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臭いについて(2)


 お母さんから「家の子は、きれいなトイレでないとおしっこが出来ないんです。どうしたらいいでしょうか?」と尋ねられる。家のトイレか、ホテルやデパートの“臭いがなくて清潔な”トイレでしか出来ないと言われる。

 家のトイレは、いつもぴかぴかに掃除がしてあるし、いい匂いの芳香剤が置いてあったりするから、自分のうんちの臭いがどんな臭いなのか、しっかり嗅ぐことなくきたのだろう。

 もちろん公園の公衆トイレなどは絶対駄目。遠足などに行ったりしてもトイレが汚いから1日おしっこも我慢している。

 とにかく練習をさせなくてはと思い、公園のトイレに無理に連れていって一緒に入るのは入ったが、何にしろとにかく「出ない」と言って、本当に出なかった、と言われる。

 出ないのは嘘でもないらしくて、尿意がひっこんでしまうようだ。うんちが引っ込むというのは聞いた事があるが、おしっこが引っ込むというのは聞いたことがないなあと思いながら。

 また、小中学生が3、4泊のキャンプに行くと、帰るまでうんちは絶対に出ないとも聞く。この子達はまだ、おしっこは出るんだろうかと思ったりするが。

 自分の体から出す自分の排泄物がどんな臭いがしていて、どんな様子なのかという事を、全く教えてない。清潔な存在としての自分しかない。

 小さい頃から「そんな汚い事しなさんな!」とか“うんちは汚いもの”という教えられ方しかしてこなかったらそうなって当たり前ではある。

 一方、これは私の勝手な想像だがもともと人間の体の中ってすごい臭いがするものじゃないかなあって思う。

 体から出て来る“吐瀉物”や、おならは臭い。おしっこはまだしも、うんちは臭い。口の中も歯を磨かなかったら臭くなるし、おへその穴も臭い。だから、しばらくお風呂に入らなかったりすると体はとても臭くなる。

 ぼっとん便所では、自分が出したうんちの臭いを、入るたびにいやがおうなしに“確認せざるを得ない”が、清潔なトイレでは嫌な臭いがないわけだから“臭い主体”としての自分は感じなくていい。

 そういう臭い“体”をもっている自分がいて、自分の中に臭い主体があり、もちろん人にもある、ということを理解することが大切だと思う。

 そういう自分を許す、という事が究極の課題だろうか。そうすれば、他人が少々臭くても許せるし「自臭症」で悩むこともないのではないだろうか。

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