挫折とあきらめ
もう赤ちゃんはあきらめようと思った日
きっかけは口紅の色 2000年冬から2001年を迎え、そして・・・
なかなか妊娠できない事実にあせる、せっかちの私と、のんびり構えている旦那。いつもの我が家の風景。
旦那と自分の温度差に、時には自分自身に対して、発作のように起こるイライラと、夜中目覚めた時の原因不明な焦りや虚無感。
相変わらず私の頭の中は妊娠で一杯。あの日失ってしまった、まめ1号と2号の事ばかり考えていました。
ふと、ブルー姉さんとノノカ姉さんに「ライスちゃんって、いつも寂しい色の口紅してるね」と言われる。・・・寂しい色?そう言えばそうかなあ・・・・肌の色が黒いし、きれいな肌でもないし、という事がコンプレックスになっていて、割と明るめの口紅は避けてたんですよ、確かに。なんとなく鮮やかな赤やピンクは、色白の肌のきれいな人じゃなければ似合わないと思っていたので。薄い色を付けると肌のアラが目立つような気もしてたし。若い時だって、赤やピンクは避けてたなあ・・・。
そんな訳で、きれいな色の口紅を付けた事がなかった私。「もっと明るい色の方が似合うのに」としみじみ言っていただくと、洗脳されやすい私の事。どれどれ、とその気になる。早速、家の化粧箱の中から、口紅を買った際に一緒についてきたパレットの試供品を引っ張り出してみた。パレットの中は、私が買ったのと同じ色の他に、目が覚めるくらい鮮やかな色の口紅が並んでいる。まさしく色とりどり。
試しに絶対付けないはずの一番明るい色を付けてみる。鏡を見る。・・・・・・・爆笑。
(本当に気色悪かった)
でも・・・・、うん、まあ、顔が明るく見えるぞ。悪くないかな。見慣れないからおかしいけど、でもすごい肌の血色が良く見える。
そうすると、髪の毛の色ももう少し明るくしてみようかな、という気分になる。勿論、明るい色の服も欲しくなる。その時ハッとしたんです。流産後・・・本当に寂しい色の服しか買ってなかった事に気付きました(買うこと自体もとても少なくなっていた)。いつ妊娠しても良いように、妊娠してからも着れるようにと少し余裕のあるデザインの服ばかり。靴も、意識して低いものばかり履いていた。美容室へ行く回数もぐっと減って。できるだけ人と接しないように生活することを心がけていた。うん・・・いつの間にこうなっていたのかな。年齢を気にしていたせいもあったけど、もうちょいと冒険しても良いんじゃないかな。本気でそう思いました。
おしゃれしてみたいなぁ。何年ぶりかの感情でした。独身時代は黒い服が多かったんだけど、そのときの私は独身時代も避けていたような明るい色を選んで買っていました。旦那に「どうかな?」と聞いてみると、すごく良い返事。「似合うよ。もっと冒険してみたらいいんじゃないの」
あまりにも旦那が嬉しそうだった事に驚きました。
本当に私は、流産後オシャレを忘れていた・・・かも知れない・・・・旦那もきっと、そう思ってたんだろうな。何も要らないって思ったんだ、二度目の妊娠の時。お腹の中の赤ちゃんさえいてくれたら、何も要らないって。
お腹の中の赤ちゃんがいなくなっても、いつか戻ってきてくれるなら何にも要らないって。なんか、いろんな事見過ごしてきたのかもしれない。
そうしている内に、時間が経つのが早く感じられるようになりました。変な話だけど、不妊治療にかけてきたお金で、もうちょっとオシャレを楽しみたくなってしまったんです。なんとなく、私の足は病院から遠ざかり始めました。W先生に会えないのは残念だけど・・・。

化粧が明るくなって気持ちも明るくなったんでしょうか、やけに「子供いないんだっけ?いいね、自由で。羨ましいよ」と人に言われるようになりました。欲しくて授からないのではなくて、あえて作らないという方法を選んで、楽しんでいるように見えるらしい。それは、負け惜しみかもしれないけれど、そう思われていると思うとなんだかちょっとホッとする。同情されているんじゃないか、かわいそうな人って思われているんじゃないか。いつもそう思って暮らしていたから。
人間って不思議だ。だんだんと、こんな人生も悪くないかも知れない・・・と、やっと思え始めたんです。旦那にも何度か聞きました。「子供ができなくてもいい?」
旦那はいつも言ってくれます。「何度も言うけど、別に俺は子供が欲しくてあんたと結婚したわけじゃないんだから。俺達が仲良かったらいいじゃん」
2001年の春も夏も秋も、そんな風に過ぎて行きました。同じ頃、同じハンディを持つぐらちゃんも「子供ちゃんいなくても楽しくやっていけるよ。好きな事、楽しもうよ」と明るく笑っていた。「今だから楽しめる事、たくさんしようよ」・・・そう言うぐらちゃんは、確かに年を取らない。
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