、天には帰らない、というのです。また、幾億万年という気の遠くなるような時間をかけて国内を固めるのだ、と歌います。すると、今現在この瞬間も中津柱の神は、真鶴国を旅して国内固成を行い続けている最中なのかも知れません。天祥地瑞には、はるかに遠い遠い過去の物語でありながら、こうして現在にまで続く宇宙の営みを感じさせる記述がそこかしこに見られ、はっとさせられます。
 もう一つ、興味深い個所は、第十七章の前半です。聖師様ご自身が、天祥地瑞という物語について語っています。それによると、古今東西神世の物語は、詩文によるものと、空想物語によるものの二つの型がある、と分析しています。そして、天祥地瑞は詩文の形式を取りつつ、言霊を取り扱った初めての神世物語である、と自ら語られています。この個所は短いながら、天祥地瑞の「読み方」論として、心に留めておくべき部分であると思われます。
 続いて、主の神がミロクの神柱(=聖師様)を地上に下されたのは、人々の目を覚まさせ、もって悪魔の跳梁を絶滅せんがため、とその経綸の一端を明かしています。つまり、ミロクの世はあくまでも、我々の目が覚醒し、我々自身が悪魔に対して目を光らせることによって近づいてくるのであり、天恵のように上から下されるものではない、ということでしょう。これもまた、心に留めおくべき言葉ではないでしょうか。

第75巻 天祥地瑞 寅の巻
第3篇 真鶴の声
第14章 鶴の訣別[3](1908)

* 引き続き、従者神の国中比古の神、宇礼志穂の神、美波志比古の神、産玉の神たちが、顕津男の神の真鶴国固成の偉業をたたえ、また国の発展を祈りつつ顕津男の神との別れを歌った。

第15章 鶴の訣別[4](1909)
* 続いて、魂機張の神、結比合の神、美味素の神が述懐の歌を歌った。皆が歌い終わると顕津男の神は馬上から諸神への返答歌を歌った。そこには、諸神への感謝と、たとえ自分は去っても、霊線(たましひ)はここにあって真鶴国を助ける、とあった。また、国事補佐の任にあたる玉野比女には、宮居に仕える神と、補佐神とを降すので安心するように、と諭した。
* 歌い終わると、顕津男の神は諸神に名残を惜しみつつ、駒に鞭を打って玉藻山を静かに下っていった。
* 諸神は国境まで見送った。

第16章 鶴の訣別[5](1910)
* 顕津男の神が玉藻山を去りつつあるとき、玉野比女は寂しさに耐えかねて、玉野宮の大前にうずくまって神言を奏上し、静かに歌を歌った。
* その歌は、顕津男の神を慕い、その姿を偲ぶ述懐の歌であった。また、自分は八十比女の一人でありながら、御子神を授かったのは生代比女だったことを悔やみ、ねたみの心が湧いてくるのをどうともしようがなくなってきた。
* すると、玉藻山の松の枝を左右に揺らし、二柱の神が玉野宮居に天から下ってきた。
* 二柱の神は、それぞれ魂結(たまゆい)の神、中津柱の神と名乗り、主の神の言により、玉野比女を助けるために降ってきた、と明かす。
* 玉野比女は二神の降臨に驚きかつ喜び、また神に仕える身でありながら、神前に繰言を述べた自分を恥じた。
* 魂結の神は、玉野比女の真鶴国の将来を愁う真心が天に通じたのであり、自分は玉野宮に仕えて玉野比女を助けるために、主神より下されたのだ、と歌う。
* 中津柱の神は、顕津男の神の願いを主の神が容れて、自分は下ったのだ、と歌った。また、国魂の神は生代比女の御子なのではなく、八十比女である玉野比女の御子であると心得るよう諭した。
* 中津柱の神は、真鶴国を廻って神業の継続を助けよう、と歌い、遠見男の神が国事の全ての司であり、玉野宮居の司は玉野比女である、と役割を明らかにする。
* そして、自分は真鶴国を隅々まで廻り、国の詳細が固まったならば天へ帰る、と自分の役割を明らかにした。
* 最後に、主の神の神言によって、魂結の神とともに、幾億万の年月を経てようやく「皇国」・「大やまとの国」として固めるというのがこれからの神業である、と結んだ。

第4篇 千山万水
第17章 西方の旅(1911)

* 古来、文学者たちが神世の物語を著すのに、史詩(シャンソン)と伝奇物語(ロマン)の二種類の様式を使ってきた。
* 史詩は歴史と空想の混じったものであり、伝奇物語は、史実を踏まえつつ、それをより濃厚な空想で味付けした物語である。
* 古今東西、神界に言及した多くの歴史物語が存在してきたが、『天祥地瑞』のように言霊を取り扱った書物はいまだかつてなかった。なぜなら、言霊学は深遠微妙、玄妙な学理であるから、並大抵の学者では理解することができなかったのである。
* 私(=王仁三郎)は大胆不敵にも、大宇宙の極元である言霊の活用に基づいて、宇宙の成立から神々の活動について、史詩の形式を借りて、その大要を述べようとしているのである。
* 天地茫漠として修理固成がまだなされていない時代、言霊のはたらきから発する意思想念の世界のことを説明すると、現代人には奇妙に感じることが多い。一定不変の形式をもたないので、神々の姿も、竜体・獣体・山岳など、さまざま違っている。なぜなら、意思想念そのものが現れているからである。
* 一方今日では、人間の形態が定まってしまったので、かえってその人の意思想念がどのようなものか、外から観察することが難しくなってしまった。正しい神の道により知恵正覚を得た人は、精神を看破することができるが、大多数の人には難しい。
* そこで、主の大神は、ミロクの神柱を地上に下して、正しい教えを天下に施して人類の眼を覚まさせ、光らせ、悪魔の跳梁を絶滅させることで、ミロクの御世を樹立しようとなさっているのである。
* さて、玉藻山に二人の女神を残して真鶴国を旅立った顕津男の神は、宇礼志穂の神、魂機張の神、結比合の神、美味素の神の四柱神を従者として、玉藻山の千条の滝が集まる大滝川に禊をした。そして、主の大神を伏し拝み、西方の国の国土造り・神生みの神業の完成を祈る歌を歌った。
* 従者神たちもそれぞれ、真鶴国の造営を省み喜びつつ、西方の国への旅立ちの決意を、それぞれ歌った。
* 宇礼志穂の神が案内に立ち、顕津男の神、そして残り三柱の従者神たちがそれに続いた。

第18章 神の道行(1912)
* 一行は馬上にて歌を歌いながら進んでいく。
* 先頭の宇礼志穂の神は、真鶴国固成の功績を歌い、今は天地に黒雲かかると聞く西方の国を開くために、万里の駒にまたがり、千里の荒野原を行く、と歌う。また、先遣隊として行った美波志比古の神によって道が踏み固められていることにも言及する。
* 顕津男の神はしばらく駒を止めて、玉藻山を仰ぎつつ、来し方を顧みる述懐の歌を歌い、これまでの出来事と比女神たちを偲んだ。
* 四柱の従者神たちはそれぞれ、述懐の歌を歌って続いた。また一同、西方の国に立つ曲神の雲を払わんと、抱負を歌った。
* すると顕津男の神は、一人真っ先に進みながら、歌を歌った。従者神たちに頼る自分の心を厳しく自戒し、神業をなすのは他ならぬ自分独りであり、濁った多くの言霊よりも、一つの良き言霊で曲津神を言向け和す、という決意を新たにした。
* 従者神たちは、自らおごった心がなかったか畏れかしこみ、顕津男の神の言霊の威力への信頼を新たにする述懐の歌を歌った。
* 顕津男の神を先頭に、一行は大野原を進んで行く。

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