いつものように新幹線に乗り、広島からりぼん社までやって来ました。「金は天下のまわり物」とは言うものの、まわって行くばかりの編集部の仲間たちは「お金、大丈夫?」なんて心配してくれます。もちろんボクは万年金欠病なので、安売りショップのキップとはいえ確かにイタイのです。
しかし、「そよ風」の編集会議はボクにとって、とても楽しく元気をもらえるステキな空間なのです。雑談からいつのまにか編集内容に入り込み、と思うといきなりワープするがごとく脱線し、脱線と思ったらそれが核心をついてたりして…そんなごった煮のようなコクとうまみがたまらなくいいのです。ひょんなことから編集部に入れて もらって、ずっと前から大ファンだった「そよ風のように街に出よう」のステキな秘密が少しだけ分かったような気がします。
「秘密を知ったからにはタダでは帰せませんなぁ…」というわけでもないでしょうが、副編集長の小林さんが「ふくちゃん、編集部だよりに3000字ほど書いてくれん?」と恐ろしいことを言うのです。例のやさしくシブイ声で…。この声にいつしかだまされ(いえいえ、説得されてしまい)、帰りの新幹線では後悔しきり…。さてどうなることやら。
ボクの自信のもと
ボクが中学校で働き始めた年のこと。ここの中学校では障害児学級があり、ほとんどの授業で生徒たちは分けられていましたが、ボクのやってる技術では(なんとかお願いをして)いっしょに授業をしていました。授業では、木材で本立てや折りたたみ腰掛けを作ったり、トタン板でチリトリ、鉄の棒でドライバー、はんだづけをしてラジオにインターホン…などなど、楽しそうでしょ! 作業はみんなでするから、みんな困らないのです! うまくいかなかったり、困ったら手伝ってもらえばいいのです。得意、不得意ドーデモイイ! できる、できないカンケーナイ! みんなで作れば、なんでもできる! もちろん障害児学級の3人も見事に完成しました! とはいえ、完成したからそれでOKではないと思うのです。みんなといっしょに「あーだ、こーだ。」と言いながら作る、そのプロセスやぶつかりあいが最高なのです。ワクワクするようないろんなドラマ(ちょっと大袈裟かな?)が、あちこちで起こっているのです。みんないっしょにやらないと、こうはいきません。すごく楽しいのです。
この経験は、ボクの中に実感として「いっしょがあたりまえで、絶対いいに決まってる!」という自信のもとになっています。もちろんその後、「いっしょにやってるだけじゃないか。」「他の生徒にメイワクじゃないか。」「(受験科目でない)技術だからできたことだ。」「デキルようになった成果なんか何もないじゃないか。」などなど批判やカゲグチにさらされ続けるわけですが…。
このバトルは、いまだに続いていて、それを乗り越えることのできない自分の力のなさをいやおうでも実感させてくれるのです。
「障害児作り」とのバトル
この年、障害児学級の生徒は3年生だけで、来年からは障害児学級は無くなる予定でした。ところが、1月のとても寒い日だったと思います。放課後、金工室で旋盤の調整をしていた時です。それまでいっしょにやっていた2年生のKくん(ほんの少しだけ学習に遅れがあったのですが、ずっと普通学級でした)が目にいっぱい涙をためてボクの所にしょぼしょぼ来たのです。びっくりしているボクに、Kくんは一生懸命に笑顔を作ってこう言いました。
「ふくちゃんバイバイ、今度から技術室には来んけぇ。行ったらいけんって言われたけぇ。」
…後でわかったことですが、校長と担任、障害児学級担任で何回も家に押し掛け(言葉は悪いですが、こうとしか思えませんでした)、Kくんの思いなど全く関係なく、来年度から障害児学級に入ることが決められたそうです。
みぞおちの奥から、ぐぉーっと何とも言えない怒りが込み上げ、ボクはその怒りのまま校長室のドアを蹴って、大声で抗議に行きました。
Kくんの言葉が頭の中でガンガン響き、仲間から離される辛くさみしい気持ちが胸をえぐり、話しながら涙がとまりませんでした。どこにぶつけたらいいのかわからない怒りで、体がガタガタ震えていたことをはっきり覚えています。
校長は、イキナリの乱入者にただただ言い訳し、逃げるばかり…。あわてた校長が呼び寄せた関係の先生たちにも集まってもらい話をするのですが、どうしても基本的なところが全くすれ違うのです。「配慮だ。」「Kくんのためだ。」「ひとりでできることを増やさなければ…。」と言いながらKくんの思いは全く無視。要は無くなりそうな障害児学級を成立させるために、Kくんを犠牲にしようとしているだけです。ボクの目の前で「障害児作り」が行われようとしているのです。
どうしてこんな恐ろしいことが平然と行われるのでしょうか! ただ「学校」の都合に合わせ、ワクにあてはめようとしているだけ。そこにはKくんの思いも何も入っていないのです。大切な仲間たちと切り離し、いったい何が生まれるというのでしょうか?
数時間の話し合いも、ボクがしゃべりまくるだけの平行線のまま…。結局、Kくんの気持ちは無視され、保護者の了解はとってあり決定されたことだから…と覆すことはできませんでした。(自分に力があり何かができるなんて思ってはいませんでしたが)すごく落ち込みました。
目の前のKくんすら守れない自分は何なんだ?センセーという仕事はなんとなさけなく無力なものなのか? なんにもできないじゃないか! 今の教育なんて、こどもを押しつぶすことはあっても、守ることはないんじゃないか!…とかいろいろ考え、悩みました。Kくんにあわす顔もありませんでした。
ヤケクソと勢いで
ボクの勝手な落ち込みとはうらはらに、Kくんは自分なりの抵抗を、さっそく始めていました。したたかに主張し、原学級の仲間といっしょにできる交流授業を増やし、それまで築いて来た仲間との人間関係を切られないようにしていったのです。それに比べボクは、情けなくも悩んでばかり…。しかし、「なんのためにボクは学校にいるのか…」そう考えた時、ヤケクソであっても自分の思っていることを信じて、大好きなこどもたちと同盟をくみ、行けるところまで行くしかないなと思いました。言いたいやつは勝手に言え!」「クビにできるものならしてみろ!」などと若さと勢いだけだったように思います。
Kくんと出会ってから、もう13年。あの時何もできなかったボクの年を追い越したKくんは、元気にガソリンスタンドで働いています。年に数回しか会えませんが、会うたびに「どうしよるん?
元気しよんね!」と自信ありげな笑顔でボクに元気をくれるのです。もちろん、ガソリンスタンドのユニフォームはバッチリきまっています。
ボクはといえば、あいかわらずヤケクソと勢いのままです。Kくんに比べ、ほとんど成長できていない自分ですが、Kくんとの出会いとあの思いは忘れたことはありません。それは、自分の中で固い信念とがんばれるエネルギーになっているのです。
こどもを守らないどころか、おしつぶそうとしている『学校』で、やっぱりステキなこどもたちといっしょに楽しく、大切な人間として生きるためには、ヤケクソであってもこだわりつづけるしかないと思います。だって、今の『学校』体制に従うことは、こどもたちを押しつぶす側でしかないのですから…。
(ふくばせいじ/『そよ風のように街に出よう』に「ふくちゃんの広島焼き」を連載中) |