“制度”の中の障害者たち ・・ 27


なぜ今 障害者自立支援法なのか
パート
14

福本 千夏

2012/04/23

 

 私は6月生まれだ。何らかの制度を使って生きている障害者は、毎年、誕生月に生活の見直しを迫られる。早いもので独居障害者生活4年目。他人の温かさと冷たさを、かみしめながら生きている。結局はひとり。だから、本当に苦しい時には誰かに助けてほしい。が、制度はそんなに都合よくできてはいない。契約は約束なんだから。信頼関係は毎回の約束を守って作っていくのだから。

 今は、福祉も医療も予約制。「調子はどうですか?」と聞かれ「普通です」と答える患者を診て、急患を断る医療機関もある。これは、本末転倒。おかしい。でも、「普通です」と言いながら、治療台に上がり、次の予約を取っていく患者の気持ちもわかる。みんな、わが身が不安でかわゆいのだ。「いざというときは、何とかしますよ。どうぞいつでも来てください」などというゆとりある経営ができないことが、リアル患者を断る原因なのだが。

 きっと最初は医療も福祉も、痛みを抱える者やお困り事がある人のために考えられた。でも、それが制度化されると、まず安定した利益ありきになってしまう。私が今生きているのは資本主義社会。お金がないと暮らせないシステムなので、これもある程度致し方ない。が、露骨すぎるのはあまりに悲しい。加えて、利益を追求してみたところで、障害者を各自宅で支援するサービス業の利が、パンの耳のように薄いことも哀しい。

先日も、友人が若くして腰痛がひどくなり、介護職をやめた。三十路男子は「千夏さん、あさって。車を借りることができたので、迎えに行きます。遊びましょ」と、メールをくれる。

 あさって私は……歯医者と内科の通院の予定になっている。歯医者には行きたいが、体重と血圧測定して、時々脅す病院の定期的な受診は減らしてもいいか。病院なんかにいくよりは、若い兄ちゃんたちとドライブする方が、がぜん元気になれる。が、障害者は、遊ぶ約束をして健常者にドタキャンされるとつらい。先月も23日で遊びに来るはずだった友人を歓迎?して、わが身ひとつで待ち構えていたら、当日来なかった。この時はお断りしたヘルパーさんに事情を正直に話した。結果、いつもの半分のヘルプは確保でき、ひもじい思いだけはしなくて済んだ。まっ、なんとかなるわーって。「了解っす。いこいこ。待ってまーす」と軽いノリのメールを返信しようとした。が、そんな私の不安な気持ちを察したのか、友人は「ドライブ中止でもお宅には伺います」のメールを先にくれる。

 ガイドを依頼していて、体調不良で断ったら、「行かないんですかー」っと口をとがらすヘルパー。「えっ大丈夫ですか? 何かできることはないですか」とも聞かない。そんなヘルパーさんが多くなってきているというのに……。障害者は独りでその場所に行けないから、ガイドヘルパーに依頼する。「まずは体調を崩した障害者を、嘘でもいいから心配しろー」という言葉が口から出かかる。目的地にご一緒するだけがガイドのお仕事ではない。が、大概のガイドさんは、時間給の不安定雇用。そんな精神的な思いやりをもてるような職種ではないとわかっている。だから言えない。

 みんなが、大切な何かを忘れかける。みんなが、あたたかい何かをなくし、ぎすぎすする。悲しい時代だ。なのに、なんだか、この子って……。介護職が天職なのに。が、腰も心も痛めてパンの耳の薄給じゃあ…。「ふうー」と、私はため息をつく。

 ドライブ前に、自宅前からタクシーで歯医者に行く。が、病院前で一人で立とうとした途端、足をぐねらせる(捻挫する)。家の中で、介護者の支えで数歩動くのとは、違うことを身をもって知る。歯科診療後、またタクシーに乗り、接骨院に行く。ここも予約制で、腕利きの手技者は、2週間前から予約が入る。が、血相を変えて飛び込む患者は診る。「ベッドが、今1つ空いているので、応急処置だけ」と、氷で冷やしてテーピングをしてくれる。「捻挫なので安静に。痛みが取れるまで……短い時間の処置治療だけになりますが」と、割り込むすきがない予約表に私の名前を加えてくれた。いつもの鍼灸師も顔を出す。「もーう、面だけならいいのに」って私。「明日は手も貸しますよ。もうー転んだくらいで、ぴいぴい言って……大の大人が」の一言で私の不安な顔が、くそっという顔になる。が、「今日、友達と遊びたくて、ヘルパーさんをお断りした。で、一大決心で一人で動こうとしたらこのざま。なんか自信がなくなる」って、弱音が口を突く。「あっはは。いいざまだ。僕は福祉のことは。ぜんぜんわからないんだけど……天罰なんて恐れずに。やっと立とうと思ったんだから」って、私にへこむ隙を与えない。「て、てんばつ!?ってか。が、転ぶ時は転ぶしね」。「っすよ。どうせなら冒険を」って迎えに来てくれた友人に、私を渡す。

 六甲山を目指す一行4人。夏山は涼しい、牧場のアイスクリームは、体中にエネルギーとしてしみこんでいく。牧場の45度の螺旋上の長い坂を、私を乗せた車いすが前向きに突進していく。「キャー怖い。ぎょーえー」「うわっ。何? おたけび? 僕もこわいんっすよ。車いす初めてだし。でも、怖いと楽しいは紙一重」って最近、顔見知りになった友人は、背中越しに笑う。「今までで一番怖いジェットコースター」って私は腹に力を入れ、車いすの上で踏ん張る。「でも、手動なんで」「ふん?」止まった。

 わー。そびえ立つ山の間に、広がる海が一望できる坂を下ったところでは、小動物を飼っている。乗馬コーナーの馬と目があった私は「冥土の土産話、もう一個作ろうかな」って言う。「えっ、ま、まさか」断られたら諦めるつもりで、「動かなくてもいいので、乗せてもらえますか」って係員に聞いてみる。「いいですよ。座れれば大丈夫ですよ。この馬、賢くておとなしいから」と、なんら抵抗なく、友人たちの手を借りて、私を馬にまたがらせる。うわー。こわー。ポニーとはいえ、かなりの高さに驚く。それに、安定感がなく、ふらふらゆらゆらする。

 「千夏さん、落ちてもいいけど、洒落になる程度の落ち方で頼みます」と、友人。「そんなのわからん。が、誰も責めやせん」と、私は必死の形相。進むのは無理だ。「降ろして。ありがとう」っていいかける。が、「進みまーす」って、係員は馬を引き出す。「ぎょえー! あかん」って叫ぶ。何回も馬に止まってもらいながら、トラックを一周する。いつも痛い首や、捻挫の痛みもこの瞬間だけ脳裏から消えていた。それほど、怖く楽しかった!? きっと、明日には一瞬忘れていた痛みの何乗分もの痛みが体のあちこちに戻ってくるだろう。が、帰宅後、私は、立つ前にまずはしっかりと座れるようになろうと、すぐに乗馬座椅子を購入。次なる冒険のチャンスをひそかに伺っている。

 最近、気が付けば事業所の時間に合わせて生活している。平穏な暮らしを、そんな風に感じることもある。それは、私が少し元気になったからなのかもしれない。ただ生かされていただけの私が、自分の意思で生きたいと思うようになったのかもしれない。制度はお世話される側−お世話する側、互いに便利で、少し冷たく、温かいものなのだ。ただ、そこだけの日常生活に押し込められては、せっかくの身命がもったいない。たまには、リスクを覚悟の冒険もしたい。が、去年の夏の一番の冒険ものは、私を乗せた馬だ。ポニーのゆうゆうに感謝!  (つづく)

(ふくもとちなつ/『そよ風のように街に出よう』に「いのちと出会う」、「ちなつの、まっこんなもん」を連載中)

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