香り立つ女

福本 千夏

−電車編−

 5年ぶりの一人旅だ。とは言え5年前とはちがい、一人歩きがむずかしく、友人を頼り渡る珍道中だ。
 その日、友人一家と私の家族らは東京から大阪に新幹線で帰り、私だけがJRで福本.jpg横浜に向かうことになっていた。
 ディズニーランドを後にして、一同、京葉線の東京駅に着く。そこから東海道線の東京駅まで徒歩15分。京葉線ホームには駅員2名が車いすを用意して待っており、会話もそこそこに私を含めた車いす2台を足早に押し出した。その道は、荷物が効率よく運ばれるためのものらしく、立入禁止とかかれた大きな倉庫や荷物用のエレベーターがあった。ふだん見慣れないその光景には、ちと恐ろしいものがあった。
 東海道線に近づいたころ、「新幹線の時間まで充分ありますから、私が妻を横浜行きの電車の乗せます」という主人に、「いえ大丈夫です。私の任務です。私が運びます」と車いすを押し続ける駅員。その駅員の妙にまじめな親切さも恐怖に感じ、「このまま荷物にまぎれこみ、車いすごと売りとばされたらどうしよう」と、自分が少しだけ歩けることも忘れて、私は車いすの上でかたまっていた。
 結局、親切な駅員と主人と子供に見送られて、東京から横浜に私は無事運ばれ着いた。

−タクシー編−

 さて、そこで私を受けとったのは10年来の友人。さっそく彼女が住む単身者用マンションへ足をふみ入れた。玄関から寝室まで香る様々な香りに私の鼻はびっくりしていた。それに気づいたのか、「いい香りでしょ、ラベンダーにローズにレモン」と彼女は体の形を整えるために着けていたコルセットを外しながら言う。私は旅行中ずっと着ているタートルの首の部分をぼりぼりとかきながら「そーかなあ」と気のない返事をする。「あんた、そのタートルずっと着てるのとちがう。こらこらかくな、こらかぐなよー」と着替えを用意してくれている彼女の手が、タートルに鼻をもっていこうとする私の手を止めた。二人は向き合って笑った。こうして香り立つ女二人(?)の夜の宴は、にぎやかにはじまったのである。
 次の日の夜、彼女は港が見えるフランス料理店のいい席を用意してくれた。おいしい料理とお酒と居心地よい雰囲気に酔って、私たちは店を出た。港ですれちがう若いカップル、犬と散歩する紳士。私たちは絵の中にいるようだった。ぐちってもなかなか解決されない日常のさまざまなことを忘れていられた。彼女と今、ここにいることが最高だった。タクシーに乗り込むまでは……。
 酔ってわけのわからないことを言い出しそうな彼女と、しらふでも聞きにくいことばを話す私。そんな二人に運転手は無口だった。近くの駅の名を告げると、ますます無愛想になった。ところが、彼女がマンションに近い別の駅名をさけぶと、身をのり出してきた。土地勘のない私でも、けっこうな金額をとられることは想像がつく。
「すみません。この子酔ってるんです。近くの駅で降ろしてください」とあわてる私。それとは対照的に、彼女はまだ酔いのまっ只中にいるらしく、「ええやん、家まで乗ってこ。今ここでこれ拾ったことやし。おじさん、これで行ってくれる」と1万円札をひらひらちらつかせている。
「そこまで気い使わんとって。私はまだ歩けるから電車で帰ろう」とタクシーのドアに手をかけたとたん、ガチャン。なんと運転手にドアをロックされたのだ。うっそお、障害者と酔っ払いが乗車拒否ならぬ降車拒否?!
 青ざめる私に、「あんたたち、近くの警察でおろそうか」と運転手が、はじめて後ろをふり返った。やなやつ! とっさに私は感じた。運転手のことばは続く。「車内でお金を拾ったら、それは私の責任でもあるから警察に届けなさい」と言うのだ。どうやら運転手は、私たちのことなど心配しておらず、彼女がさっきからちらつかせている1万円札が心配なのだ。だが、そのお金は友人のものだと信じて疑わない私。「おじさん、タクシーの中にお金が落ちてるわけないやろ。これはこの子のお金やねん。この子は酔ってるけど私は酔ってへん。警察なんかに行ってたら終電にのられへんやんか。はよ降ろしてー」とのたまった。「何を言ってるのかよくわからん」とそっぽを向きながら、おじさん実は次のことばを考えていた。「とりあえず、電話番号教えてくれるか。落としたお客がとりに来たら困るだろ」。きちっと会話になっている。
「気持ち悪いなー。なんで電話番号教えなあかんのよー。こんな感じ悪いタクシーにのったんはじめてや。こっちが番号ひかえとこ」と私がペンを出そうとすると、「よくわからん」とおじさんは首をかしげつつ5千円札を出し、「こうしよう」と言い放った。1万円札と5千円札を交換しようというのだ。
「なんで1万円札が5千円になるねんやー」と怒る私の横から、「ええやん、それで」と落ちついた彼女の声が電話番号を告げ、1万円札はおじさんの手に渡った。そこでやっと私たちは車から解放された。
 終電にゆられて、私たちはすっかり酔いがさめ、そろばんがはじけるおばさんの頭にもどっていた。
「なあ、聞くけど、あの万札あんたのとちがうかったんか。ほんまに拾ったん?」
「拾ったんよ、タクシーの座席で。それにしてもあの運転手、しけてたなー。見つけたの言わんとったらよかったなー。で、ちなっちゃん何怒ってたん?」
「私はてっきりあんたのもんやと思って……」
 ぶははは、ははは〜〜〜。今まで腹の底でたまっていた緊張した空気が笑いになってふき出した。

−新幹線編−

 日頃、口応えばかりする息子と、最近ちと古ぼけて見える主人の受話器ごしの声は、私を大阪行きの新幹線にのせた。
「もっと居てほしかったのに」。そう言ってくれる友人に感謝しながら、きっぷをにぎりしめ、やっとの思いで座席を確保。ほっとしたのもつかの間、下腹部がグルグル、もよおしたのだ。
 トイレから一番遠い席に座ったことを後悔する。必死の思いでゆれる列車を歩き、ゆれながら用をすませる。ゆれているのは列車なのか、私なのか?! さあ流して……? あれっ、水の流し方がわからない。それらしきペダルやノブをさがすが見つからない。しかたなく外に出て、トイレを待っていた女の人に聞く。が、一生けん命に話そうとするほど、相手は素知らぬ顔で無視を続ける。(えーい、知らんわ。新幹線は水洗ちがうんやわ)と席にもどった。しばらくしてその女の人の足音が横を通り過ぎたが、さすがに顔を上げることはできなかった。
 新大阪のホームで数日ぶりに主人の顔を見た。その時、私、香り立つ女(?)は、なぜかしあわせの青い鳥の話を思いうかべていた。

(ふくもとちなつ/『そよ風のように街に出よう』に「千夏のま、イイッか」を連載中)



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