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気分を変えて
例えば、スポ−ツ新聞の記事を読んで、次の様に書いてあったとする。「バックでやるときは、奥まで
入れても、それほど気持ち良くないの。クリトリスの裏側を刺激するといいから、先っぽをちょっと入れた
方がいいの。そして女の子の上体を反らし細かくゆっくり。試してみてね」。この認識は、筆者の直接的
経験に発している。又、感性的認識である個別的体験を、「誰でも大抵はこうするといい」という様に、
一般化、普遍化、法則化しているから、理性的認識に発展させている。
さて、筆者の直接的経験に基づく認識も、この記事を読んでいる私にとっては、間接的(=他の人の)
経験に基づく認識であるから、この理性的認識(=法則性)は、実践することによって、その当否を検証し
得る。「奥まででなく、先っぽで、クリトリスの裏側をゆっくり刺激する」と、次第に相手の息使いが荒く
なり、喘ぎ声を出すので、この理性的認識が正しいことを確かめられる。
この認識の、経験、感性的認識、理性的認識、実践、検証の関係は、大きな事柄(社会)にも、小さな
事柄(上記)にも共通だが、この例は細々した事柄の部類に入る。
これでいいのかな?サ−ヴアサ−ヴア(よかろうよかろう)。
又認識は、それだけではまだ重要性の半分だけであり、実践し、主観的世界及び客観的世界を改造する
ことが、必要であるから、この場合、「気持ち良かった、気持ち良くした」ということで、主客の関係を
改善するのである。
ここも見てね[夢幻]呪文(準備中)