地上から牧口さんがいなくなって

『関西障定協ニュース』 103(2024年12月6日)より

 

 牧口一二さんが障害のある仲間を各地に訪ねる「ぶらりひとり歩き」(後に「牧さんのぶらぶらマップ」、「VS(ヴァーサス)マキさん」に改題)は、障害者問題誌『そよ風のように街に出よう』の名物企画の一つだった。2017年に91号で終刊するまでほぼ毎号掲載されたから、その数は優に80本を超える。同誌の副編集長だった私は、その大半にカメラマン兼運転手として随行した。

 彼が松葉づえで闊歩していたころは私が運転するワゴン車で、電動車いすのユーザーになってからは電車や飛行機で、北海道から沖縄までいろんな土地を旅した。何せ貧乏な編集部だったから、彼が遠くから講演に呼ばれたりすると、その講演先の近くで取材を受けてくれる障害者を探し出し、そうやって交通費を節約することもあった。

 旅先ではいろんなことがあったが、その思い出話を始めると紙幅がいくらあっても足りない。牧口ファンは全国各地にいて、それもなぜか女性に多く、そのために取材に支障が出そうになったこともある。まあそんな裏話は、いずれ彼を語る酒席が持たれるだろうから、その場に譲るとしよう。旅の途次では、その時々の政治の話から死後の世界が存在するかどうかに至るまで、話題に事欠かなかった。そのほとんどは忘失の彼方なのだが、一緒にいるとリラックスできて何でも気兼ねなく話せた。どうしてだろうかと、いま改めて考えてみる。

 彼は自分のことを「キリスト者」と呼んでいた。「クリスチャン」や「キリスト教徒」ではない。その理由を聞いたときの彼の応答はよく覚えていない。だからこれはあくまで私の推測なのだが、そこには集団や組織を通してではなく、一人の人間としてイエス・キリストとつながりたいという思いがあったのではないかと思う。私は無神論で若いころは『資本論』を書いたマルクスに傾倒していたのだが、そのときも都合よく歪曲された「マルクス主義」ではなく、マルクスその人の思想に立ち返ろうという主張があった。組織や国家の論理が先行し、権謀術数が横行する生臭い現実政治から距離を置いて原点に戻ろうという考え方だ。

 「キリスト者」と自分を呼んだ牧口さんにも、同じような思いがあったのではないか。

 牧口さんは個人を大切にした。大上段に振りかざす理論や権威は嫌いだった。だから、講演で小学校や中学校を訪ねて子どもたちに語りかけるときが、彼は一番楽しそうだった。「おっちゃん、どうやってウンチするの?」と聞かれたら実演してみせ(もちろんパンツは下ろさないが)、「どうしてその足、悪くなったの?」と聞かれたら「悪いってなんや?」と切り返す。ときに子どもたちの柔軟な発想に「一本取られた!」と天を仰ぎながら、いつだってとても嬉しそうだった。

 そんな彼に私は惹かれたのだと思う。私より一回り以上年上なのに、気の置けない友人の一人だった。たぶん彼の周りには、私と同じような感覚で接する人が多かったのではないか。

 もちろん彼は個人を思考の立脚点に置く一方で、障害者にとって集団や組織がどれだけ必要かもよく分かっていた。だから「おおさか行動する障害者応援センター」や「被災障害者支援ゆめ風基金」をはじめ、数えきれないほどの活動に深く関わった。そうして、自分の後につづく若い障害者たちが決して苦しむことのない社会に一歩でも近づこうとした。

 地上から牧口さんがいなくなって、これからその歩みは一層重要性を増すだろう。

小林 敏昭 (障害者問題資料センターりぼん社代表)

 

※ 関西における障害者運動の牽引者の一人であり、『そよ風のように街に出よう』や『季刊 しずく』で私たちに同行してくれた牧口一二さんは、2024年4月に脳出血で倒れ、5か月の入院闘病の末、9月26日の朝ついに逝ってしまいました。現在、友人たちによって「牧口さんを語る会(仮称)」の準備が始まろうとしています。会の詳細が決まりましたら、本ページでもご案内します。

 

 

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